第5章 デジカメが分からん
出痔樽カメラ
カメラを買った。デジタルカメラを買うのは、これで4つ目である。最初は2003年くらいだったろうか。
建物や街並みを写すことがほとんどなので、広角が必要である。フィルムカメラも広角を使っていた。
もちろん、ハンディなコンパクトカメラでないと、あちこちもって歩いてやたらにぱちぱち撮るのに不便である。記録だから高精度の画像が必要ではない。
広角レンズ(加えて単3電池兼用、日付写しこみが条件)のデジタルコンパクト機種が出るのを辛抱強く待っていた。
ようやく条件に該当する28ミリのRICOH Caplioが出たので早速買った。その1年後に性能が上で形が更に小さいCaplioが出て、また買った。
それを2年くらい使っていたが、レンズカバーが閉まらなくなり、ズームが動きにくくなった。
その頃になると広角レンズカメラがでまわるようになり、ixy900isを買った。単3電池兼用でないのが不満で、ときどき電池切れになる。
このカメラは一度、便器にボチャンをしても何とか生き返って使っていた。その後、液晶画面が表示しなくなっても、目でのぞくファインダーがあるから今日まで使ってきた。
Caplioは主に録音機として使っているが、予備的に本来のカメラとしても何とか勤まる。
それにしても、デジカメっていうのは語感が悪い。出痔亀なんて、、。もっとすごいのは血出痔ってのもある。
カメラが便器にボチャン
ズボンを脱ごうとしたら、なにかがポケットから落ちてガチャン、ボッチャンと音がした、ウワッ、カメラが水にっ、すぐに手を突っ込んで拾い上げ、首に巻いていたタオルで一生懸命に拭く。
ここに来てやるべきことは忘れてしまって、きれいきれいに拭きに拭く、まあ、事の後でなくて事前だから不幸中の幸いかもなあ、、う~む、これくらいすばやくきれいにしたから大丈夫かなあ、。また拭く。
不安にかられながらスイッチオンする。ありゃ、液晶に水の模様があるぞ、シャッターを押してみる、あれ、写らないようだぞ、、う~ん、あ、だんだんと液晶が消えていく~。
後で聞いたら、すぐにオンしてはいけないんだそうで、乾くまで待つといいらしいが、そんなことは知らないから、ああ、。もう液晶は真暗で、シャッター押してもうんともスーとも言わない、ご臨終である。
これは一昨日夕方のことである。あきらめてそこらあたりに放り出しておいた。コンパクトデジタルカメラって、修理っていくらくらいかなあ、いや、新品を買うか、、不調なので引き出しに入れてある以前のカメラを出して使うか、。
昨日朝おきて、念のためスイッチを入れてみると、お、何も映っていないがぼんやりと明るく液晶画面が見えるぞ、ファンクションボタンを押すとあれこれの記号も登場する、時計も見えるぞ、生き返ったか。
では写るのかしら、乾燥して治ったのか、喜びつつシャッター押すと発光して写っている様子。 おお、液晶はで見えないが実は写っているのか、いそいそとPCで見たら、ああ、ぬか喜びだった。
今日もあまり変わらないが、なんだか液晶画面に向こうの景色が見えないこともない。
明日になるともっと治ってくるといいなあ、、。
ご臨終から生き還ったカメラ
便器におとして、一時は水死したと思ったデジタルカメラは、3日目にはやっと目を開けたが撮影不可の重症、そして4日目の朝には一部にボケはあるが撮影できるように軽症になってきた。
貧者の百科事典であるWEBで調べると、水に落としたカメラはオンには絶対にしないで電池をすぐはずして、とにかく乾かすしかないらしいとわかった。
電池をはずすのはうっかり手遅れだが、なおなお乾かせば全快するかもしれぬと期待して、昨日は電池入れやUSB接続など蓋のあるところは全部あけたまま冷房した部屋に放置しておいた。
さて本日は溺死状態から5日目、恐る恐る電池を入れてスイッチオンにしてみれば、液晶画面はくっきり、おお、治ったか。でも、隅から隅までよく見ると、右上の端っこにまだなにか水のようなものがある。それでも注意しないわからないくらいになっている。
あと一息で全快するだろう。とにかく良かった。
WEBをあちこち見ていたら、このようなカメラを安く買う人がいて、それを分解して乾かし掃除して修理するのだそうだ。電子機器となったカメラは治らないものとも思い込んでいたが、そうでもないらしい。
ただし、カメラ製造業者もそれをやられては困るからか、いろいろな螺子類を使っていて、分解には結構面倒なことを要求しているようである。もっと簡単にできるようにしてはどうか。
PCも昔はマニアでないと中味に取り付くのが不可能だったが、今は素人でもなにがしかできるようになっているのだから、カメラだってできそうなものだ。
カメラ液晶表示がダウン
デジタルカメラ(キャノンixy900is)の液晶画面が壊れた。
それでも光学ファインダーがあるので、そこから見定めて撮影すると、画像は写っているので、カメラの機能は死んではいない。
それでも一応、修理に近くのキャノンの店に行って聞くと、液晶画面だけ取替えは約1万円だと言う。ちょっと悩んだが、頼んだ。
その日の夕方電話がかかってきて、カメラを開けてみたら、水に浸かったらしくてあれこれおかしいので、直すとなると新しく買うほうが安い、と言われた。
う~む、以前に便所にボチャンしてから生き返ったのだが、やっぱりプロから見るとダメらしい。
しょうがないので、そのまま返してもらった。ファインダーから覗けば撮影はできるのだが、問題は設定を変えることができないのである。でもまあいいや、と使うことにした。
しかし、このままでも困るので、同じ型のカメラの中古品をインターネットで調べると、1万5千円前後で売っている。近くのソフマップに言ってみたら、1万円ほどで、ちょっと液晶に黒点があり、画像にも影響が出ると書いてあるixy900isがおいてある。う~む、どうしようかなあ、、考えているけど、、、。
それにしても、液晶画面が見にくい明るい屋外の風景撮影がほとんどなので、光学ファインダーがあるこのカメラを買っただが、まさか液晶が壊れるとそれが役に立つとは思わなかった。
まあ、昔のカメラはみな光学ファインダーだったし、設定を微妙に変えることもないし、しばらくこれで行こう。
ところで、この型から後の新製品で28ミリのデジタルコンパクトカメラのどれにも、光学ファインダーがついていないのである。どうしてなのか、明るい山や海などで移すと困るのだ、なんとかせい、。
中古カメラを買った
デジタルカメラ(canon ixy 900is)の液晶表示画面が表示しなくなって1年1か月、この間、液晶表示がなくても目で覗くファインダーがあるから、特別に苦労しなくてこのカメラを使ってきていた。
でも、液晶画面を見ないと設定の変更ができないから多少は気になってはいて、同じ900isの中古品か、910isを買いたいなあと、ときどき中古カメラ店やインターネット市場を見てはいた。
このふたつに決めていたのは、電池が同じだからである。わたしは都市景観の記録に使っていてカメラをかなりこき使うので、液晶表示をして使っていると電池消耗が著しい。
予備電池を買おうと思ったら5000円もするので、ちょっとばかばかしい。そこで、これらの機種を買えば予備電池もそろうのである。
しかしどちらもなかなか見つからない。見つからなくても困らないので、探すのが楽しみみたいなものであった。
それがついに今日、900is中古品を横浜駅前の店で見つけてしまい、買った。8820円であった。見たところほとんど新品だからから安いと言えよう。
欠陥商品だったら1週間以内ならば引き取ると、店の人は言った。
このカメラは新品にしか見えないし、けっこう使い良い。
予備電池がついていたから、これまでのものと合わせて2つの予備電池となって、これで電池切れの心配はなくなった。
アナログカメラ
デジタルの対極にある乾板用のカメラを持っている。
1995年に逝った父の遺品に、ガラスの乾板(65×80ミリ)に写す蛇腹式写真機がある。カメラというよりも写真機がいかにもふさわしい。
父のアルバムにある古い写真から判断して、初めて子(夭折したわたしの姉)が生まれた1935年に購入したようである。
その後のアルバムの様子では、1940年頃までは使ったらしいが、戦争時代になると乾板は手に入れられなくなるし、写す当人の父は兵役で居なくなるし、その留守中にわたしが玩具にして壊したりした。
それでもわたしが中学生くらいのときに何とか使えないものかと、カメラ屋に相談に行ったことがあったが、もう乾板を売っていないからだめといわれた記憶がある。
カメラの名前は「KINKA HAND CAMERA」と書いてある。日本製だろか。
今ではさわると壊れるくらいに、ぼろぼろとなっいる。もう処分しよう。
父は映像に趣味があったらしく、手回し式8ミリフィルム映写機があり、商用に撮影されたフィルムが2巻あった。そのひとつがチャップリンの出演するものだったが、もうひとつはなんだか忘れた。
幻灯機もあり、絵を描いたガラスを透過して写すものだった。絵の内容は宗教的なものだったような、うろ覚えである。
小学生くらいまでは時々見て遊んだ覚えがあるが、わたしが物心ついてからは、父にそのような趣味はなかったようだ。
どちらの機器ももうないが、超アナログ機器である。今あれば骨董品として価値があるのだろうか。
いつの日かわたしの遺品のPCやデジタルカメラを見て、同じようなことを孫の世代が思うだろうか。