第2章 ブログが分からん

ブログを始めた(1)投稿が分からん

突然に思いついてグーグルでブログを始めてみることにした。しかし、である。

なんとまあ、作り方の説明の分からんことよ、不親切なことよ、変な日本語であることよ。夕方8時頃から始めて、夜中の2時までかかった。もっとかんたんにできないものかよ~。

ブログは簡単にできる、なんて業界は宣伝しているけど、わたしのような個人WEBサイト開設8年歴のものでも、なんだかまったくやりにくいったらありゃしない。

そこで思いついたぞ、ブログ屋(というのかしら)へのイチャモンを、ブログ開始から順を追って書くことにした。何しろ始めたばかりだから、どこまでいちゃモンが続くのか分からないが、ぶつかるごとに書いておくのだ。

まずは「ブログ」ってなんのことだ、うちのPCでは風呂愚ってでてくるぞ、これもいいけどね。

要するに「簡易納入型電網倉庫」であって、このうち公開か非公開かで使い方が異なるのであろう。

ブログなんて五右衛門風呂で愚図愚図しているみたいな、わけの分からん音感の悪い言葉じゃなくて、公開型なら「簡易著述発表電網書庫」(略して簡著網)とでも言ったらどうか、え、よけい分からん? こまったもんだ。

とにかくブログ屋がつかう用語、日本語らしいのだが、これが分からんのである。

まず、「投稿」にいきなりつまづいた。

投稿ってのは、当事者ではなくて第3者が書いた原稿を、新聞雑誌等に投じるのである。それなのに、風呂愚屋用語では、当事者の著述の記載も、投稿というのであるらしい。

この風呂愚(もうこれでいくぞ)を開設して管理する当事者であるわたしが、記事を書き込むのは普通は投稿とは言わない。

だから、わたしがどこをいじったら自分の記事を書き込むことができるのか、しばらくは分からなかった。

ためしに投稿をいじったら、なんとこれが記事原稿を書き込みして掲載するところだった。ちがうだろう、。

これでは本当に第3者が投稿した記事と、わたしの掲載記事とが区別つかないだろうよ、おかしいと思わないのか?

初期画面にある投稿の記述を書き換え可能なところは「記事掲載」と書き換えたが、書き換えられないところがいっぱいあるので迷う。

とにかく操作ための入り口用語が分からないのである。

ブログを始めた(2)ヘルプが分からん

開始から2日目である。ようやく書き込みできるようにページが開いて、2日目の記事を書く。しかし、本日ここまで来るのさえ、よく分からなかったのだ。昨日は開始したばかりの初期画面だったから、あれこれなんとかできたのだ。

だが、今日はこれから、今書いていることをブログに掲載できるかどうかさえ、いまのところ分からない。

本日の出だし部分までを、インターネットエキスプローラーの「お気に入り」(これが気に入らないのだが)に昨日登録していたので、わがブログページはすぐ登場した。

だが、本日の記事を書き込んでブログ画面ページを更新をするには、いったいどうすればよいのか分からない。「書き込み」とか「更新」というところがないから、しばらくブログ画面をにらむ。

まずは「ブログ作成」にちがいないと、矢印を持っていって鼠を押せば(クリックか)、なんだこれは、ブログを新規開設する画面だぞ、だったら「作成」じゃなくて「ブログ開設」って書いとけよ。

戻って、じゃあ「ログイン」かなと押せば、なんだかごちゃごちゃ書いてるページが出たが、ここにも「書き込み」はない。

それじゃあ「設定」かなと押しても、やっぱり違う。

しょうがない、大嫌いな(役に立ったためしがない)「ヘルプ」を見るかと押せば、おお、全文英語が出たぞ、Oh、Help!ってしゃれにもならない。全くヘルプにならないヘルプってのを、ヘルプとして用意しているブログ屋の度胸がすごい。

しょうがない、また設定に戻って、ヘンだけど自分のブログに自分で「投稿」するしかないかと「投稿」を押す。そして今、こうやって本日の記事を書いている。これでよいのか?

新聞でも雑誌でも、その編集者や発行関係者自身がそこに「投稿」するとは言わないモンですよね。

さて、この「投稿」がブログにどう登載されるのか、とりあえずここらで原稿記入中断して「投稿を公開」を押すぞよ、、果たしてどうなるか、この続きはまたあとで、。

ブログを始めた(3)編集が分からん

というわけで「投稿を公開」をしたら、「ブログの投稿を公開しました」って出てきて、おそるおそる「ブログを見る」ってところを押したら、おお、今書いた記事が本文の初めにのっているぞ、よそからの投稿ではなくて、自分の掲載記事の体裁となっている。

だから「投稿」じゃないんですよ。「書き込み」と直しなさい。

ところが「記事の投稿・・」ではなくて「ブログの投稿・・」と書いてあるから、記事をブログというのだろうか?

ブログってのは、この記事等公開システム自体をいうのと思っていたのだが、、。

それとも 「ブログへの投稿・・・」の書き間違いか? 正確には「ブログへの掲載・・・」と思う。

さてこんどは、この記事の続きを書きこむにはどうすればよいのか分からない。

しょうがない、MSIEの「戻る」を押す、そこの「投稿を編集する」をためしに押したら、さきほどの書き込み中の原稿記入画面が登場して、今これを書いている。

だけど単に記事の追加とか訂正を、「編集」とはいわないもんだぞ。画面ページの構成を変えることまで含むときに「編集」というのだから、ここは「書き換え」とするべきだよ。

単に「投稿を編集する」と書いてあるが、でてくるのは先ほど掲載分の原稿である。「最新の投稿・・」いや「最新の記事を書き換える」とするべきだろう。

では昨日の記事に誤記入があった場合は、をどうやって「編集」、いや「書き換え」するのか?

ここのほかにもあちこちに「編集」とあるが、それらの内容は「書き換え」である。多分、もとの英語版がeditになっているからだろうが、バカの直訳はいけないんだよ。

あ、そうだ、昨日のことである。今見る画面のページ構成のように、「テンプレート」のままでは気に食わないので、あちこち「カスタマイズ」したのである。

あのな~、「既製表示例」がなんで「テンプレート」なんだよ、

「表示変更」がなんで「カスタマイズ」なんだよ~。

「ヘルプ」じゃなくて「使い方」だろっ(もっとも中味が英語じゃあ「お助け」にもならん)。

な~んの翻訳もしないで、バカ直訳とカタカナにしただけじゃんかよ、。

日本語を知らない人が、このWEBLOGシステムの日本語版をつくったらしい。

ブログを始めた(4)コメントって?

さて3日目の挑戦、っていうほどではないが、まだまだイチャモンは続くぞ。

今回は、前回の終わるときに「投稿を編集」なるページをみつけて、これを「お気に入り」(気に入らんな)に記録しておいたので、そこから入ったら簡単であった。

本題に入る前にちょっと回り道。MSIEの「お気に入り」を、言葉としてわたしは気に入らないのでに、ここでイチャモンつけておく。

ほかは検索とか表示とか編集とか硬い言葉なのに、なんでここだけ妙にクダけた用語なんだろう。

それなら、「戻る」は「お戻り」、検索は「お探しもの」、表示は「お見せ」、編集は「お書き直し」、「ヘルプ」は「お助け」に、それぞれ直しなさいよ。

「お気に入り」を、普通にほかと同じような言葉に統一するなら「閲覧簿」か「閲覧控え」だろう。

さて本題に戻る。

こちらで既定の表示を直せないところがあまりに多いので、心に抵抗あるままにストレスを抱えて、われとわが風呂具に「投稿」をする。

記事記入→記事掲載→記事公開→記事訂正→記事再掲載→記事再公開というサイクルとなる順序を、このような普通の日本語を使って、ブログシステムできれいに用意してほしいものである。

第3者がこの風呂具の記事を読んで、本当に「投稿」しようとしたらどうすればよいのか、自分で実験してみた。

ところが、今度は「投稿」という記載がブログ画面にないのである。

え、日本語では投稿資格に抵触するはずの自分は投稿できて、投稿資格のある赤の他人は投稿できないのか?

よく見ると記事の最後に「コメント」とあったので、これかと押せば記入欄が出てきて、書き込みして「投稿」を記載した。で、ブログ画面に戻って載っているかどうか見たけど、それが無いのである。

まあ、その後いろいろいじっていたら出てきたのだが、いろいろいじらないと出ないってのが、どうも不可解である。どこをいじったか忘れた。

ところで、原稿書き込み用画面は、たった14行だけの表示である。あのなあ、お買い物のメモを書くんじゃないんだよ、ケータイメールじゃないんだよ、きちんと記事を書くならこれじゃあ少なすぎるんだよ。

長文書く時にはそれまで書き込んだことも時々見返しながらやるもんなんだよ、いちいちスクロールしてめんどうでしかたがないよ、なんとかしなさい。これは後で修正するときに、その場所を探すのに特に面倒である。これ作った奴は長文を書いたことがないんだろ。

しょうがないので、時々「投稿を公開」を押して、ブログ画面に行ってみて読んで、またこちらに戻ってきて書き続けるのである。

それにここが「コメント」って言葉でよいのかしら。

コメントを言うのはコメンテーターであり、なんだかどうも、立派なご意見を言わなければならない感じである。

ここは意見ばかりか、質問とか、関連情報のおしらせとか、挨拶とか、気軽に投稿したいこともあるでしょうにねえ、。こここそ「投稿」と書くべきところなんだけどなあ。

さて、ではこのあたりで、イヤなわが原稿の「投稿」をするか。

ブログを始めた(4)密林探検だあ

さて4日目である。今日の画面では、各文末の「コメント」の表示がなくなっている。

実は昨日のこと、あちこちいじっていたらコメントを管理するページに出くわしたので、表示しないように設定しなおしたのだ。

そこまではともかくとしても、今日、そのコメント表示をしないように設定したページを見つけようと、あちこち探ったが、どこにあるか分からないのである。元に戻せないのである。

これは実は、ほかにもいっぱいそういうことがおきているのだ。昨日はできたのに、今日はもう分からなくなる。

要するに、その設定したページにたどり着くのに、論理的に表示をたどったのではなく、たまたま鼠を押したらでてきたから、そこに着いたってわけである。

つまり、用語から内容を判断して押しても、まったく違うものが出てくるのでそうなってしまうのだ。

それでもなにか出てくると、おお、ついでにこれをちょっといじくってやろう、となるから、妙な横道に入り込んでしまう。

だからもう一度そこに行こうとしても、そのページとは偶然の出会いだから、再会が無理なのである。これはもう密林探検だよな。

このブログにかぎらず同じようなことは、コンピューターのソフトウェアには実に多い。

ブログは超高齢社会を救う

ここまでの風呂愚開設騒動をあれこれと書いていて、ハッと思い当たったことがある。

この風呂愚もそうだけど、風呂愚屋やコンピューター屋が、年寄りをあれこれと腹を立たせてくれるのは、もしかしたら、わざわざそうしているのかもしれないなあ、ということである。

なにしろ、コンピューターではなにか新しいことをやろうとするごとに、あるいはちょっとした故障ごとに、もうわけの分からない面倒なことが起きてくるのが通常である。

そしてその度に腹を何度も何度も立てているが、それにもめげずに何とか立ち向かっていると、そのうちになんとかかんとか解決する。

最近のこと、同世代の友人が光ブロードバンドに変えたら、ほとんど1か月間わけの分からないことに巻き込まれて、あちこちにお助け電話しつつ、まるで銀行で詐欺犯に振みさせられている老人の気分でキーボード操作をさせられて、ようやく元に戻った体験を書いてきた。誰も似たような経験があるだろう。

善人はそうやって、ああ、よかったなあと、つい喜ぶのである。

しかし、である。実は、それは何も創造的なことが起きたのではなくて、単に元に戻っただけなのであったと気がつくと、また猛烈に腹が立ってくるのである。

ところが、である、こうして毎度毎度腹を立てていると、廊下、じゃなくて蝋化、じゃなくて老化の進むわが脳が活性化してちょっとは元に戻るし、キイボードをたたく指先を使う運動も脳によろしいとか、つまりぼけ防止に大いに役立っているような気がしてきた。

そうか、これまで腹を立ててコンピューター屋をバカ呼ばわりしていたけど、わけの分からんことをさせていたのは日本の超高齢社会を救うボケ防止策だったか、つまりこれは企業のフィランソロピーなんだな、ソーシャルビジネスなんだな、そういう遠謀深慮があったのか、だとすれば本当は感謝するべきであったか、すまんすまん。

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