第10話:横浜都計審つれづれぐさ

第10話

横浜都計審つれづれぐさ

2年間の横浜都計審の市民委員の経験は

なんだか寅次郎かドンキホーテであったような

無事に大過なく任期を終えてまことに残念

●愚直に都市計画審議会委員を務める

横浜市の都市計画審議会の委員としての2年間を終わって、その感想などを書いておく。

これまでも国や自治体関係のいろいろな委員をやってきたが、それらは自分のやっていた仕事とか付き合い関係で、先方から委員を委嘱されたものであったし、多くは委員会での検討内容をかなり周知していることであった。

都市計画審議会委員はやったことがない。これにいちばん近いのは、鎌倉市まちづくり審議会委員であった。これは条例設置の委員会であった。

ところが、この横浜都市計画審議会の委員は、委員公募にこちらから応募したところが出発点から異なる。

公募に応募した人が50名だったそうだから、そこから2名ということは25倍の競争率であったことになる。

それだけ多くの人を押しのけたのだから、いい加減の務め方ではその人たちに申し訳ないと思って、真剣かつ愚直に取り組むことにした。

とにかく欠席はしない、常に横浜市の都市計画関係のサイトに注意、審議会の事前に現地に見に行く、役所の担当者に会って調べる、毎回きちんと意見を言う(一度も通りはしなかったが)、審議会の状況はわたしのウェブサイトに掲載するなど、わたしの愚直とは、こういうことであった。

●市民委員の公募に応募する

まず、2008年8月4日に応募のときに書いて出した応募の理由と関心ある事項の欄の記述を載せておく。

(応募理由)

最近、県や各市の都市計画審議会の傍聴をしていますが、一般に都市計画専門家の委員の欠席が多く、事務局との初歩的質疑応答のみで、実質的な審議がなされない場合が多いようです。

学識委員であっても宛て職のためにかならずしも都市に関連する専門家ではなく、大学系の委員は専門分野が細分化していてかならずしも議題に対して的確でない場合もあります。

わたくしは45年間、都市と建築の民間プランナーとして、国や自治体の調査や民間へのコンサルテーション等の仕事を広く行い、まちづくり中間支援NPOの常務理事・事務局長を最後に一線を退きました。

常にまちづくり現場で仕事をしてきた専門家として、また横浜都心に住む1市民として、都市計画審議会に本当の意味での審議のあり方を持ち込みたく、横浜市都市計画審議会員に応募いたします。

(都市計画で関心ある事項)

大きい関心事項は、人口減少と超高齢時代に入って、地域社会も経済もおおきく転換するべきときが来ていますが、それをどのように都市計画として受け止め、あるいは制御するのか大いに関心があります。

とくに横浜市では都心地域と郊外地域との都市計画の関係のあり方が、これからは問われるでしょう。

具体の都市計画についての関心事項は、第1に都市再開発事業や大規模開発のような開発事業に関する都市計画決定のあり方、第2にその事業を支える地区計画や景観地区等のミクロの都市計画、第3に都市計画審議会も含めて都市計画手続きにおける市民参加のシステムです。

横浜市では、関内関外のような50~60年代に戦後復興した都心地区を、今後どのように保全再生するのか、とくに文化芸術創造都市のようなソフトなまちづくりに、ハードな都市計画としてどのように対応するのか大いに興味あるところです。

●事前に現場を必ず見る

委員に選定されて初めての審議会の議案書一式が、わたしの家に送られてきたときから委員活動は始まった。

さっそく分厚い議案書を読んで見て、横浜市の都市計画課の担当者に電話をした。

「現場の見学会は、いつやるのでしょうか」

「いえ、その予定はありません。これまでもやったことがありません」

これには驚いた。それまでに横浜市都市計画審議会を数回傍聴していたから、委員が現場を知らないらしいことは、うすうす感じていたのだが、そうなのであった。

現場を見ないで決める都市計画とは、湯加減を見ないで風呂に入るようなものである(あまり適切なたとえではないな)。

ながらく仕事で都市計画に携ってきたが、現場を見ないでなにかをすることは皆無であった。いや、現場に行くのが常識である。都計審とは不思議なところだと出だしから思った。

しかたがないから、自分の足で議題となっている場所を見て歩いたが、20箇所以上もあるときには、さすがに参ったものである。それでも、自分から望んで乗りかかった舟だ、これは愚直に漕いでいくしかないのであった。

●事前に市役所の担当者に質問する

これと並行して、議案書を読んでも分からないことを、横浜市の担当者に聞きに行くことであった。

これは、それまで何回か審議会を傍聴していて、委員があまりに初歩的な質問ばかりをするのを奇妙に思っていたからである。法の解説を求めることばかりしている。

そのようなことは事前に文献で調べるとか、担当者に聞くとかすればよいだろうに、なぜ審議会は質疑応答の会議となっているのか。もちろん質疑応答も審議ではあるが、もっと突っ込んだ意見を言ってほしい、そう思っていた。

だから質問を事前にメールで担当者に送って、日時を決めて各議案関係の担当者に会って、分からないことを詳しく聞いたのである。調査報告書など読ませてもらうのだが、最初のときは情報公開手続きをせよといわれて、おいおい委員をなんと心得ておるのだと、大いに怒ったものだ。

法制度の知識や解釈などは、専門家の友人たちに教えてもらうことを毎回やった。これはありがたかった。

こうすることによって、わたしは当日の質問はしない、委員としての意見を述べるというスタンスを原則とした。

●審議会では質問よりも意見を述べる

現実にそうやって各回を対応してきたのだが、わたしの意見はほとんど審議会委員の討論材料とはならなかった。だから意見が通るはずもなかった。

たいていの場合、市の都市計画課長がわが意見に対する意見を述べておしまいであった。わたしとしては、都市計画決定権者の事務局である都市計画課長に質問をしているのでも意見を述べているのでもない。

審議会の委員に対して問題を投げかけて、賛否の意見を聞きたいのに、これはほぼ糠に釘状態であった。ひとりで長々と意見を述べたのに誰も意見なくて、あっという間に採決に入り、わたし一人だけ反対の手を挙げる。そして次の議題へとなる。このくり返しであった。独り相撲である。

だから審議会が終了するといつも思ったものだ、オレはフーテンの寅さんかドンキホーテか、と。だが、わたしにはマドンナもサンチョパンサもいないのであった。

3回目の審議会が終わったときに、さすがに心配になった。もしかしたら、わたしの言っていることは、とんでもないバカなことかもしれない。そろそろ認知ナントカになってもおかしくない年頃だしなあ。

そこで、審議会でのわたしの意見をある知人に送って、読んでもらった。お褒めの返事をいただいてホッとしたものだ。

自信を得て更に愚直に意見を述べるわたしであった。どの審議会での発言時間も、事務局の議案説明を別にすれば、7割がたはわたしが占めている感じである。

わたしは7回の審議会で、毎回一つは原案反対の意見を述べたが、結局は7連敗を喫したのであった。

それでも6回目までは議決は20対1であったのが、最後の7回目には15対5になったのが、せめてもの慰めである。

●意見は映像を使って説明する

意見を述べるにあたっては、あらかじめ慎重にかいた原稿をつくっていって読むことにした。議事録に正確に載せるためである。なお、この議事録がなんと4、5ヶ月たたないと横浜市のサイトに載らないのが気に入らない。

3回目までは読むだけであったが、現場を見ているものと見ていないものとでは基本的な情報量に差があり、わたしの意見は言葉だけでは分かってもらえないらしいと感じた。

そこで4回目からは、現場で撮ってきた写真や、作成した図面などの映像を使うことにした。市の事務局では議案説明に映像を使っているのだから、機器は特別に用意の必要はないのでデータだけ持って審議会に行けばよい。

一応は事前に事務局に言っておこうとその旨をメールしたら、とんでもない返事が返ってきた。

「ご依頼の件ですが、今回の都市計画審議会は案件数が多く、内容も多岐にわたるため、伊達委員の御意見の発表については、審議会の進行状況と会長の判断になると思います。審議会委員として、案件の審議を優先させていただきますようよろしくお願い申し上げます」(原文のまま、挨拶文は省略)

おいおい、お前のところは長々と映像を使って説明するのに、委員のオレが映像で意見を述べるのは駄目とはなんだよ、そもそも審議優先とは何事だ、オレに意見は審議の対象にならんのか。

そんな意味の抗議メールを入れて、当日は強行突破のつもりで出席したら、そこではもめなかったのは、抗議が効いたのであろう。これまで映像を使って意見を述べた委員は皆無であったのだろうが、時代は変わるのだ。

●審議会の回数をもっと多くして審議を尽くせ

わたしが公募の市民委員となってから開催した都市計画審議会は、2008年11月から2010年7月まで7回であった。

この間の議題数は延57件、箇所数は正確には勘定できないがおよそ延350箇所である。この中には、いくつかの議題でも箇所はひとつであったり、1議題でも100箇所以上のものもある

また議題によっては、箇所数は多くても地名が変わったための名称変更のみのような単純なものもあるから、数だけで多い少ないを論ずることはできない。

しかし、現実に対応してみると、箇所数が多すぎて事前の調査の時間も足りないし、審議会での審議も時間的に尽くせないものが、私の実感としてはかなり多かった。

審議時間に追われて、途中で審議を打ち切って採決に入ることもあったが、これは発言が多かったわたしだけが感じたことかもしれない。そこが腑に落ちないままである。

審議時間が、議題の多さに比べて明らかに少なすぎる。おしまいのほうになると、はしょられる傾向になる。

わたしのように、ある議事で長々と意見を述べていると、別の議事での意見を言えなくなってしまう。

質問をしないというのもその時間を有効に使いためでもあったが、時にはそのときに思いついて質問もしたくなる。あるいは議案には同意するのだけど、いろいろといいたい意見もあるときもある。

これらの発言については、いちばん目玉の意見をしゃべりたいために、できるだけしないようにせざるを得なかった。どうも気持ちが悪い、腹ふくるる技であった。

年に4回の審議会だとはじめに聞いていたから、任期2年で8回あると思っていたら、7回でお終いとなった。しかし年4回でも足りないのが、やってみての本音である。もっとじっくりと審議すべきであると思う。

出席するだけで一言もしゃべらない委員も大勢いるが、司会している会長は全委員か意見を聞くべきである。質問も意見も出ないと、すばやく日程どおりに終わって、会長は議事進行は上手く行き、事務局はひと安心だろうが、審議を尽くさないままでよいとはとても言えない。

現状で時間通りに審議会が終わるのは、ほとんど審議していないからである。

●議案の議決方法を再考せよ

ひとつの議題に複数の箇所が含まれている場合がたびたびある。例えば地域地区の変更は、あちこちで変更があっても、ひとつの議題として登場してくる。生産緑地についても同様である。

議案を出すほうの論理は、それらが一体的な関係にあるのでひとつの議案しているというだろう。しかし、まるで離れた場所の用途地域変更や、生産緑地の変更がそれぞれ関連しているとは、常識では考えにくい。港北区の生産緑地緑地と戸塚区のそれは難易も関係が無い。

議題がひとつなら議決も一回である。となると、ある箇所に異議があってほかは原案とおりでよいと思っても、議決では原案全部の不同意の側に回らざるを得ない。

まことに不満である。面倒でも一箇所づつの議決にするべきであると思う。

都市計画審議会では、議決の際に議案に修正や条件をつけることはできないとされている。附帯意見はつけることはできるが、法的拘束力はない。(『逐条問答都市計画法の運用』第2次改定版 655ページ)

つまり、審議会は原案に対してこうしたほうがよいと対案を定めることはできないのである。原案に同意か不同意か二者択一しかないのである。

わたしが各審議会で原案に訂正を提案したが、それが議決として受け入れられるはずはないのは承知であった。ただ、それが問題提起となって、審議会の議決に影響を及ぼすことを期待していたのである。

現実にはわたしの提案は委員の興味を惹いて審議にかかることはほとんどなく、いつもわたし一人だけ不同意であった。例外的に磯子三丁目地区計画の議案で、わたしのほかに4名の不同意者がでただけであった。

一度だけ、附帯意見をつける提案をしたときは、けっこう審議をしてもらうことができた。しかし、附帯意見をつけるのは、その議案に同意することが前提となるから、不同意の場合は意味がない。

審議会では原案の修正をできないのは実に不満であった。法を変えてもなんとかするべきと思う。

●学識委員と日程調整せよ

審議会の委員定数は25名、内学識経験者12名、市会議員10名、市民3名である。わたしが関係した7回の審議会において、委員の属性別に出席状況を見ると、学識系委員の欠席が多く、市会議員の出席率は良い。

委員の属性グループ別に欠席率を見る。欠席率は「欠席率=延欠席回数/(定員数×会議数)」で計算する。

欠席率が高い順に学識、市民、市会の各委員となる。

・学識委員 23/(12×7)=27.4%

・市会委員 9/(20×7)=6.4%

・市民委員 5/(3×7)=23.8%

市民委員の欠席率は、そのうちの一人が稼いだものである。もちろんわたしは皆勤である。

市会委員の欠席率が低いのは、事務局が議会日程を優先して審議会日程を決めているからに違いない。なにしろ25名中に10人もいるのだから、ここの日程さえなんとかすれば、委員会成立の過半数にはとどくであろう。

そのかわり、他の委員の日程調整は全くしない(会長だけはしているだろうが)のだから、いきおい学識系の欠席率が高くなる。

7回の審議会の過半数欠席の委員は、どうにも気になるので個人名を挙げておく。

5回欠席は小堀洋美さん(東京都市大学教授)、4回欠席は瀬古美喜さん(慶応義塾大学教授)、西田雅江さん(法律事務所)、金子正治さん(自治会・町内会長)であった。どんな理由があるのか聞きたいものだ。

●委員の属性別構成を再考せよ

委員は市長が任命するが、横浜市の場合は25名、学識系12、市会議員10、市民3(内公募2)である。明らかに市会議員が多すぎる。委員総数20名の藤沢2名および川崎4名とくらべても分かる。正副議長と委員長の宛て職で3会派から出るから、事実上は3名なのであろうか。

公募委員が藤沢5、川崎3であるのに横浜は2名というのも少ない。市会議員枠は5名程度にして、宛て職ではなく各会派から出すようにしてほしい。そして公募委員を増やしてほしいものだ。

学識委員として農業、商工業、建設業、不動産業などの業界団体から宛て職で出席している。

宛て職ということは、その人の委員としての資質ではなく、そのときの業界や議会での地位で出てくることである。つまり業界の意向を携えて出席することになっているのであろう。

現に農業団体からの学識委員が、生産緑地の解除後の土地利用が不適切なミニ開発土地利用となることを規制するべきとした別の学識委員の発言に対して、生活環境問題よりもミニ開発優先を唱えて反論したことがある。

それならそれでもよいとするなら、学識委員ではなくてはじめから業界利益団体委員として出席するべきである。そのように委員の構成を変えるべきである。

学識委員とは、普通に考えると大所高所から判断する高い能力を持っている人であろう。学識委員枠を悪用して業界からもぐりこませているとは、思い過ごしであろうか。

ついでながら神奈川県都市計画審議会では、行政委員と市町村長委員のほとんどが代理出席であった。市町村長の代理は副市長ではなくて、県庁職員であるのはどうも代理資格に問題がありそうだ。

●委員は報酬に見合う仕事をせよ

わたしの横浜市都市計画審議会委員としての報酬額は、1回につき税抜き振込み額13800円である(税込み2万円)。

209年11月の横浜都計審のように、議案の場所が合計して40地区以上もあると、現地を必ず見て判断して審議会の臨む主義のわたしは、結構な日数とハードスケジュールとなった。それでも全部は見切れなかった。

そして見て来るための準備や、見てきたことを意見として発表するためにも映像編集も時間がかかっている。

その交通費や人件費を都市計画コンサルタントフィーとして計算するといくらになるだろうか。

そんなことやらなくても審議会はいいんだよ、誰も期待していないんだよって言われては困ってしまうが、逆に、そんなことしなくてどうして審議ができるのか聞いてみたい。

東京のほうの区では報酬が2000円のところもあるそうだが、それではその日の交通費ということであろう。事前に調べることなど全く期待していない証拠であるが、そんなことでよいのか。

では、横浜市も2000円にしたらおまえはどうする、と聞かれたら、さて、もう現場に行くのはやめるかというと、そんなことはないのだ。

これまでは報酬があるから、現場を見てきて言いたいことがあっても少しは遠慮していた(と、思う)のだが、そうなればもう遠慮はいらない、言いたいことをどんどん言うことにするだけだ。 ますます愚直に委員を務めるのだ。

当日出席して初めて議案書を見て、ろくな発言もせず、賛成だけして2万円(ほかに人はいくらか知らないが)とは、ボッタクリ委員であると思う。

ところで、市会議員の委員にも審議会報酬が出ているのだろうか。もしも受け取っているとしたら、宛て職議員として出ているのだから、報酬の重複になるのか、ならないのか。

●議案になる前にもっと審議させよ

都市を計画するのであるから、基本的にはこれからのやるべきことをきめるのが都市計画だろうと、普通は思う。

ところが、都市計画審議会にかかってくる議案のかなりのものは、もう決まっていることを計画として追認するものである。

極端な例は、地下鉄の工事を都市計画で決めた範囲よりもはみ出して造ってしまった件で、四半世紀もあとになって都市計画変更の議案となって出てきた。それまで都市計画法違反の営業を続けていたのだ。

大規模な郊外住宅団地で一団地の都市計画についても、少子高齢時代には小中学校が要らなくなって他の土地利用に転換が必要である。都市計画審議会に議題となったときは、 現地ではその変更が既に確定していて、いまさら後戻りはできない状況になっている。

生産緑地の廃止については、審議すること自体が、法的に無意味な状況に置かれている。

これらは審議して否決しても、今更しかたがないのである。もしも都市計画審議会で否決したら、地下鉄を掘りなおしたり、学校跡地利用コンペをやりなおしたり、現地での話し合いやら、面倒な手続きやら、すべてやり直しになると思うと、通さざるを得ないのが現実である。

いったい都市計画審議会はなにを審議しているのか、審議するフリをしているだけかも知れないと、全7回の会議で再々思ったことであった。決まったことの後追いをいつもしているのが都市計画審議会であるらしい。

議案になる前の計画策定中に審議会が関与するシステムを確立する必要がある。そうでなければいつまでたってもお飾り審議会と言われる状況に反論できないであろう。

都市計画審議会が参与機関ではなく諮問機関であって、その議決が法的に市長を拘束しないものだから、実は内々には軽んじられているのだろうか。

●市民の意見に正面から答えよ

都市計画案の説明会や公聴会に、できるだけ参加するようにしていた。会場での発言や雰囲気でその都市計画案がどのように一般市民に理解されているか、よく分かるのである。

概して説明会は、映像を使って分かりやすいが、どこかマニュアル的であった。それは都市計画審議会での議案説明もこれとほぼ同じであった。それでよいのかと思う。

たしかに都市計画審議会の員も大半が素人である。それにしても一般市民への説明会と同じ扱いは無いだろう。都市計画決定の図書を都市計画審議会に全部出すべきなのに、一部しか出さないのである。

市民が公聴会や意見書提出で出した意見に対して、都市計画決定権者の市長の見解を出すのだが、どの議案でも意見をいれて案の修正をしたことがなかった。都市計画審議会でわたしが出したようなまともな修正案さえ容れないのだから、ましてや素人の考えなど入れないのかもしれない。

その見解書の書き方が、木で鼻をくくったような口調が多いのである。別の資料にあるからこれでよいのだと書いているが、別の資料のどこにどう書いているかは言及しない。

都市計画事業の都市計画決定案に関しては、その事業内容に関する意見が出てくるのは当然である。ところが事業者は横浜市でないことも多いので、見解書にはその事業者からの伝聞をもとにして書くことになる。それが伝聞であると明言するものだから、読むほうはこれでよいのかしら、本当に見解になっているのかと不安になる。都市計画審議会には事業者が登場して説明してほしいと思う。

笑ったのは、市が事業をする道路事業に関して、「道路局長によれば」というような伝聞で書いてあったことだ。道路局長は市長の行政機関の一部である。都市計画決定権者たる市長と、事業を行なう市長とは人格が異なるからだそうである。お役所的とはこういうことか。

一般市民からの意見書を読むと、もちろん立場が違うから市とは異なるスタンスのものが多いし、なかには間違った内容、あるいは理不尽なものもある。

これらに対して市の見解書の書き方は、原案のままでよろしいという淡々と書き方で、どこか逃げの姿勢である。これらに対しては、市はきちんと真正面から詳細に反論するべきであると、わたしは思う。でないといつまでも理解されないままとなる。市の担当者にあったときはそう言ってきた。

●傍聴者を邪魔者扱いするな

横浜都計審には委員になる前に何回か傍聴していた。他の都市計画審議会への傍聴は、川崎、藤沢、鎌倉、横須賀の各氏と神奈川県に行った。

傍聴者への対応がピンからキリまであって、行政の姿勢の違いが現れているようで興味深い。

机も資料も映像も委員並みに扱ってくれるのは、横須賀市である。事前申し込みの面倒さがあるので、点数をつけると10点満点の8点である。

川崎、藤沢は傍聴者の席が、片隅の椅子だけで、机がある席があいていても絶対に座らせてくれない。隣のあいている椅子を前に持ってきて資料をその上に置いた。6点である。

横浜市もわたしが委員になるまえまでは椅子だけであったので、資料を床においてみていた。今は机つき椅子になったので7点である。鎌倉は事前申し込みだし、資料は見せてくれるがくれないので5点。

いちばんひどいのは神奈川県都市計画審議会である。受付は別室で職員が二人も傍聴専門に対応しており、審議会が始まる時刻を見計らって、物々しく議場扉前まで階段を2階分も歩いて登って先導案内し、審議会が傍聴人を入れても良いというまで扉の前で立たせてしばらく待たせる。

入ると片隅の椅子に座らせてくれる。横浜市では審議会が始まる前から入れるのと大違いである。

各市では傍聴人心得の一枚紙をくれて読んでおけくらいだが、県では傍聴人に対するご注意が実にものものしい。申し出て便所に行くほかはいったん出たら再入場不可、カメラ持つな、終わったら資料返せとか、こまごまとお言葉を賜る。資料は見せてはくれても持ち帰り不可、コピーもさせてくれない。ここでは原則非公開らしい。「傍聴させてつかわす」の感が強く、ものすごく警戒的であった。

公開しているだけありがたいと思って、3点である。傍聴に行くと腹が立って健康に悪いので、一回で懲りた。

傍聴者を邪魔者扱いしないで、事前申し込み方式はやめて、机と椅子を説明の映像が見えやすい場所に配置、資料一式を用意して持ち帰ってよいようにしてほしい。

傍聴に行けない市民への審議会情報はインタネットサイトである。各県市の審議会サイト内容はかなりの差がある。審議会の10日以上前には議案内容を公開し、審議会直後に議事録を掲載するように、充実してほしい。

●市民委員と市民について

市民委員の公募枠2名のひとりとして審議に参画したが、市民委員とはどのような役割なのか気になっている。応募募条件は、市民であることは当然としても、まちづくりに携わったことがある者という条件は微妙である。単にまちづくりというとかなり範囲が広い。都市計画審議会にかかるようなまちづくりという意味だとかなり絞られてしまう。

わたしは今は引退したがかつての仕事は都市計画であった。だから普通の意味での一般市民ではなく、それなりに都市計画を知っている、どちらかといえば学識系に近い。実はわたしと同時に公募市民委員となった方も、かつて都市計画行政のベテランであったから学識経験者にこそふさわしい。

わたしの役割として考えたのは、普通の市民が議案書を読んだとしても、ほとんどわかりっこないはずだ。しかし現地を眼で見れば、何かが分かるはずだ。その現場感覚を大切にして意見を述べると、一般市民にもわかるであろうと、現場には普通の市民である息子と一緒に行った。これを市民委員の原点としたが、正解であったと思っている。

委員の中でもっとも普通の市民は、町内会長枠の市民員であるが、この方はほとんど欠席で役に立っていない。市会議員委員も一般市民の代表として期待されているだろうが、実態は有意義な発言はほとんどなかった。

公募市民委員であるわたしは、議案に関係する市民と対応するべきかどうか迷ったこともある。磯子三丁目の議案(第8話)では、付近の反対運動をしている住民のかたから、現地案内するから来るようにとメールをもらった。メールをもらう前から現地を見ていたし、事業者や市の説明会、公聴会にもいっていたからそれなりによく知ってはいる。疑問も多い。しかし、その方には丁重にお断りの返事をしたのは、その方とは異なる理由であるが、わたしもこの議案に反対をせざるを得ないと思ったので、李下に冠、瓜田に沓である。

わたしは審議会が終わる度に、わたしのサイトに詳細なレポートを書いているし、そこにはメールアドレスもある。これが市民委員の役割でもあると思っていた。もしかして大勢からコンタクトがあると大変だなと期待と不安があったが、実はその1件だけで、これはまったくの拍子抜けであった。

終わってみれば、市民からも期待された様子も無いし、審議会ではあれほどしゃべってもなにも起きなくて、わたしの独り相撲であった。一人の市民として寂しい。

わたしの独り相撲にもっとも迷惑を蒙ったのは、市役所の都市計画課やそのほかの担当者である。もしも委員の全員がわたしのようにあれこれと事前に訪ねて行ったら、仕事がパンクするであろう。丁寧に対応してくださった市の方々にはお礼を申上げる。ついでに交通不便な地区の現地調査に運転手としてかり出した息子にも感謝。(2010/09/01)

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