まず神社とはいったい何でしょうか。
答えはその名の通り社(やしろ)の事です。
社とは人が祭をする所で、その祭は誰の為にして何を供養するのかを知らなくてはなりません。
普通は、その神社の祭神とされている神様の為に祭をします。
我が国のほとんどの神社の神様は、神話の中の天神地祇(あまつかみくにつかみ)である場合が一番多く、次に多いのがその神々の子孫に当たる人の中で一定の条件を満たす者が祭神(神様)となり祀られます。
しかしいつの頃からか、神々の系譜に列なるわけではないごく普通の人間が亡くなった後の霊も神様として神社に祀られ、人々から祭を受ける例が見られる様になりました。
そういった神社の例をあげますと、皆さんがよくご存知の「天神様」。天神様とは菅原道眞公の事で北野天満宮がそれです。
理由や由来は省略しますが、その他神社に祀られる有名人には代表的な人物に、大楠公こと楠木正成(湊川神社)、権現様と呼ばれ親しまれる徳川家康(日光東照宮)、豊国大明神こと豊臣秀吉(豊國神社)、藤原鎌足(談山神社)、年の瀬のテレビでご存知の忠臣蔵赤穂浪士大石内蔵助(大石神社)など他にもたくさんありますが、現在の日本の礎となり明治維新のきっかけともなったペリー来航以来の国難犠牲者を神として祀り追悼する施設として明治2年6月29日に建立されたのが東京招魂社であり、のち明治12年6月4日に靖国神社と改称し現在に至ります。
現在の靖国神社
平成元年現在での合祀数は246万5138柱で、そのうち大東亜戦争の死者は213万2699柱、支那事変は19万1074柱で、この数字から見ておわかりのように大東亜戦争の死者が全体の約94%以上を占めています。
このことから昭和12年以降の動乱の経過で日本国民が払った犠牲が、いかに大きかったかがわかります。
次いで日露戦争が8万8429柱と多く、日露の場合は外国の侵略を逃れるために、そして大東亜の場合には日本とアジア全域にとって、いかに生きるか死ぬかの大問題であったのかがわかります。
日中戦争や大東亜戦争においては、靖国神社に合祀される方々は本当の意味での終戦、つまり日本独立(1952年、昭和27年4月)までの戦死、戦病死、法務死などで亡くなった方々とされています。
一般に終戦と言えば1945年(昭和20年)8月15日ですが、実際にはこの日に日本軍が停戦武装解除しただけで、その後講和条約が結ばれるまでの7年間、日本はアメリカの統治下に置かれていました。
したがってその間も国難と考え、様々な国や場所で捕らえられ外国人による不当な裁判により処刑された軍人及び軍属は、国の為に戦い捕虜となり処刑されたとして靖国神社へ合祀されています。
何かと問題視される合祀問題ですが、「靖国神社に戦犯が合祀されるのはおかしい」と言う意見は全くのお門違いと言うものであり、単純に考えても戦犯であろうがなかろうが靖国神社本来の趣旨(国に殉じた方々を合祀する)としては特に問題がある事ではないのです。
また日中・大東亜戦争当時、日本の統治下にあった台湾や韓国の方々も日本人の一員であり日本軍として勇敢に戦ったのでありますから好む好まざるを別として、これら日本の為に亡くなられた方々は靖国神社へ合祀されるのは当然の事であり、日本人はその英霊に対しても感謝の気持ちを持たなければならないのです。
すべての兵士ではありませんが、実際に戦場で命懸けで闘う日本軍兵士たちは、死んだ時は御霊(みたま)となり靖国へ帰る事を合言葉としていましたし、またそれを名誉としていました。
そして戦場より帰る事が出来なかった兵士の遺族も、当時は自分の身内が神として靖国へ合祀される事を名誉と考えていました。
靖国神社へ祀られるという事は、現人神である天皇でさえも拝礼したまう地位になるとても名誉な事であり、死を覚悟して出征する兵士にとりどんなに力強い事だったでしょうか。
この事は遺書だけではなく、いろいろな証言として残る事実です。
そして靖国の神になると、それまでの地位や階級なども無くなり、すべての人々が平等となると考えられていたのです。
現在、外国人のなかに靖国神社反対を口にする人々がいるのも到底理解できませんが(これは日本人の心の問題です)、それよりもひどいのが日本人から靖国神社に反対する意見が出るという事のほうがもっと問題です。
我々日本人は、国の為に犠牲となられた方々を追悼し、二度と戦争を起こさない、二度と靖国神社へ祀られる方が出ないようにと願い、またそれ以上に国の犠牲となられた方々のお陰で現在の繁栄があるという事を忘れてはいけません。
この感謝の気持ちを忘れているからこそ、日本人からそのような意見が出されるのです。
戦後占領軍の手によりやむを得ず宗教法人となってしまった靖国神社。
《宗教法人靖国神社》を60年以上もの間そのまま放置していた日本人の精神の愚かさは、現在の日本国そのものを表しているように思います。
そして、その他の憲法問題や歴史・道徳教育問題を含め、それらをアメリカの責任にするのには時間が経ちすぎています。
戦後、一宗教法人として出発した靖国神社ですが何故そうなったかという理由を日本人がもっと真剣に考え、そして学ばなければいけません。
戦後、靖国神社国家護持については何度か国会で法案が可決されてはいますが、全く手付かずのままになっているのが現状です。
また慰霊祭の祭日に関しては、大正3年帝国議会で靖国の祭日が衆議院満場一致で可決するも実行されずに現在に至ります。
世界各国には戦没者を慰霊する記念日と施設があります。
そして記念日には政府代表が率先して慰霊祭に参加します。
記念日5月30日を祭日とし、ワシントン近郊のアーリングトン陸海軍墓地にて独立戦争の英霊を慰霊します。
その際大統領はもちろん、各国外交官も皆参列します。
世界大戦休戦日を11月11日を記念日とし午前11時に国王自ら花輪を手向け、イギリス全土を走る汽車、自動車、歩行者は子供に至るまで一斉に停止し、お店や家事をする主婦までイギリス人すべてが一切の業務を忘れて二分間黙祷をします。
記念日を7月14日を祭日とし、大統領以下の官民すべてがパリ凱旋門下の無名戦死者の霊に参拝します。
記念日を11月4日とし、欧州戦後に於けるイタリア戦死者の代表として一軍人の遺骨を「ビクトール・エンマニュエル」王の黄金像の下に祀り、首相やその他大臣が参拝し各学校生徒も時刻を定め、その前方広場に集まり敬意を表します。
このように国家の犠牲となられた戦没者のために国の代表者がその記念日に参拝しない国は、先進国では日本以外にはないという事です。
この事はその各国々の問題であり、外国が口を出す問題ではないはずです。
靖国問題だけではなく、戦後60年以上経ち日本だけでなくアメリカ・イギリス・ロシア等から大東亜戦争に関する資料がたくさん公開されるようになってきました。
今こそ日本は様々な戦後問題を日本人自身がきちんと考えを改め、誤った東京裁判史観を取り除く時期に来ているのではないでしょうか。
またその勇気が必要ではないかと思います。
そして民族精神、大和魂をいい意味で再生する時が来ているのではないでしょうか。
それにより、より豊かで住みよい、世界に協調し貢献出来る日本が誕生するのではないかと思います。
それにはまず国家の犠牲となられた英霊に感謝し、真実の歴史に目を背けず学ぶ事が大切なのです。