日中戦争の激化に伴い、日本はイギリス・アメリカ・中国・フランス・オランダに取り囲まれ、それら欧米列強は日本に対して経済制裁を加えました。
いわゆるABCD包囲網(アメリカAmerica、イギリスBritain、オランダDutchと、対戦国であった中華民国China、の頭文字を並べたもの)と呼ばれるもので、それは日本へは産業・工業の原動力である鉄や石油を一滴たりとも与えない、という酷いものでした。
そしてアメリカは、ハル・ノートを突き付けてきます。
ハル・ノートとは、1941年(昭和16年)11月26日にアメリカの国務長官コーデル・ハルから日本に提示された交渉文書の事で、その内容は
「日本とアメリカ・イギリス・中国・オランダ・ソ連・タイの包括的な不可侵条約を提案する代わりに、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、そしてドイツ・イタリアとの軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求める」
というものでした。
コーデル・ハル
日本政府はこれを最後通牒と捕え、対米戦争を決意します。
そして1941年(昭和16年)12月8日、遂に日本はハワイ真珠湾のアメリカ海軍基地とマレー半島のイギリス軍施設を奇襲攻撃します。
空母から飛び立とうとする零式艦上戦闘機
こうして大東亜戦争は始まりました。
ちなみに「大東亜戦争」とは現在でいう「太平洋戦争」のことですが、「大東亜戦争」とは日本政府が名付けた対米英戦争の正式名称です。
その後日本は資源確保の為、南洋にあるヨーロッパ諸国の植民地を次々と攻撃し占領します。
日本は八紘一宇の理念のもと、大東亜共栄圏の建設を試みます。
大東亜共栄圏全図。日本はピンクの枠内を統治しようとした。
大東亜共栄圏とは、それまで列強の植民地となっているアジア各国をその支配から解放し独立させ、わかりやすく言えば現在のEU欧州連合のようなアジアすべての国々が対等に付き合っていける国家連合を実現させようとする(アジアは黄色人種の土地であるから、アジアすべてを独立させる為の黄色人種独自の政治を行う)日本が考案した、アジアを欧米列強から守りアジアすべての独立を目指す構想の事です。