第1章 自分のPCなのに分からん

害虫がついた

ある日のこと、わが家のコンピューター(FMV)のヤツが馬鹿になった。変なことを何度も繰り返し画面に出す。

「Remote Procedure Callが異常終了したために、、ウンタラカンタラ、、、ただいま仕掛け中のファイルを早く保存しないとなくなってもしらねーぞ、ナンタラカンタラ、」

そして50秒くらいのカウントダウンを始め、やがてシャットダウン→再起動を、ご主人様の私にことわりなしに勝手にやるようになった。

このやろう、どうしたんだ、お前はオレの持ち物だぞ、オレに命令する権利はないぞ、コノヤロー。

なにか治療方法はあるのでしょうかと、まわりのあちこちに病状を吹聴して、多くの方々のお見舞いとご助言をいただき、これはどうやらコンピューターに新種のバイキンが棲み着いたらしいと分かった。実は初めてである。

助言に従い、あれこれと病気を診察してみると、これはW32.Blaster Wormなる名前の害虫がいつの間にか寄生していて、こいつが勝手にPCを再起動カウントダウンさせるのだと、ようやく分かった。ウィルスじゃなく害虫である。

そこで苦闘4時間の大手術の末、「worm has been succesfully removed from your conmputer!」と出て、駆除除去に成功した(らしい)。

この間、ノートンさまが「脅威のウィルスだぞよ」と脅してくるそばで、なんだかわけの分からない日本語の駆除マニュアルを読みつつ、何回も失神させたり生き返らせたりしながら、手間ばっかり掛かったあげくが、ただ単に元に戻っただけだから、この4時間はなーんにも成果がない。

そう、人間のからだの病気治療も考えてみると同じで、治ったと喜んでも実は元に戻ったので、得るものがあったわけじゃない。

もしかしたらこれは誤診で、明日になったらまた害虫ぞろぞろかもしれないなあ。

わたしの1980年代はじめ頃からの長いコンピュータ通信歴で初感染した記念に、この虫を剥製にして保存したいのだが、どうすればよいのでしょうか。

これで儲かるのはウィルス駆除ソフト屋さんんばかり、もしかしたらウィルスはウィルス駆除ソフト制作会社がつくっているのかも、、、これをマッチポンプと言うのですが、、まさかね。それにしてもなんともはや分かりにくい診断治療マニュアルだなあ。

インターネットが停まった

ある日から2日半ほど、わがPCで外との通信ができなくなった。

画面には、IPがどうのとか、サーバーが見つからないとか出てきて、メールもWEBサイトもせっかくの光回線につながらない。

何もしないのにどうしてだろうと、では、机上PCじゃなくてもうひとつの膝上PC(そういえば最近はこのラップトップって言葉を聞かないなあ)をつないでも、やはり同じになる。でもIP電話は活きている。

それじゃあ、こっちのPCのせいではなくて、プロバイダー@nifty側のサーバー故障で、今に治るだろうとおうように構えていた。だが、2日たってもつながらない。

これだけ長く商用ネットで故障が続くと、新聞にでるだろうと、見ても記事はない。なにしろつながらないのだから、プロバイダーにメール問い合わせもできない。

同じプロバイダーに加入している奴も、同じようになっているに違いないと思っていた。でも、ちょっと聞いてみるかと、同じ@nifty加入の友人に電話してみたら、なんだ、普通につながっているというのだ。

おいおい、どういうことなんだよ、まったくPCって奴は困ったモンである。

しょうがないから、パンフレットの山からようやく探して@niftyに電話をした。こういう電話はえてしてつながらないものと決まっているのが、意外にもすぐつながって、出てきたお兄ちゃんがあれこれと指図してくれて治った。

結論は、要するにPC、ルーター、モデムの電源を全部抜いて、また入れたら元に戻ったという、実に原始的なものである。足で蹴飛ばしても治ったかもしれないぞ、おい。

それくらいのことなら、2日も音信不通にさせなくても、ためしにやってみなさいって、どこか画面に出てきてもよさそうなもんだ。気が利かないやつである。

その@niftyの「年寄り電話相談室」のおニイちゃんは、それなりにちゃんと教えてくれたのであるが、言葉でちょっといらいらした。なにか操作を指示するときに、いちいち「~してもらってもよろしいですか?」と、質問してくるのである。

「コントロールパネルをクリックしてもらってもよろしいですか」って尋ねられても、よろしいかよろしくないか、そんなこと分かるもんか、分かればこんな電話しない。

その相談係はそう言えと研修を受けているのだろう、いちいち聞くなといっても、すぐに「よろしいですか?」の攻勢である。

もうあきらめて、毎度毎度「はい、よろしゅうございますとも」と、お答え申し上げるしか前に進む方法がないのであった。

あれはどういうことなんだろう、もしそれで事故がおきても、「そっちがよろしいと承諾してやったことだから、こっちに責任はない」と、逃 げるためだろうか。それとも、"would you?"の直訳だろうか、まさかネ。

コンピューターがおかしい

ある日のこと、朝からPCがオカシー、デスクトップが壁紙だけになった。

しょうがないからセーフモードってやつで立ち上げて使っている。ネットでいろいろ調べてあれこれやってみても、治らない。

なにやらのファイルをどこかに移せ、とお知らせが出てくるのだが、そのファイル名を書いてないから何のことか分からない。そんなことでよいのか、ウインドウズ屋さん、、。

うごきが遅い、できないことがある、画面ががへんだ、でも、しょうがないからセーフモードで使っている。とりあえずは文章書き込みもできている(多分)が、ローマ字入力しかできない。

3ヶ月前にハードディスクの入れ替え修理をしたばかりなのに。どうやれば元に戻るかしら、、う~む。ro-maji de naito kakenaku nattazo komatta,,,,, と思ったら治ったぞ、ってことは、なんだか、だんだんと壊れていくのかしら、、。

昨日、いらないソフトを消していて、うっかり必要なウィルス除去ソフトを消したので、再インストールしたのがいけなかったのかなあ、不機嫌なのは、、。( 夕方4:00)

と、ここまで書いて、しばらく休ませて、またこんどは「前回の正常立ち上げの構成」とかいうところで立ちあげたら、おお、元に戻った。でも、これをログアウトしたら、またもとの木阿弥かもなあ、。 (夜8;00)

おお、やっぱりもとの木阿弥だあ~、 どうすりゃいいんだよ~、、(夜9:30)

今度は、外付けのHDDなどすべてはすして立ち上げたら、おお、尋常な立ち上がりになったぞ、、。はは、アア疲れた。

バナーを大嫌い

バナーというやつが嫌いである。

ひとつはWEBサイトにめったやたらに登場するヤツ、もうひとつが道端にめったやたらに登場するヤツ、目障りでうるさくてしょうがない。

WEBサイトのヤツは、ニフティとか楽天とかの商用サイトのトップページを見れば、いっぱい出てくる。なんであんなに汚らしいのか。

チカチカ動くやつもあって、目障りで目障りで、とにかく見ないようにしているし、見ても読みはしないし、早く逃れたくて目的ページへの移動(ほとんどは検索のためにそのトップページに行っている)を急ぐのである。

だから、とにかくバナーは見ないものだ、という習慣がついてしまた。だから本当に必要なことがバナーになっていると、まったく検索できないのだ。

最近になって知ったのだが、視覚障害者はWBサイトを「聞いて」いるのだそうである。ページを音声で読み上げるコンピューター・ソフトウェアがあって、それを使うのだ。これはテキストを読みあげるので、画像で作ったバナーは読めないから、存在しないも同然である。

画像には代替テキストをくっつけておけばソフトがそれを読み上げるので、視覚障害者はそれを聞いて画像内容を判断する。

しかし、わたしがその身なったとして、バナーにつけた代替テキストを次から次に読み上げられるのを聞かされるとなると、このバカヤローメってすぐに他のページに飛ぶに違いない。

もうひとつの嫌いなバナーは、コンピューターとは関係ないけどついでに書く。

最近、どこに行っても道路わきに安物の幟旗が、何本も立ち並ぶ景色に出くわす。

極彩色で目立つが、ひらひらしているから何を書いてあるのか、車の中からは読めない。ただただ眼にうるさいだけで、美しい田園風景が壊されるばかりである。お行儀の悪いことおびただしい。

まさか、ゴミを捨てるなとか、美しい郷土をつくろうとか、そんなことを書いてるんじゃなかろうなあ、。でも黄色い交通安全をうたう幟もよく見かけるが、あれは公的機関が立てているのだろう。困ったもんだ。

最も行儀の悪いのは、道路沿いの自動車販売屋である。毒々しい色の幟旗を並べ、無数の毒毒しい色の造花で頭上を飾り立てる、あれはどういう神経なのだろうか。これがどこの街に行っても同じような有様だからあきれる。

この数年、しげしげと中越の美しい田園と森の風景の町や村を訪れているが、だんだんとその幟が道端に増えてくる。

直江なんとかと人名を書いたものが増えているので、聞いてみると、越後の戦国武将だったとかで、テレビのドラマの主人公であるらしい。テレビを見ないから何のことか分からないが、おかげでこの美しい越後の風景を台無しにしつつあることはたしかだ。

そもそも幟旗は、お祭りのときにしか出さないものだったのだ。日常の「ケ」とは違うイベントの「ハレ」の空間にする装置の一つだったのだ。

ある日、幟が立ち、屋台、出店、見世物小屋が立ち並んで、お祭りの空間が出現する。それが終った次の日はまた元の静けさに戻る、あの空間の劇的な変化が楽しかったのだ。

宣伝広告屋が毎日をお祭りにしてしまったから、今やあの非日常の楽しみがなくなってしまった。あの日常、非日常の日々を返せ。

わたしのキーボード歴

キーボードと言っても音楽のほうじゃなくて、ハイテク事務機のキーボードである。

初めてキーボードに触ったのは、70年代の、あれはなんといったっけか、そう、DEMOSだ。電電公社のホストコンピューターに接続して、各種の計算をする電子計算機だったが、これはわたしの手におえなかった。

所属オフィスでは構造計算と経理に使っていた。 都市計画の統計処理なんかはIBMの計算センターを使っていた。

その次が日本で最初の東芝製ワードプロセサー専用機JW10であったが、これもわたしは手におえなかった。これは大きな事務机にはめ込みセットされて立派な格好だったが、実はタイプライターと同じ機能しかなかった。

この使用説明書(マニュアル)が超難しかった。日本語らしいのだが、まったく何のことかちんぷんかんぷん、理解不能だった。どういう魂胆でこのような文章を書くか、そのときからコンピューター屋への不信が始まった。

あれと比べると今のコンピューターソフト解説は少しはよくなったが、いまだに日本語がなっていないのはどういうわけだろうか。

ついでに思い出したが、70年代の初めに四則算のできる(というよりも四則算しかできない)計算機ができて、それは60センチ角くらいの大きさで、4本の車つきの足がついていた。ネオン管のような数字表示だった。それで手回しのタイガー計算機から開放された。

わたしがキーボードに本格的に触れだしたのは、80年代になってからであるが、まずはワードプロセサー(WP)専用機であった。

1983、4年頃だろうか、ようやく今のコンピューターに似た形のWP専用機が事務機として登場し普及してきた。わたしもタイプライター熱をそちらに向けて愛用者となった。

「ワープロ通信」なんてのが始まって、ニフティサーブに入会したのはその頃だった。Compu servなるアメリカだったかの情報検索の会員にもなったが、これはわたしの能力では使えなかった。その頃は検索技術が難しく、検索専門の商売が成り立つほどだった。そのうちに「パソコン通信」となり、「インターネット」となったのである。

ワードプロセサー(WP)専用機は家電メーカーが開発したこともあって、個人用の普及をしだすと、その使い勝手や使用解説書は、今のコンピューター屋とは違って、さすが分かりやすかった。

この頃、今の電子辞書くらいの大きさの「ポケコン」がでてきて、一時持ち歩いていた。四則算よりは複雑なルートとか偏差値とかの計算ができたからである。BASICで書いていたような気がするが、もちろん遊びを出ない。

WP専用機は、東芝のものを使い続けて、少なくとも8台は使いつぶした。

わたしのキーボード歴(2)

わたしは90年代半ばからコンピューターに乗り換えた。

最初はマッキントッシュだったが、そのうちにウィンドウズ98がでてそちらに乗り換えた。それは単に周囲にWINが多かったのでそのほうが便利だというだけである。

MACをそれほど使いこなしていなかったから乗り換えに抵抗はなかった。ただ、MACはその後にデザインがめきめき進歩するのに、WINはいつまでたってもダサイのである。

そこころからコンピューター屋の日本語知らずに、ず~っと悩まされ続けている。だから結構うらみつらみの期間は長く、アホ馬鹿コンピューター屋と罵倒歴も長いのである。

要するに使う側の立場ではなくて、作る側でしか物事を考えないらしいのである。

早い話が「ワードプロセサー」ってのも、制作者は日本語をいかに処理して機械に載せるか苦心惨憺したので「プロセサー」つまり「処理機」としたらしい。

だが、そんなことは使う側は知ったことではなく、きれいな文字と文章が出てくればよいのだから「清書機」のほうが分かりやすいのだ。

「ワープロ」なんてわけの分からん日本語が登場したのも不思議であった。その後はIT系のバカ日本語の奔流である。

このあたりの基本的なことがコンピューター屋は分かっていないらしいから、どんなに変な言葉でも、使う側が作る側についてこいっ、てなもんで、わからなけりゃやって来いとパソコン教室を流行らせて、2重に儲けようという魂胆なのだろう。

日本語を良く知っているものほど、コンピューターは難しいものとなる。つまり、バカ日本語が分からんからだ。

高齢者ほどコンピュータに取り付きにくいのは、器械が難しいからでも老人が物分りが悪いからでもなくて、あのバカ日本語が老人の日本語知識に対する強大なバリアーとなっているからなのだ。

さて、WIN98からWINMEを経て、今はWINXPである。

この次にはWIN7よりも、いっそのことMACに戻ろうかとも考えている。他人と一緒にPC仕事をすることはもうないし、ここでMACを仕入れて、またもやわけの分からん日本語に取り組むと、これは今や必要なボケ防止に役立ちそうだからである。

ローテクお掃除

風邪で微熱があるらしく、コンピューターいじりも気分が乗らない。毎日かわいがっているうちのPCに触らないのもかわいそうである。

そうだ、まわらぬ微熱頭を使わないいじり方がある。キーボードの掃除をすることにした。これまでやったことが無い。刷毛でささっとそよがせるくらいだ。

しげしげと見ると、茶色のものがあちこちについてる。たぶん蜜柑の汁が飛んだのだな。

キイの間には綿埃がたまっている。ためしに中央あたりのキイを3つはずす。ありゃ、埃モワモワの中にクッキーのかけらがある。

3つ分くらいの大きさのENTERキイをとる。ウワッ、ゴキブリの巣か、埃の山に煎餅のかけらもある。こうなったらしょうがない、徹底的にやるぞ、気分はすぐれないが、なんだかファイトが沸いてきた。どうもお安いファイトである。

かたはしからはずしていく。問題はそれらがどこにあったのか分からなくなることだ。慎重にもとの配置のように別のところにおいていく。綿ぼこり、煎餅かけら、クッキーかけら、ステップラー針、そして茶色のこびりつき、まったくもう机上の魔窟である。

ミニ掃除機、刷毛、濡れ布巾、爪楊枝、塵取りをもって、ボードとキイとを徹底的にほじくり、吸い、吹き、掃き、拭う。

さて、キイを戻していく。これって、ジグソウパズルか、いや、なんだか少年時のラジオキットの組立みたい。あれ、こんなキイあったのか、一度もたたいたことないぞてのがいくつもある。だいたい辺境の地にいる奴らである。

北極のあたりにいるF1からF12の流氷キイ群に触ったことあるかしら。PCのやつからなにかで押せと命令されたことがあった様な気がするだけだ。

アラスカのもっと北東カナダ奥地にいるエスキモーキイ群のなかではDeleteはよく使う。Insertはまれに使うが、それはDeleteと間違えて押したときに元に戻すために過ぎない。PrtSc-SysRqなるわけの分からんキイは、画面コピーでたまに使う。ダウンロード禁止措置をしているページの盗撮である。これを知らないころは、カメラで写すとモワレがでて困っていたが、このキイではそんなことはない。Pause-Breakってなんのことだか。

辺境にありながらよく使うのは、Enter、BackSpace、半角/全角‐漢字である。これらやDeleteが、有用なる能力を持ちながら、なぜ辺境配流の気の毒な境遇にあるのだろうか。

未利用キイはほかにもあるけど、使ってないってことはいらないってことだろう。そのうちに何かで使うようになるかもしれない。

そうやってPCのほうの魔窟はローテクノロジーでもって撲滅したのだが、風邪菌におかされた体内魔窟はどうなるのか。

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