「水戸黄門」でお馴染みの徳川光圀(とくがわみつくに)は、ペリーをはじめアメリカ人やイギリス人達の横暴に一つの句を残しています。
外国人の横暴に対する、誇り高き武士の怒りと辛抱強さを表現しています。
「蒼龍猶お未だ雲霄に昇らず 潜んで神州剣客の腰に在り 髯虜鏖にせんと欲す策無きに非ず 容易に汚す勿れ日本刀」
訳
「わが国の海辺を侵して通商を迫る外国船の振舞いは目に余るものがある。 しかしながら、これを討つにはいまだ時期尚早である。 今は龍が深い淵にひそんで、まだ天に昇らない状態にも比ぶべき時でしばし自重が必要である。 神州剣士の腰にさす日本刀こそ隠忍自重の姿である。 かの外敵を皆殺しにする方策は決してない訳ではない。 この腰間の日本刀が鞘はしった時こそ、龍が雲を呼んで大空に昇る時で、その機の熟するを待つべきであり、この刀はたやすく抜くべきではない。 めったなことでは、この神聖な刃は汚すべきではない。」
龍=名刀を龍にたとえた語。
不昇雲霄=空の上に昇らない。雲霄は空。天空。
龍はその時を得れば天上に昇るが、まだその時を得ないという意。 すなわち、名刀もまだ敵を切る機会に達しない意。
髯虜=ひげ深い外国人。虜は蛮族を卑しんでいう語。通商開港を迫るイギリスその他の白人をさす。