第7章 電話もテレビもおかしい

ラテカトケ

わたしが30代の頃、つまり40年も前のこと、どこかで開発してくれるといいなあ、と考えていた商品がある。

その名は「ラテカトケ」。

ラジオ、テープレコーダー、カメラ、時計、計算機が一体になった軽量小型携帯機器である。電話とテレビが無いところが、時代をあらわしているというか、わたしの頭がまだそこまで回っていない。

90年代初めの現役でもっとも忙しい頃、わたしがいつも持ち歩いていたのは、デジタルカメラ、携帯電話機(時計にもなる)、ICレコーダー、iPod(ハードディスク)、モバイルPC(計算機に使える)と、それぞれ別の代物であるが、あわせるとラトカトケになるのだ。

だが重い、面倒、かさばる、高価だ。

20年前ののわたしの頭ほどにも世の中は進歩していない、と思っていたが、それから20年、今はスマートフォンなるケータイに総てがそろって備わっている。

わたしが考えていたことは、40年もたって世紀が変ってからようやくできたことになる。

ケータイがつながらん

Soft Bakaの携帯電話機を買った。安さについ惹かれてDOCOMOから乗り換えたのだ。 ところが、この電話機はインタネットにどうしてもつながらない。機械0円月980円安物とはそういうものなのか、それとも私の設定に問題あるのか、、。 しょうがないからマニュアルを端から端まで見てもよくわからないのは、いつもの通りである。こんなものは分からないものとこれまでの経験でわかっているのに、また読もうとする自分がばかばかしい。 何とかメールがつながるようになったのは、手に入れて3日目である。その電話屋Soft Bankが決めてきたメイルアドレスが、乱数表から取ってきたらしく、でたらめな英数字が10数字も並んでいて気持ちが悪い。で、これを変更しようといじっていると、もうすぐできるというところまで行くと、何やら(ローマ字3字で意味不明)をしてないからできないと言ってくるのだ。ところがその画面から、なにやらをどうする画面にはどうやっても行けない。 その馬鹿文字列のままでやるかとあきらめて、弟にメイルアドレス通知を出したら笑われてしまった。癪だからまた変更に挑戦すれども相変わらぬありさまで、遂にあきらめて買った店に行って女店員に変更させた。

何でも自分でできると思っていたのに残念であるが、これは明らかに電話屋のSoft Bakaのせいである。変更手続きの教え方が悪い、なっとらん!。余計な手間を取らせた時間の補償をしてくれ。

ケータイを替えた

1995年頃から持っていたドジモって通信屋の懐中型無線式情報通信装置、いわゆるケータイを買い換えたのは2005年のことだった。

ソフトバカって通信屋が安い料金コースで売り出してきたし、番号を変えなくてもよくなったので、そちらに乗り換えたのだった。

よくわからないが2年間のうちにまた乗り換えたら多額の金を取るぞって、契約書に書いてある。まあいいやと、そうした。

ところがそのソフトバカ電話機は、出先でかけようと思うとながらないところが多い。

数名の仲間と一緒に行動しているときに、わたしだけつながらないことも多い。よく行っている中越山村の法末がまさにそうである。

でも貧乏人は2年を我慢したのだが、やっぱり元のドジモに替えることにした。

さて、ドジモであるが、何でもいいから一番安い機器と料金にしてくれと、店のお姉ちゃんに頼んだのであった。

なんでもいいっていいながらも、デザインが気にかかる。年寄り向けのもあったが、あれはデザインが悪すぎるぞ、バカにするな。

一番安いのにしても、変更イニシャルコストは、手続料金5250円、電話機代金7245円(どういうわけかいろいろな理由をつけて2万円以上も割引である、それならはじめから安くしてもよさそうなものを、)がかかった。あ、この原資は政府からいただいた低額(定額だったけっか)給付金だったな。

なんだかいっぱい分けのわからない料金コースやらガキの喜ぶ機能があるけど、電話がかかってくればいいよ、たまにはこちらからもかけるけどね、インタネットはモバイルPCでやるし、テレビもゲームも嫌いだしね、なんて頼む。

で、月当たりランニングコストは、基本料金980円+利用料金(40円×利用分数から1000円を差引いて、しかも0円以上)で、見かけ上は安いが本当に安いかどうかわからない。

それでもその手続きやら設定に1時間以上かかった。これが普通なのか彼女がドジ子ちゃんなのかわからないが、けっこう大変なんだなあ、人件費もかかるなあと思ったのであった。

住所のわかる身分証明を見せろという、ちょうど持っていた健康保険証と健康保険料領収書をだした。で、それをスキャンしてデータコピーしようとする。

「おい、ちょっと待った。なんでそのコピーがいるんだよ、住所確認できたらそれでいいのだろ、わたしの保険料まで知る必要ないでしょ、個人情報についてもっと注意しなさいよ」

彼女はびっくりして、となりの先輩らしい女性に聞いている。で、コピーは、やめになった。

でも、こんなこと誰も言わないのか、教育受けてないのかって聞くと、

「ハア、流れで作業していて、すみません、たまにあります」

またもやうるさい爺でした。

外で人と話をするのが、だんだんといやになってくる。相手をいやなるではなくて、あれこれとひっかる自分がいやになってくるのだ。手続きの教え方が悪い、なっとらん!。余計な手間を取らせた時間の補償をしてくれ。

ケータイとPCのアドレス

どうしてpersonal computerとmobile phoneとが、それぞれ別のアドレスを持たねばならぬのか、どうして家にあるip phoneとmobile phoneとは、番号が違わなければならないのか、それが疑問である。

技術的な何かがあるのだろうが、それはわたしが知ったことではない。もしかしたらIT業者が余計に売りたいからだろうか。

その面倒な別々システムについて、なんで世の人たちは文句を言わないのだろうか、不思議なのである。技術者もそんなことを思っていないのだろうか。

インターネットができる携帯電話だというのだが、プロバイダーもメールもPCとは別契約だというので、余計な金払うのも馬鹿らしいので買うのをやめた。

iPhoneでは、家にあるPCと同じアドレスでインターネットにつながるというので買おうかと思ったら、別にケータイ用のアドレスも必要条件だという。それも地方でのつながる確率が低いsoft bakaでないと加入できないらしいので、買わないことにした。

それにしても、なんだかんだと機能があるが、ガキの遊びが多すぎて、ジジのビジネスにはどこかチグハグ感を免れない。

カードと携帯電話

乗り物のナントカカードを持っていない。電車に乗るとき、必ず切符を買うことにしている。

だって、事前に大金を取っておいて、金利を払わないなんて、悪徳高利貸よりももっと悪い。資本主義社会のテキである。よく皆さんはそんなことが平気なのですね。

あれは鉄道屋さんの手数が省けるだけで、乗るほうは金利の損だけである。

それに、大きな声ではいえないが、キセル乗車もできなくなったしなあ。鉄道屋さんは、それまでキセルで損してもやっていけていたのだから、いまやかなり儲かるようになったに違いない。

金利をつけるようになったら、カントカカードを使うようにするつもりだ。その頃はカードシステムはなくなって、携帯電話に仕込まれるシステムになってしまっているかもなあ。

ところがわたしの携帯電話機ではそれはできない。ネット接続機能をつけていないから、文字通り携帯電話機である。

仕事していた頃はもちろんネット接続していたが、今は必要ないからやめた。

携帯電話機そのものも必要ないかもしれない。母がもしものときのために必要だったが、それも終った。

いまや、時計が一番の用途、次がカレンダー、3番目が電話、ほかはなんにも使っていない。やたらめったらある機能はみな枕を並べて死んでいる。

たまに、つまらない会議中に、無音モードにしている携帯電話にかかってきたフリをして、外にしばらく抜け出すのに使っている。これは役に立つ機能である。

ネット接続もテレビも家のPCで十分である。そもそもテレビをめったに見ないから、ワンセグ(これは珍妙な造語である、ワープロなみだな)なんて必要などころか、電車の中でまでテレビ見たいヤツの気が知れない。

その一方で、携帯電話機で話すだけのものが発売されて、大いに売れているという。

高齢者に人気ってところが引っかかるが、IT馬鹿どもも世の中のことに少しは気がつくようになったか。

だから前から俺が言ってるだろ、PCだって変換能力抜群のワードプロセサーだけありゃいいんだよ。

公衆電話が役に立った

わたしは知らなかったのだが、山形県の米沢はNHK大河ドラマの舞台であるとか。

そんなことを知らずに、山形市から東京への帰り道に時間ができたのでちょっと寄ったら、寒いのに観光客が多かった。

でも、わたしが見たかった米沢の超目玉のお宝「上杉屏風 洛中洛外図」は、この日は模様替え中とて公開していなかったのだ。なんだよう~、遠くから雪の中をわざわざ訪ねたのに、。

で、米沢から新幹線に乗ったら、めずらしく自由席が満員だった。連休最後だからか。

新幹線で満員とは、昨年秋の田んぼの稲刈りの帰りに長岡で乗って以来だ。あのときは稲刈りの重労働に比べりゃ、電車内で立っているだけなのは楽なもんだ、と思って我慢した。

今回はその前に米沢の街歩きで足が棒になっていたので、立ちんぼはいやだ。大勢がデッキや通路でお行儀よく立っている。

それを尻目に、ちょうど便所の隣に公衆電話のアルコーブがあって、そこにヨッコラショと座り込んだ。こちらはまあ、恥ずかしがっている歳ではない。 ビール飲みつつ弁当も食った。

で、初めにちょっとだけ心配したのは、電話をかけに来る人にはジャマだよなあってことである。でも、すぐに思い直したのは、近頃は公衆電話は使わないってことである。現にその後に降りるまでの2時間に誰一人電話をかけに来た人は居なかった。もちろんわたしも公衆電話器には用はない。

というわけで、久しぶりに公衆電話が、それがあるという事実が、役にたったのであった。やっぱり、これはなくしてはいけませんよ。

血出痔問題

テレビを見ないから、今あれこれといわれている出血樽やら血出痔(キタナイ略語だね)放送問題に興味が無い。なんでももう何年かしたら、わたしのうちのテレビでは放送が見られなくなるのだそうである。 勝手にそう誰が決めたのか知らないが、その理由はいつか専門家に聞いたことがある。 高度情報通信時代になって、限られた電波を有効に使うために、電波を使っている各種の放送や通信の使い手たちに、使い方に対応して周波数を再配分するのだそうである。そうすればテレビジョン放送も沢山のチャンネルが使えて便利ですよってことらしいが、そもそも今の放送内容があれほどくだらないものがおおいのに、この上さらにチャンネル増やして何を放送するのか不思議ではある。東京では今までの東京タワーじゃ足りないので、別のところにスカイツリーとか言って、新TV塔を建設だそうである。宇宙から送ればよさそうなものを、なんで地上の塔なんだろうか? でも、世の中そういうものなら勝手にどうぞである。 ◆ だが問題は、私だってたまに映画とか重大ニュースはテレビジョンで見る。それを見られないとなったら困ると思ったが、インタネットで見ることができるようになるらしいのでこれは問題は無い(らしい)。 今のテレビを大好きな人たちには買い替えの問題があるのは分かる。でも、あんなしょうもない放送を見たいのなら、それはお好みの問題だからご自分の金で新型受像機を買えばよろしい。 なんなら、そんなものでも見てもらいたい番組提供スポンサーが、新型受像機を提供してはどうか。 これで電器屋さんたちが一儲けした上に、電器ごみが沢山出るのが癪に障る。このごみをどうするか、どこかの途上国に輸出するのかしら、、。 ところで、今の受像機で見ることを前提の受信契約しているNHKからは、一方的処置に伴う私の所有受像機無機能化に関して、なにか補償してくれるのだろうか。

NHK「このたび当方の勝手な都合でお宅様のテレビ受像機が使えなくなり、まことに申しわけございません。これはお詫びのしるしの鏡でございます」

こちら「どうして鏡なんです?」

NHK「これを使えなくなったテレビに貼り付けると、お化粧用の鏡台として再利用できますので、、」

正式には「地上デジタルテレビジョン放送」だから(総務省サイト)、略語は「地デテ」だろうに、あ、「血出て」かあ、、。

だが、この地上が分からない。地面の上をゴロゴロ転びながらかノソノソ這いながらか、TV放送の電波がやってくるのだろうなあ。となると外を歩いていると、体の中をこのデジタル電波か何かが通り抜けるのか、大丈夫かあ?

地上があればやっぱり地下デジ、おっと地下デテとか空デテとかも当然あるのだろうなあ、何が違うのだろうか? 地下室やトンネル、飛行機や超高層ビルでTV見るときに使うのかしら。わが家は7階なので地上デテか空デテか、どっちなんだろう? 受像機は違うのかしら?

総務省からお手紙が来た(2009年6月)。また低額給付金くれるかと思ったら、「血出痔の準備、お願いします」というパンフが入っている。

2011年7月24日以前のテレビ画面は富士山が写っていて、25日は白いゴマが沢山写っている。どうしてかわからないが、要するにその日から今のテレビが見えなくなるそうである。

だから、総務省がお詫びに補償金を支払ってくれるって、そういうお知らせだろうと読んでみる。でも、そんなことは書いてない、ヘンである。

血出痔は思ったより簡単に始められます、なんて書いてあるのだけど、テレビを買い換えろ→4万円、チュナーを買え→1万円から4万円、ケーブルテレビにしろ→2万円から10万円、、、おい、当然にその金をくれるんだろうね。

金をくれないのなら、なにが思ったより簡単なんだよ、その金の工面がえらく困難であるぞよ。

おや、「悪質商法にご注意ください」なんて書いてあるぞ。どこかの名をかたって不正請求するヤツがいるから気をつけろとある。そうかあ、わかったぞ、これって総務省を騙る悪質商法のパンフにちがいない。

だって、近いうちにテレビ放送が止まります、続けて見たいならあれやこれやお買いなさい言っているじゃん、これこそ悪質商法のきわみでなくてなんであろう。

本当に総務書からのパンフなら、「政府としてこう決めました。国民の皆様に不利益を与えることになりますので、憲法第29条によって補償金を支払います」って、こう書いてあるのが常識のように思うぞ。

血で痔対応TV受像機の普及は、まだ6割くらいとかで、一番普及は7割弱の福井県、もっとも未普及は4割弱の沖縄県だそうだ(2009年5月)。これは何を意味するのだろうか?

福井県人はTV番組を見るのが好きなのか、ほかに娯楽が少ないのかなあ。

沖縄県人はあまりTVに関心がないのか、ほかに娯楽がいっぱいあるからか。となると、わたしは沖縄県人に近い性格なのか、意外であるが、嬉しいような気もする。

わたしは思うのだが、どうだろう、このまま誰もTV受像機を買い換えないで、血で痔放送開始と共にTV廃止するのである。あんなくだらないショウもない、ラチもない代物をみているのは(見ないのになぜ知っているかというと、飲食店に行くとたいていTVがあってうるさいからだ)、TV放送が始まって珍しいから見ていた時代から惰性であるだけなんだろ。

ここらでやめてもなんの問題もないどころか、利口にはならないにしても、あれを見て馬鹿になるチャンスが少なくなることは確かだ。

うるさいTV

飲食店のテレビには本当にうるさくて困る。

消してくれとは気が弱いからいえない。たまにTVをつけてないのでほっとすると、サービスのつもりでつけてくれるのには、困る。行かないようにするしかない。

よそ様の家を訪ねると飲食店と同じように、居間にTVがつきっぱなしでやかましいのに、平気ですごしていることにたびたび出会う。

こちらは客だから、うるさいから消してくださいと言いにくいので辛抱しているが、TV嫌いはほんとうに困惑する。

最近はTVの画面の中がやかましいから、なおさらである。見た目もやかましい。

ずらずらと派手な格好のネエチャンアンチャンが大勢映っていて、大きな声でしゃべりあっている。内輪話で笑うから、こちとらはあほらしくなる。

ちょっと静かな画面になったと見ると、小窓からアホ面が覗き込んでいて、大口開けてアホ面がますますアホになる。見ちゃいられん。

昔昔、街頭テレビってのがあった。

テレビカーという電車が走っていた。

昔、タクシーにTVがついていたこともあった。

どれもなくなって、日本人もアメリカさんから精神年齢12歳って言われたときからちょっとは成長したかと思っていたら、今やなんと携帯電話機でTV放送を見るのだから、馬鹿は死ななきゃ治らない。

そういえば、昔々にイギリスさんからからもウサギ小屋といわれてからもうどれくらい経ったか、名ばかりマンションで相変わらずウサギ小屋は健在だし、不況で住宅難民が大量に出るようでは、その小屋にさえ住めない人もいる始末である。バカ政策は死んでも治らない。

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