1945年(昭和20年)8月15日、日本政府はポツダム宣言を受諾し、昭和天皇の詔勅により全軍の武装解除を行いました。
しかしこの時のラジオの玉音放送はすべての日本軍には伝わらず、一部の地域ではその後も戦闘が行われました。
アメリカ軍が抗戦する日本軍に終戦を伝え投降を呼びかけても日本軍側はそれを信じず、抵抗して殺された例もあったようです。
一方、ソ連は1941年(昭和16年)4月13日に調印した「日ソ中立条約」を無視し、1945年(昭和20年)8月8日未明に日本政府に宣戦布告し、9日午前零時をもって戦闘を開始、南樺太・千島列島及び満州国等へ侵攻してきました。
この時、日本大使館から本土に向けての電話回線は全て切断され完全な奇襲攻撃となり、日本軍は大打撃を受ける事となります。
そして日本が敗戦を迎えた時にはソ連も戦勝国となり、軍事裁判にも参加し日本を裁く立場となりました。(ソビエトの凶行参照)
中国大陸や朝鮮半島では終戦に伴い、多くの居留民が日本へ帰るために移動し大混乱となり、港まで歩けない人々や多くの子供達がやむなく置き去りにされ、中国残留孤児となりました。
しかし命からがら日本へたどり着いた人々は、焦土と化した祖国を見て唖然としました。
その後は飢えとの戦いの毎日となり、持ち帰った衣類や靴などを売って食糧を手に入れるほかありませんでした。