日本の敗戦により、朝鮮半島における日本統治時代は終わりを遂げます。
それとともに満州国は崩壊し、中国大陸や朝鮮半島からは武装した日本軍は撤退しました。
それまでに朝鮮北部へ日本軍を攻撃する為にソ連軍が進攻してきており、日本敗戦後は北緯38度を境目に北側がソ連共産党の北朝鮮、南側がアメリカ側の韓国に別れていました。
1949年10月1日には毛沢東(もう たくとう)率いる中国共産党軍が蒋介石(しょう かいせき)の国民党軍を敗り、中華人民共和国を樹立、敗れた中華民国の蒋介石は台湾へ逃げ込みます。
それが現在の台湾です。
毛沢東
ちなみに現在でも中華人民共和国は台湾を一つの国家として存在を認めず、双方は戦争状態にあります。
話を戻します。
ソ連軍の北部進攻により集結していたアメリカ軍も徐々に撤退していき、強力な軍隊がいなくなった朝鮮半島では、再び北朝鮮の金日正(キム イルソン)がソ連共産党と手を組み、朝鮮半島全域を共産主義にしようと立ち上がりました。
キム・イルソン
朝鮮戦争のはじまりです。
1950年(昭和25年)6月25日に始まった戦闘は南北双方が宣戦布告をせずに始まり、ソ連が後押しする北朝鮮軍はあっという間に朝鮮半島のほとんどを占領し、もう少しで南部の都市プサンというところまで迫ってきました。
その頃日本はアメリカを中心としたGHQが統治しており、中でも極東国際軍事裁判(東京裁判)で東条英機・元首相をはじめ、戦争犯罪者について話合われていました。
当初マッカーサーは東条ら日本側が言う
「ソ連の共産主義勢力が脅威であり、後にソ連はアジア全域を共産主義にしようと目論んでいる。 その為に我が国は満州を砦とする為に建国させた。 大東亜戦争については自衛戦争だった」
との主張を信じていませんでした。
アメリカは、
「日本が中国大陸における侵略を始め、中国の利権に力を持つ事が気に入らない。 そして白人のアジア侵略の妨げをした」
と、ただその事だけを強く信じていました。
そして、それについて裁こうとしていました。
が、そうしているうち朝鮮での出来事を見たアメリカ側は東条ら日本側が主張する事が事実だとわかり、アメリカは慌てて再び朝鮮半島へ軍隊を派遣しました。
そして、なんとか共産軍を北緯38度まで押し返したマッカーサーは、
「毛沢東率いる中国共産党軍をも撃つべし」
と、大規模な爆撃を敢行します。
その時にマッカーサーは再び原爆使用を唱えた為、事態の拡大を恐れたトルーマン大統領はマッカーサーを解任しアメリカへ帰国させました。
帰国後マッカーサーは国会で、
「日本が主張する共産主義への脅威をはじめ、アメリカによる原油輸出禁止が彼らを追い詰め、やむを得ず日本は戦争による事態の打開を強行したのであり、すなわち太平洋戦争は日本の自衛戦争だった」
と演説しそれを初めて認めたのです。