第8話:都市計画マスタープランは時代にどう対応するか

そのモメネタ議案の「磯子三丁目地区計画」から報告する。

これは磯子の海岸段丘上にあった横浜プリンスホテルが廃業した後を、住宅開発する事業者が開発のために都市計画提案制度を使って横浜市に地区計画を提案したことに始まる。

戦前は皇族の別荘があり、それを戦後になって西武鉄道が買い取って改装し、横浜プリンスホテルを開業した。1990年、村野藤吾設計になる高層でカーブした大規模なホテルとして再出発したのに、2006年には廃業して開発業者に売却してしまった。

跡地を買った数社はSPCを作って、住宅地開発を企画したのであった。

ところが大規模開発のご多分にもれず、周りの低層の住宅地住民から反対運動である。

その主な意見は、建物高さが高すぎる、景観が悪くなる、風害がある、日照障害がある等である。ほかにわたしの目についた反対意見は、自然が壊れる、都市マスタープランと整合していない、SPC開発は責任が曖昧などである。

周りの住宅地も、元はといえば西武が丘陵を開発して分譲したのであるから、緑を壊して住み始めた人たちである。高度成長期の磯子は、海面を埋め立てると同時に、陸地の緑の埋立も進んだのであった。(図1:磯子変遷の航空写真参照)

考えようによっては、西武が売らないで最後まで持っていた土地をついに売却して、この地域での大規模不動産開発がこれで完結することになる。

SPC事業者の主体は東京建物であり、都市計画コンサルタントはUG都市設計である。

そのSPC事業者が自分の開発計画(図2)を下敷きにして横浜市に提案する地区計画案についての事業者による説明会から始まり、その縦覧、そして今度はそれを受けた横浜市のつくった素案の説明会、公聴会、縦覧、そして原案の説明会、公聴会、縦覧と進み、本日の都市計画審議会に地区計画案が出てきたのであった。

この件は都市計画提案によることのほかにもいくつか興味のある都市計画なので、この間のいくつかの説明会と公聴会には、わたしも傍聴に行った。

現地には自転車で行って詳しく見た。

審議会の3日前には、送られてきた議案書を持って、横浜市の担当者に疑問点を聞きに行った。

審議会資料が送られてきたのが10日前なのは、間に2回も土日が挟まって、市区の役所や現地に行く時間足りない。もっと早く送って来いといつも言うのだが聞いてくれない。

2.都市マスタープランに整合しない都市計画提案

第8話

都市計画マスタープランは

時代にどう対応するか

現地の土地利用が大きく変わるのに

都市マスタープラン変更が間に合わない

でもそれがあるからには従わざるを得ない

1.珍しく反対5名・磯子三丁目地区計画

横浜市都市計画審議会が2010年7月5日開催された。

議題の数は8件だが、同じ地区の関連議案があるので実質的には5件といってよい。すべての議案がいつものように原案通りに可決した。

今回は珍しく議決に反対の手が5人も上がった議題があった。昔のことは知らないが、もしかしたら横浜市都市計画審議会では前代未聞かもしれない。

わたしが委員になって7回目の審議会だが、これまではわたしの1票だけが反対という状況が続いていた。これで7連敗であるが、今回初めて反対仲間が出た。

今回のいくつかの議事で思ったことは、どんどん現実は社会・経済の要請で変っていて、都市計画がそのあとを息を切らせて追いかけるのに精一杯で、なかには追いかけられないままに都市計画がへたばっている、ということであった。

この議案のことは以前から気になって調べていたのだが、奇妙なことが分かってきた。

結論を先に言えば、事業者からの開発計画(図2)のほうが、現況の都市計画よりも出来が良いということである。

事業者は、この開発計画をもとにして、地区計画を都市計画提案したのであるが、その計画をもとにして、逆に都市計画マスタープランや地域地区指定を考えると、むしろその方が現状に対応しているのである。

都市計画マスタープラン(図3)も用途地域指定(図4)も風致地区指定(図5)も、1973年建設の横浜プリンスホテルが存在することを大前提にして、そのホテルエリアに忠実に区域を定めていた。

ところが肝心のホテルが営業はもちろん建物も消滅してもう4年も経つのに、いまだにそのままである。実情と何の関係もない都市計画である。

ところが、都市計画提案は今の都市計画に沿わなければならないから、更地開発の実態に合わない理屈をこねた計画にしなければならない。

最も典型的なことは、ホテル用地の範囲を「中心商業業務地」と都市計画マスタープラン(図3)に定めていることである。中心がついた商業と業務なら、大規模百貨店や超高層オフィスビルをイメージするが、現都市計画マスタープランのその絵柄(図3)は、大規模ホテルを前提に描いていることが、その本文の記述にある。 事業者は、本質的には大規模分譲集合住宅、いわゆるマンション開発をしたいのであるから、この絵柄には困ったことであろう。この不況の時代にしかも駅前でもないあの場所で、大規模ホテルはもちろんのこと、大規模店舗や事務所ビルはありえない。 そこで小規模な店舗や福祉施設を設けると共に、共同住宅と都市型住宅と称して、これらを「中心商業業務」施設ということにしたらしい。 都市計画が矛盾を抱えているのに改めないので、ネジレが起きているのである。この都市計画提案(図2)でそれが顕わになったのである。 提案を受けた横浜市も困ったことだろうが、現に定めがある都市計画に則らなければならないから、その理屈を是とせざるを得なかったのであろう。 常識的にみてそれはかなり無理がある。図面を見ると全体が住宅地になり、その一部に生活中心的な商業業務ゾーンがある形である。都市計画マスタープラン(図3)との整合が保たれているというのはかなり無理がある。 この開発計画どおりに現地が変わった後で都市計画マスタープランを変更したら、常識的な市民は今のような「中心商業業務地」という真っ赤な色塗りをするとは考えにくい。どうなるだろうかと自分でやってみたら、今の絵柄とずいぶん違ったものになった。(図6:伊達案磯子プラン)3.開発計画よりも都市計画のほうが出来が悪い どう見ても読んでも、提案計画そしてそれに沿って作った市の地区計画案も、都市計画マスタープランとは齟齬があるとしかわたしには思えない。

ところが、しばらく考えているうちに、これについてはそれほど簡単に結論を出してはいけないとも思えてきたのだ。

事業者から提案された開発内容(図2)をしげしげと見ると、これは計画としてはなかなかよくできているのである。オープンスペースに恵まれた共同住宅群は、気持ちよさそうだし、大きな緑地の保全もしている。

流行のゲーテッドコミュニティといわれる囲み方ではなくて、地域への開放性も高いし、近来まれにみるほどよくできている。

ただし、計画としては、という注釈つきである。それは、この事業は分譲区分所有型区分所有型共同住宅(いわゆるマンション)なので、わたしはその仕組みの事業が嫌いだからである。 また、計画図を見ると建築基準法86条の1団地認定によるようだから、1敷地に複数棟が建つことになる。これは大地震の後で困ったことがおきる可能性がある。 わたしは金があってもここで暮らしたくない。それはそれぞれの趣味信条だからここでは脇においておくこととして、ここは都市計画の問題である。 開発計画は比較的良いのに都市計画マスタープランとは整合していない。その都市計画マスタープランは策定時と大変化があった現地の実情に即していない。

でもしょうがないから中味は兎も角として、制度上の規範から両者は整合していると強弁せざるを得ない。このような構造である。

表向きはいえないが、多分、UG都市設計も専門家として苦笑しながら取り組んだことだろう。昔のわたしの仕事経験から考えてよく分かる。

都市計画マスタープラン(図3)だけでなく、用途地域(図4)も風致地区(図5)も1973年の指定当時のホテルの敷地にあわせた境界線で指定している。

その後1990年にこの境界線をまたいで村野藤吾の設計した高層大規模ホテル棟が、風致地区制度の例外規定を適用し、用途地域の過半規定も使って建ち上がった。そのときに既に地域地区も風致地区も境界線の意味を失ったのである。

そして2003年の都市計画マスタープラン(図3)も、実は1973年の境界線で色塗りが分けてあるのだ。古色蒼然の都市計画は当りまえである。

意味を失った境界線を後生大事に保つ都市計画とは何だろうか。もしかしたら、都市計画変更するべき時には遅滞なく変更を行なうべしとする都市計画法21条違反であるような気がする。

開発計画は用途地域に関してはその許す範囲で建築物を建てるし、風致地区は例外許可条件をクリアして建てるから違反ではないと、都市計画課長はいう。そのとおりである。

都市計画審議会の会長は、現都市計画を変更しないと、なにか不利益が発生しているかと、市とわたしに聞くのであった。市はないといったが、わたしに聞かれも現地に住んでいないからわかりっこないのである。

会長は不都合が起きていないから見直し不要とは明言しなかったが、審議会の捌きをみるとその見解であるようだ。

だが、わたしは思うのだが、都市計画はこれから不都合が出ないように計画するものであり、不都合が出てからの対応では遅すぎる。今回の反対意見書の多さも、不都合が起きていると感じている人があるからだろう。

面白いといっては語弊があるが、2重、3重の矛盾が生じてしまった都市計画は前代未聞かもしれない。罪作りな都市計画である。

これでは都市計画は開発計画にあげ足をとられて、バカにされているが、バカにされるだけのレベルでしかないことも事実である。

4.都市計画による担保はバカにされた

磯子三丁目開発における周辺住民からの問題提起のひとつに、プリンス坂(図2のかきこみ参照)の公道化がある。

通称プリンス坂と呼ばれている道は、海面埋立平地と海岸段丘の上のプリンスホテルとの段差約60mを絶壁を切り開いた急坂で結んでいる。

詳しくは知らないが、もともとは1937年にできた東伏見宮磯子別邸専用の道だったようだ。これをホテル営業したときのいつ頃からか、一般の通行も許すようにしたらしい。

そのまま公道にもせずに、法的には道路ではなくて単なる敷地内通路のままに、プリンスが管理してきた。台地の上の周辺の住宅地の住民は、気にもしないで便利に使ってきたらしい。

今度それが開発業者に売却されたから、今後とも一般通行できるかどうか、にわかに問題が浮上してきて、周辺住民はあわてて市に公道化せよと要求している。

集合住宅敷地の一部として販売して、開発後は管理組合による管理となると、どうなるか分からない。

わたしは今度の地区計画案に、このプリンス坂が「地区施設」としてあるとばかり思い込んでいたのだが、よく見るとこの坂のことはどこにも書いてないのであった。

事業者からの提案にも、「公道化を目指す」とする記述はゴタクとしてはあるのだが、肝心の地区計画には何も記述していない。アレッおかしい、公聴会でもあれほどこの坂の公道化、つまり今後とも一般通行の機能を継続することを求めていたのに、なぜだろう。

地区施設の「区画道路」として記述するほかには、都市計画として一般通行を担保する方法はないはずである。(図8)

それなのに、公聴会でもその求めは出なかったし、縦覧に対する意見書にもそれを求めたものは全くないのである。

審議会での都市計画課長のこれに対する回答は、事業者から寄附の申し出を受けていて、公道化の条件を詰めているところだから、あえて地区計画に書く必要がないし、事業者からの提案にも記載がなかったからであるという。

わたしはこれと同じことを審議会の前に市の担当に聞いていた。早く言えば、地区施設にするよりも現在の交渉のほうが信用できるというのである。

地区施設にするべきとのわたしの意見は、地区計画素案に対する公聴会のときに、会場ロビーで都市計画課の担当者にも話したことがあったから、わたしが審議会で言うことも分かっていたはずである。

地区施設にして現在の交渉に妨げがあるどころか、むしろ促進するはずである。なにが問題なのだろうか。

これはわたしの全くの推測だが、これまで公道にならなかったのはそれなりに理由があり、これからも簡単にクリアできないのかもしれない。

例えば、道路構造令の基準とかから見るとカーブや勾配がけっこう危険であるとか、崖面がよく崩れて危険で管理しにくいとか、市が受け取るにはかなりの大改修が必要であるとか。だから道路強制的担保となる地区施設とすることを、意識的に避けているのかもしれない。仮にもしもそうならば、それは立派な理由であって、「公道」化には無理がある

だが、地区施設としておけば、たとえ公道化しなくても、私有地のままえあっても区画道路として通行は担保されることになる。それは遊歩道として地区施設を定めていることと同じである。

審議会で市側が言うような理由で担保しているのならば、地区計画の地区施設とする担保力よりも、まだ決まらない交渉ごとの過程のほうが担保力があることになる。

都市計画決定のもつ力は、すっかりバカにされてしまったらしい。

●横浜プリンスホテル小史

・1937年 東伏見宮磯子別邸が竣工(設計施工竹中)

・1945年 終戦連絡局長鈴木九万が官邸使用(~947)、GHQフランス使節が使用

・1953年 西武鉄道が買収

・1954年 横浜プリンス会館開業食堂7室・客室4室

・1960年 横浜プリンスホテル新館開業(28室)

・1964年 根岸線(桜木町-磯子間)開業

・1966年 西武鉄道が磯子台分譲

・1970年 新都市計画法による新用途地域として住居専用と住居地域に指定、

旧都市計画法による風致地区をホテル営業エリア部分を廃止、

そのほかを第4種風致地区指定

・1977年 西武不動産が日本住宅公団にゴルフ場跡地売却

・1987年 横浜プリンスホテル営業終了

・1990年 横浜プリンスホテル開業(441室)、旧館は宴会場「貴賓館」

・1993年 貴賓館を横浜市が歴史的建造物に認定

・2000年 西武不動産が磯子プリンスハイツ販売

・2001年 プリンスブリッジ開通、

都市計画マスタープラン磯子区プラン策定開始(9月~12月)

・2002年 2月「磯子区民のまちづくり提案集」公表

・2003年 3月「磯子区まちづくり方針素案への意見と回答」公表、

8月「磯子区まちづくり方針」決定

・2005年 横浜プリンスホテルの売却検討を発表

・2006年 横浜プリンスホテルを特定目的会社に譲渡、

東京建物が大規模住宅開発を発表、横浜プリンスホテル営業終了

・2009年 横浜プリンス跡地SPCが住宅開発の都市計画提案

・2010年 7月同上に基づく横浜市策定の地区計画案を横浜都計審に諮問、可決

5.手続きが不十分かもしれない

わたしの意見は上に述べたようなことであったが、他に2人の委員から意見が出た。

もうひとりの市民委員は、かつてある市の都市計画審議会の事務方にいたこともあるプロ中のプロだから精通していて、手続きにはうるさい。沢山の指摘があったが、まず都市計画審議会に都市計画決定の図書全部を出さないと、審議に瑕疵があることになることであった。

実はこれはわたしも事前に気がついていて、送られてきた議案書の中身が、市の説明用の画像をプリントしたページばかりが多くて、肝心の都市計画図書が抜けているものが多いのであった。例えば地区計画の本文はあるのだが、付図が一枚もないのである。

都市計画審議会は素人相手の住民説明会ではないのだから、事務的に全部提出が大変なら重要な図書だけでも縮小コピーして出すべきと、事前にメールをしておいた。これらは審議会当日に机の上においてあった。しかし地区計画以外の議案の図書についてはほおかぶりであった。それで手続き的に良いのかしら。なお、わたしは審議会の3日前に、全議案の縦覧図書を閲覧した。

次の指摘は、地区計画図書の一部に記載の不備があるという指摘である。例えば地区施設の緑地について、バラバラに数箇所に散らばっているのに、記載は合わせて同じ記号で合計面積が記入してあるが、これで都市計画が要求する位置と規模の記載に対応するのかというのである。

市側は当然これで問題ないという。発言委員は納得しないで、ではこれで争訟があっても耐えられるのかと粘っていた。

もうひとつの指摘は、これだけ多くの賛否両論の公述申し出があり、反対意見書も多いのだが、それに対してどのような対応をしてきたかということである。

この指摘に関しては学識委員の1人からも意見が出て、このようなときは法に定める必要なことだけをやりましたでは、すまない時代であるとの指摘があった。

市の発言は、地元対応をやってきえいると口頭では言うものの、いつ、どこで、参加者は何名などの資料はなくて、まことに説得性に欠けるのであった。

更に市民委員の指摘は、事業者から提案された地区計画案と、それを受けた市の地区計画案のどこが異なるのか、明確に一覧表にして示せ、そうでないとこの資料を見ただけでは審議資料として分からないところが多い、他の自治体ではそうしている、というものであった。

この3人がしゃべるだけで、ほかに意見を言う委員はなかった。

2009年11月の都市計画審議会で磯子三丁目の状況について説明があったときに、この市民委員は、難しい案件だからいきなり議案としないで、事前に市の素案を審議会の委員が検討する機会を設けよと発言していた。

それにもかかわらず、いきなり原案上程である。だから審議会を延期して、要求する事項の資料を数日のうちに用意して、もう一度審議するべきであるとの指摘もしていた。

しかし、会長はそのような意見を入れることも含めて賛否をとりたいとして、賛成の人・条件付賛成の人でそれぞれ手を上げろという。条件付賛成の意味がわからないので首を傾げていると、こんどは賛成と反対で決を採ります、賛成はどうぞとなって、とたんに市議委員は勢いよく賛成の手を挙げていた。

これで10票だから後は学識委員が1人でも賛成がいれば過半数である。しょうがないからこちらもあわてて反対に手を上げる。おお、わたしのほかにもいる。結局、賛成16、反対5で原案は可決した。これまで6回の審議会では、いつも反対はわたしひとりであったのが、今回はわたしのほかに4人も反対がいたことをもって、少しは進歩したというべきか、それとも議案に若干の無理がもともとあったのか。ここまできて、とりあえずはよしとすべきか。

6.市議委員が多すぎるような

審議会委員のうちの宛職委員が、今回からかなり入れ替わった。業界代表学識委員の横浜農協、県宅建業協がかわった。

そして市議は10名中で1名のみ留任で、あとの9人全員が入れ替えである。

市議委員は、正副議長と委員長であるから、そちらで改選があったのだろう。会派を見ると、自民党が5名、民主党が3名、公明党が2名である。

欠席委員は25名中4名で、相変わらず学識委員の欠席がおおくて3名、そして自治会町内会長枠の市民委員である。

議員は全員出席だが、これは議会の日程とは調整し、わたしたちとは調整しないで審議会日程を決めるのだから、議院委員だけはいつも出席率は高い。

どうも審議会委員のなかで議員数が多すぎる。よその市の都市計画審議会と比べてもかなり多すぎる。

今回の出席委員総数は21名であるから、議員委員10名であと1名で過半数になる。せめて各会派から1人ずつで計5,6人程度にしてもらいたい。そして2、3名を市民委員にまわしてもらいたい。

今のような大会派からしか都市計画審議会委員がでないとなると、会派ごとに意見をまとめるとしているのなら、実質的には3名しかいないのに、10名も議決権を持っているのが不可解である。

今回のように初めからしまいまで終始無言で全く意見を述べないで、どの議案にもただ賛成するだけならば、議員としても都計審委員としても役割をほとんど果たしていないように思える。最後あたりで手を上げた市議委員がいて、ようやく意見が聞けると思ったら、早く採決せよという催促だった。

賛成なら賛成意見を述べるべきであるし、わたしの反対意見に対する反対意見を聞かせてほしい。これは横浜市民としての要望である。

そもそも議員と都計審委員とは異なる立場で都市計画審議会に出席しているのか、それとも議員の立場で出ているのか。

もしも同じ立場なら、委員会報酬は支給されないはずだが、どうなのであろうか。まさか議員歳費と二重取りはしていないであろう。

また、議案によっては予算案と連動するものもあるが、そうなると市議の都計審委員は、市議会と都計審の両方で2重に審議に参加することになり、これも不可解である。

7.30年がかりの土地区画整理事業

土地区画整理事業は長くかかっているものがあちこちにある。昨年の審議会にかかった戸塚駅周辺のそれはもう40年もかかっていて、いまだに完成しない。

今回かかってきた金沢八景駅東地区の土地区画整理事業は、1986年の都市計画決定だから、その前の調査から言うとずいぶん長くかかっている事業である。いまだに中途半端なバスターミナルができただけである。

2010年4月にようやく仮換地指定までこぎつけて、地域地区見直しや地区計画によって土地の評価をしなければならなくなったので、金沢八景駅東口地区の地域地区、都市計画道路、シーサイドラインの変更と地区計画の新たな決定が議題である。

金沢八景は、鎌倉に住んで横須賀で仕事していた頃はよく利用した。今回は都計審議案の下調査で現地の事務所を訪ねたので、久しぶりに駅に降りた。

しかし見たところではなにも変わっていなかった。昔はあの狭い駅前の道路にバスが入ってきて、ハンドル切り返しとバックを繰り返してバス停留所に入っていたものだ。中途半端でもバスターミナルができたのは進展である。

駅前商店街は10数年前と同じで懐かしかったが、これがどう変わるのか、そのイメージはつかみにくい。立地的にポテンシャルが特に高いこともない地区である。

シーサイドラインの駅乗り入れで、特に何かが変わるとも思えない。駅前広場が広くなって風通しがよくなり、むしろ寂しくなるかもしれない心配さえある。

都市計画審議会での審議は、質問も意見もなく、議案を原案通りに可決した。

わたしはシーサイドラインの都市計画変更の市の議案説明に、なんだかおかしいところがあるのを見つけて、事前に指摘したのだが回答がない。そこで審議会当日にイチャモンつけようかと思ったが、初歩的なことなので大人気ないし、議案には賛成なので時間がもったいない、つまり最後の磯子三丁目に時間をとっておきたくて、質問はやめた。

8.少子高齢社会に追いかけられる都市計画

調整区域地区計画のことはよく知らない。元が火薬工場だったのだから山のなかにある大規模なその工場跡地に行ってみたのだが、大規模な老人ホームが建っていた。

塀に囲まれた大きな敷地の中の緑に囲まれた大きな老人用の建物を見ていて、誰も人影が見えない。現代の姨捨山かもしれないと思えてきたが、それは明日のわたしの場となるかもしれないのである。

保土ヶ谷区仏向町地区計画の変更の議案は、調整区域地区計画である。これは火薬工場の跡地に大規模な老人ホームを建設するとして、地区計画をかけて、一部の事業ができた。しかし、未着工のエリアのうち用途を研究施設用地に用途指定していたが立地するものがなくて、ここにも老人ホームを建てることにしたと、事業者からの申し出があったので、そのように変更するという。

昔は山の中の火薬工場であっただろうが、いまは市街化区域に接しているから、まわりには共同住宅やミニ開発が押し寄せてきていて、姨捨山ではないようである。 また、ついでというわけでもあるまいが、横浜市から提案して、緑地の指定を増やすことにしたのである。これは都市緑地法によって横浜市地区計画条例に「緑地保全のための制限」を今年から定めたのでこれを適用するのである。この制度は全国で最初だそうである。 この議案は、学識委員の1人から、変更するには事業者からの申し出があったのかと質問があったのみで、全員賛成可決。 仏向町地区計画は高齢社会への対応であるが、次の若葉台団地も少子社会から高齢社会への対応の都市計画である。時代の流れに都市計画が追いかけられている。 若葉台団地は、大規模な公が住宅団地開発であり、1973年に一団地の住宅施設として都市計画決定し、その後3回の変更をしている。 今回は、児童数の減少で学校の統廃合して、2つの小学校と1つの中学校が空き家空き地になったので、再活用で他に用途替えすることを受けたものである。 同じような議案が藤沢市の都市計画審議会でも、市内のどこかの団地で起きた議案があったことを思い出した。 高度成長時代につくった郊外住宅地では、いまや少子高齢化時代を迎えて、小中学校が高齢者福祉施設にかわるという時代の趨勢が都市計画に明確に現れている。

これも質疑も意見もなくて可決。

9.横浜市営地下鉄はただいま違法営業中

すでにとっくの昔に完成して、営業運転している横浜市営地下鉄の都市計画変更が登場した。

工事はとっくの昔に終わっているのだが、調べたらあちらこちらで都市計画で決めた範囲をはみ出して工事をしていたので、後追いで現状に合わせて都市計画変更するという。

実際に工事していていろいろな現場事情で、都市計画で決めた幅をはみ出すことは普通にありうることだろう。実情が優先しているので、これは全くの手続きにすぎない。だから特に問題はないと思ったのだが、ふと疑問が湧いた。

ということは、現在の横浜市営地下鉄は都市計画法違反の状態が続いていることになるのか。都市計画法21条には、変更の必要が生じたときは遅滞なく変更するべしと書いてある。変更箇所の10ヶ所のうち、三ツ沢上町駅は1985年開業だから、25年以上の遅滞である。立派な違法状態に違いない。磯子三丁目の現状と齟齬のある都市計画マスタープランも同様であろうと思う。そこでわたしは違反であるのかどうか質問してみた。

都市計画決定権者横浜市長の代理である都市計画課長の答弁は、まことに苦しそうにむにゃむにゃとして、お気の毒であった。こちらはいじめるつもりはなく、愚直に聞いただけであった。

それはともかくとしてわたしも原案に賛成し、だれも意見も異議もなく原案とおりに可決。

10.都市計画審議会は審議を尽くしているか

今回は最後の議題になった磯子三丁目地区計画は、議論中断で採決にはいったし、その後のいくつかの説明案件もはしょられてしまった。

磯子の件では市民委員から、あまり日をおかないでもう一度会議を持ってはどうか、という提案も出たくらいである。

今回は初めのほうの議案は、ほとんど意見の出ないままでやってきたのに、最後では時間が足りなかった。どの議案も審議を尽くしたと、堂々と胸をはって市民にいえるのだろうかと心配になる。

時間がないのと同時に、果たして議案の内容が、一部の委員は分かっていて議決したのだろうかという心配もある。今回では市議員はあんなに大勢いても、誰もひとことも発言がないとは、実は議案の中味が分かっていないのかもしれないと思えてきたのだ。

わたしの隣に座る市民委員のように、都市計画行政のベテランであった方なら、審議会の場で始めて資料を見てもすぐ理解できるだろう。

わたしは一応は都市計画が専門であるが、それでも現地を見、事前に市の担当者に議案の中味を聞かないと分からないことがいっぱいある。ほかの方はどうなのだろうか。

一昨年の11月に始めて都市計画審議会に出席することになり、市の都市計画課に現地視察をいつするのかと聞いたら、そんなことはしたことがないという返事にびっくりしたことがあった。現地を見ないで都市計画を論じる横浜市の都市計画審議会委員は、みんなすごい能力があるんだと、ちょっとひるんだものだ。

審議会に出てみてわかったのは、そんなことしなくても、黙って座っていて異議無しと言ってさえすれば、恥はかかないということだった。それで委員報酬(わたしの場合は税込み2万円)もらえるのだから、こんないいことはない。

7回やってきて、今の審議会では審議が尽くされているとは思えない。もっと開催回数を増やして、委員は事前の調査を行い、当日は必ず意見を言って、じっくりと審議するべきである。とくに市議は仕事として出席しているのならば、市民から付託されている立場としてしっかり発言するべきだ。

それは現地に行けばこどもでも分かるような些細な質問ではなく、市民から付託された議員にふさわしく、都市計画行政の本質を突く意見であってほしいのである。

わたしは残念ながら次回で任期が終ってクビである。自分で手を揚げて委員を志願し、同じときに志願した他の方を押しのけて選定されたので、いい加減にやっていてはその方たちに申し訳ないので、愚直に委員をやってきた。その次からはまた傍聴席に戻って行くのである。

次回の引退試合はどうするかなあ…。

横浜市は次の市民員の募集を始めた。(2010/07/07)

(追記2010/07/25)

今日、横浜市の都市計画課から、先日の都市計画審議会関係の追加書類が来た。

市民委員のMさんが説明不足であると指摘した磯子三丁目地区計画について、事業者提案と横浜市案との比較対照表と、一括指定している散在する緑地の各位置と面積の詳細資料である。

それはそれでまあよいとして、送り状に次の審議会は11月と予告が書いてある。

ということは、わたしは2年の任期がそのときは終わっていることになるから、いまや既にクビになっているのであった。なんだよ、今年は1回少ないではないか、それでよいのか。仕方ない。

引退試合にはきちんと遺言の挨拶をしようと思っていたのに、残念である。(100725)

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