日本は武装解除を行った1945年(昭和20年)8月15日からアメリカを中心とする連合国に占領され、その統治下に置かれました。
当初アメリカは日本統治を50年間と考えていました。
日本の工業技術力を恐れていたアメリカは、今後50年間は日本国内における重工業を禁止し、日本はせいぜい自転車を作るくらいの軽工業しかさせない方針でした。
アメリカは資源のない日本はこの先、自転車などを大量に造り、中国をはじめ東南アジアへの輸出により経済を支えるようにしようとしました。
これにより、日本の理工系大学生が多数文系へ転向し、まさに日本の工業は危機を迎えてしまいます。
ところがこのアメリカの対日政策は、このあと起こる大事件を機に終わりを遂げることとなります。
一方ソ連は、日本統治がアメリカの単独統治という事で不満がありましたが、日露戦争の敗戦によりウラジオストクから太平洋への出口が失われていたので、これを機会に南樺太・千島列島他、いわゆる北方領土を戦後賠償として日本から譲り受けます。
しかし北方領土に関しては、ソ連の中立条約違反による参戦などから日本だけでなく世界的に反発も多く、様々な問題を抱えています。
その間アメリカは軍事裁判をはじめ様々な対日政策を行い、日本の復興にも力を注ぎます。
日本軍を解散させた後はアメリカ軍が日本を警備する事となり、アメリカは日本中の大きな港に軍艦を駐留させ、陸上にはMP(ミリタリーポリス)、いわゆる憲兵を多数配備し、日本の治安を守りました。
しかしこの治安を守ると言うのは、先に書いた通りアメリカの政策によるものであり、日本の権利を保持するものではありませんでした。
1950年(昭和25年)には、現在の自衛隊の前身である警察予備隊が創設されます。
自衛隊の前身、「警察予備隊」
この警察予備隊には退役軍人が多数含まれており、その背景にはアメリカ軍だけでは日本を守りきれなくなった事も関係しています。
それは中国大陸や朝鮮半島における共産主義勢力の脅威があからさまに現れた為でした。(朝鮮戦争参照)
これによりアメリカは日本へ軍需産業における重工業の復活を呼びかけ、それまで軽工業のみとしてきた日本の重工業は復活を果たします。
そして朝鮮戦争による特需経済と、日本軍を廃止した後アメリカ軍が日本を警備してくれていたため、軍事費に余分な予算を注ぎ込む必要がなかった日本は、急激に経済成長をしていく事となります。
その後、50年間日本を統治しようとしていたアメリカは、わかりやすく言えば、日本だけに構っていられなくなり1952年(昭和27年)4月28日、遂に日本はその名称を日本国と改め、待望の独立を果たす事となります。
ちなみに日本独立当時の首相は吉田 茂(よしだ しげる)でした。
吉田茂 首相
しかし、ソ連の脅威や中国の共産主義化などに伴い、アメリカは軍事的最重要拠点として沖縄のみをその後も占領下におきます。
その沖縄も1972年(昭和47年)には日本へ返還されています。
返還直前の沖縄。まだ右側通行である