ネパール400㎞バスの旅
第1話
ネパールに初めて行った

1-1 地震の国を逃れて

3月10日(2011年)にネパール旅行の航空券を買ったら、次の日が東北地方太平洋沖大地震、旅の出発日は28日である。揺れはだんだんとおさまってきたが、原発事故が拡大している。

これから横浜にも放射性物質が降ってくるのかしら、毎日停電かしら、そうしたら疎開しなけりゃならない、そんなときに海外で遊んでたら帰ってきてどんなこと言われるか、その後の人生が窮屈なことになりそうだなあ、う~む、さて、行って良いものかどうか。

楽天的なわたしでもちょっとは悩んだ。やはり一緒に行くと申し込んだ、近くに住む同年の友人と話した。
「なあ、おれたち年よりは震災からの復旧には役立たないよねえ」
「そう、復旧は力仕事だからね」
「日本にいても、食糧やエネルギーを消費するばかりだよね、そこで考えたのだが、この時期に外国に行ってたら、その分ちょっとは被災地にまわるだろうよなあ」
「あ、そうだね、ちょっとは役に立つなあ、そりゃいい屁理屈だ」
というわけで、わたしの住む横浜は次第に落ち着いてきたし、思い切って行くことにした。ネパールに疎開をしたのである。

発端は今年(2011年)1月のこと、大学同期の畏友からネパールに行こうと誘われたのだ。なんでもカトマンヅにある日本語学校を支援している大阪にあるNGOの企画だそうで、旅程の一部にはその支援活動も入っているという。
ミニトレッキングもあるそうだから、ヒマラヤに出会う経験もできるだろう、もうこれが最後の海外旅行だろう、なんて思って、行くとすぐに返事した。
やはり同期の畏友たち2人が加わって、老人組4名の仲間が関西からの6名と共に旅することになった。後で分ったが、わたしが最年長であった。

ネパールの位置

1-2 旅のあとづけ目的

行くと決めてから調べてみたら、後付けながらもそれなりに目的が定まった。
ひとつは大学山岳部以来の憧れのヒマラヤと出会うことである。もうひとつの憧れだったヨーロッパアルプスには2006年に行ってきたから、これで仕上げとなる。企画書にトレッキングと書いているから、ヒマラヤの麓まで行くのだろう。アルプスで大感激したから、あれよりも雄大なヒマラヤ山脈に囲まれるともっと感激するだろう。
ところが、ヒマラヤ山麓トレッキングはわたしの早とちりで、ポカラの街はずれの小高い山の展望台からはるかに遠望するだけであった。ではヒマラヤ遊覧飛行に乗ろうと思ったら、予定したポカラ飛行場からは今は飛んでいないのであった。というわけで第1の目的は達しなかった。

第2の目的は、カトマンヅ盆地の歴史的市街地を見ることである。旧王宮については、大学時代の恩師である藤岡通夫先生が、晩年にその調査に力を入れておられて、調査報告書や随想集「ネパール建築逍遙」(1992年 彰国社)をあらかじめ目を通してから行ったので、これは短時間ではあるが、それなりに目的を達した。(第5話5-4参照)

第3の目的は、釈迦の生誕地ルンビニを訪問することである。といっても、わたしは釈迦の生誕地としてのルンビニには何の興味もない。実はそこにある「ルンビニ博物館」と「ルンビニ図書館」に用があるのだ。これら二つの建築の設計は丹下健三であるが、その設計担当がそのころ丹下事務所に所属していた同期の親友・後藤宣夫(故人)であった。後藤は1984年にここに滞在している。2000年に逝ってしまった親友の仕事に出会う目的は、図書館が休日では入れなかったがほぼ達した。 (第6話6-4参照)

今回の旅で予期しなかったことで最も印象的だったのは、カトマンヅからポカラを経てルンビニに至るまでの400キロメートルに及ぶ長距離バスの旅であった。中高地から低地へ、山地から平原へ、温帯から亜熱帯へ、多様な植生、農山村集落、街道筋の地方都市、大都市の市街、そしてそこに暮す多様な民族のなどなど、次々と展開するネパールの人間と自然の景観に興奮した。
ほんの通りすがりにすぎないのだが、たくさんのことを考えた。(第3話参照)(110407)

1-3 停電の国から停電の国へ

ネパールの旅の時の日本では、3・11東北地方太平洋沖地震の津波で壊れた原発のせいで発電不足となり、東京電力のエリアでは毎日どこかで計画停電中であった。

しかしネパールに行ってみれば、毎日の計画停電が当たり前の国であった。水力発電だけだから、乾季の今は発電が需要に追いつかないとかで、日によっては14時間も停電している。それは乾季だけのことではないらしい。
毎日18時から21時まで停電だから、ちょうど食事をしようとすると突然に真っ暗になる。レストランでもホテルでも、あっと声を上げるのは外国人だけだ。慌てることはない、そのあたりにローソクを用意してあるから灯火をつければ良いのだ。こんなゴールデンタイムが停電というところが、日本とは違うらしい。

とは言うものの、煙草を吸わないわたしはマッチもライターもなくて、風呂場で真っ暗になってもローソクが役に立たない。だからしばらくそのまま待つ。やがて自家発電機が動いて、必要最小限なる明るさが戻ってくる。
どこの店も家も自家発電機を備えているそうだ。自家発電機が動きだすとブンブンとうるさい。日本語学校のネパール人教師から、日本でもそうかと聞かれて、とまどった。そうか、日本でわたしたちは停電がないことを前提に生活しているのである。
太平洋戦争で敗戦して数年間は、日常的に停電していた。自家発電機はなかったが、ローソクもマッチもいつも用意していたものだ。

ネパールから10日ぶりに横浜に戻ってきてみれば、停電しないのが当たり前の生活に戻った。そして揺れないのが当たり前の生活にもなっていると安心したら、2日目に東北ではまた死者が出た余震があった。
原発の放射線が降ってくる恐怖はあい変らずで、原発のないネパールでお見舞いの言葉をいただいたのを恥かしく思いだした。ネパールのほうがよかった。

1-4 地震大国から地震大国へ

東日本大震災の日本を逃れて行ったネパールも、実は地震大国であるらしい。この100年間にマグニチュード8・4を超える巨大地震が4回も発生している(「ヒマラヤの自然誌」183p)。

5000万年前に、ユーラシア大陸の南の海岸にあったネパール(その頃まだネパールはないのだが)の、ずっと海の向うに離れていたインド亜大陸が押し寄せてきてぶつかってきた。そのインド亜大陸のプレートが、ユーラシア大陸の下にもぐりこんで、押し上げてできたのがヒマラヤ山脈である。

その南には高い山のシワがいくつもできて(マハバラート山地、シワリーク丘陵)、南のはじっこに平らなところが残って(タライ平野)、そこらが今のネパールである。ネパールの北には盛り上がったチベット高地ができている。

これらの間には断層があり、現在も押され続けているから、日本と同じように地震が頻発する地帯なのだ。首都のカトマンズでは1934年の大地震で4296人、1988年にはウダイプール地震で721人が死んだそうだ。その頃はラナ専制下の鎖国時代で、いまの人口とは大違いであった。

ネパールの全人口は2300万人(注:2001年統計、2011年国勢調査では2650万人に増加)一極集中のカトマンズ首都大都市圏エリアはその13パーセントの300万人が住み、この20年でも倍増の勢い、カトマンヅ盆地には100万人近くも住んでいる。

ところが、世界遺産登録になっている歴史的な市街地では、古い建物、それも3階、4階建てのものがたくさんある。それらは伝統的な木材と煉瓦を組み合わせた構造なので、目に見えて傾いていてかなり怖いものもたくさんある。隣の新築煉瓦ビルに寄りかかっているものもある。
新築のビルも多くは4~5階建て、20センチ角くらいの細いコンクリート柱を5m間隔くらいに建てて細い梁でつなぎ、間に鉄筋の補強もなしに煉瓦あるいはコンクリートブロックを積み上げている。開口部のマグサは厚さ10センチ程度で頼りになりそうにない。

1934年当時と比べて人口集中が著しいカトマンズで、もしも大地震が起きたら大変なことになりそうだ。海からの津波はまったくないかわりに、ヒマラヤの氷河湖が決壊したら山から津波がやってくる。
一方、原子力発電所はないから、その点での危険性はない国である。日本では原発故障で停電、ネパールは原発がなくても停電である。停電は平気でも地震は怖い。(第5話5-1参照)(110412)

ポカラ・サランコットからのヒマラヤ遠望

カトマンヅ王宮広場近くで

ルンビニ博物館

なんだか怖いカトマンヅの高層レンガビル

カトマンヅの市街地建築


ネパールの地形断面


●旅程概略

2011年3月28日~4月4日

◆3月28日(月)

0:30関西国際空港出発、バンコク経由、12:30カトマンヅ着

14:15バスで出発、現地ガイド兼通訳は日本語学院教師モティ氏

14:30カトマンヅ日本語学院着、寄贈のバザー用品を下ろす

15:00カトマンヅ旧王宮広場とその周辺市街を見学

18:00タンコットのホテル(パタレバン・ヴィンヤード・リゾート)着

◆3月29日(火)

9:00タンコットの山に遠足(わたしは体調不良で不参加)

15:40遠足からからホテルに戻る

18:30ホテルで民俗舞踊を見る

◆3月30日(水)

8:00ホテル出発、ポカラへ200kmのプリティヴィ街道200kmバス旅行

14:00ポカラのホテル(ベースキャンプ・リゾート)到着

15:00ポカラ市内、パタレチャンゴ、洞窟、チベット難民村見学

17:00ホテルに戻る

◆3月31日(木)

4:30ホテルをバスで出発、サランコット展望台へ遠足

4:50サランコット中腹の駐車場着、徒歩で頂上へ

6:10サランコット頂上着、ヒマラヤの峰々を遠望

7:30ホテル帰着、朝食

10:00ホテル発、山岳博物館見学

13:30昼食後は自由時間にて街をぶらぶら

◆4月1日(金)

7:30ホテルを出発、ルンビニへシッダルタ街道200kmバス旅行

15:20ルンビニ笠井ホテル着

16:00ルンビニ釈迦生誕地見学

18:00ホテル帰着

◆4月2日(土)

8:00ホテル出発、ルンビニの日本、ドイツ、中国の仏教寺院見学

10:00ルンビニ博物館に入館見学、ルンビニ図書館は外観のみ

10:45ルンビニ出発、食事をしてバイラワ空港へ

13:00バイラワ空港出発、13:40カトマンズ空港着

14:30バスでパタンの旧王宮広場と市街街並み見学

17:00カトマンヅ・タメルのホテル(バイシャリ)到着

◆4月3日(日)

9:30 自由行動日、オプショナルツアーでバクタプルへ

10:20バクタプル着、旧王宮広場と周辺市街を見学

15:00ホテル帰着。途中で4人がパシュパティナート見学

18:30カトマンヅ日本語学院の教師達と会食

4月4日(月)

7:00カトマンヅ日本語学院にて文化交流(華道、能楽)、懇談

13:30カトマンヅ空港出発、バンコック経由

4月5日(火)

7:00関西国際空港着、流れ解散


カトマンヅ日本語学院の校舎

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