AERAは今年、創刊35周年を迎えた。科学技術が発展し、1988年の創刊時には想像もできなかった世界が目の前に広がっている。これから先の未来には何が待ち受けるのか。化学者・発明家の村木風海さんが語る。AERA 2023年5月29日号から。
高校2年生だった2017年、独立系研究機関・炭素回収技術研究機構(CRRA)を創設し、空気中から二酸化炭素(CO2)を直接吸収する装置「ひやっしー」を開発しました。スーツケース大の大きさで、ボタンを押すだけで手軽に温暖化防止に貢献できるものです。
研究の成果を評価していただき、19年春に東大工学部に推薦で合格。キャンパスライフを満喫していましたが、コロナ禍以降は授業が全てオンラインに。それ以来、CRRAで実験と研究に没頭してきました。
「ひやっしー」を開発したきっかけは、幼い頃に宇宙に憧れ、火星に行きたいと思ったことです。そのために、大気の大部分を覆っているCO2を除去する装置が必要でした。CRRAの研究員は当初は僕ひとりでしたが、現在は10歳から64歳までの20人。研究内容は日々変化と進化を重ね、発展中です。
「ひやっしー」は全国各地のオフィスや学校、病院や家庭で導入が進んでいるほか、今年は欧州や中東へも輸出が決まっています。大規模なオフィスや工場向けに2メートル四方で年間約36トン回収可能な「ひやっしーパパ」の製造も始まっています。
いま注力しているのは、集めた二酸化炭素から燃料を合成する「そらりん計画」です。これまで二酸化炭素から燃料を作る時には、ものすごい高温と高圧が必要でした。つまり、集めた二酸化炭素以上の二酸化炭素が出てしまう。これでは本末転倒なので、乾電池くらいのゆるい電圧で燃料をつくる「電気化学還元」という分野の研究を始めています。触媒は、銅と鉛筆の芯に含まれているグラフェン。身近な物質で手軽に燃料を生成できれば、巨大な化学工場が必要なくなります。自宅で集めた二酸化炭素を燃料にして、自家用車に給油する──なんてこともできるようになるでしょう。
この「そらりん」で飛ぶ小型機によるスカイタクシー計画も進めています。空版ウーバーですね。アプリに入力すれば、自宅に車が迎えに来て、近くの河川敷などにある発着場まで行き、搭乗する仕組みです。例えば、山梨から成田は車だと6時間かかることもありますが、空を飛べば約40分です。就航は25年の予定で、すでに1機購入し、航空会社設立認可の手続きを始めています。会社名は「Wind Ocean Airways」。僕の名前「風海」を英語にしただけです(笑)。
一見、奇想天外に思えることも「こんなことができたらいいな」と思ったら即ググって、世界中の資料を読みあさって、実際の技術に落とし込んできました。僕の武器はスマホです。そして、机上の空論はしない。化学者の中には理論派がいますが、僕は計算する時間があるなら、手を動かして試してみた方がいいよ、と思う実験化学者です。
研究者は論文を発表して終わりではありません。本当に世の中を変えたいのであれば、研究の成果を社会実装するところまで具体的に動かなければいけない。だから僕は自分で陸海空の運輸機関を作り、全ての乗り物を「そらりん」で動かそうとしているのです。
未来の化学者を育てることも、僕のミッション。26年春、高校課程に相当する「CRRA未来科学技術高等幹部専修学校」を設立予定です。僕自身は、高校が嫌で嫌で。ひたすら詰め込んで受験対策をしているだけだったので、なんて無駄な3年間だろうと思っていましたから。だからCRRAは早くから夢が決まっている人を退屈させないカリキュラムを実施します。
僕は「夢」という言葉は使いません。「未来の歴史」です。その未来に、旗を立てるのです。45年の8月18日、僕の誕生日に、人類で初めて火星に降り立ちたい。逆算して1カ月1日単位で必要な技術を洗い出しています。その計画にしたがって、未来の歴史年表上と今日の自分の差を埋めるように行動しています。だから120%実現できる。もし、イーロン・マスク氏が先に行くようであれば、もっと早く行くつもりです(笑)。
(構成/編集部・古田真梨子)
※AERA 2023年5月29日号
2022/01/29 10:0
村木風海さん(21)は、東京大学工学部の3年生。高校時代、総務省の研究支援プログラム・異能vationの「破壊的な挑戦部門」に研究が採択され、空気から二酸化炭素を回収するマシン「ひやっしー」を発明した。さらに、集めた二酸化炭素を使って燃料をつくる、すなわち空気からエネルギーを生み出すことに成功。これを「そらりん」と名付け、「地球を守り、火星を拓く」ことを目標に研究を続けている。2019年には『Forbes JAPAN』の「世界を変える30歳未満の日本人30人」に選ばれた村木さんだが、ここまでに学校でさまざまな教師と出会い、中学時代には研究を否定されたこともあるという。当時15歳。自分の信じる道を進むことができたのはなぜなのか。
Forbes「世界を変える日本人」に選ばれた21歳東大生科学者 教師に否定されても研究貫いた過去
2022/01/29 10:00筆者:白石圭
村木風海(むらき・かずみ)/2000年生まれ。東京大学工学部3年生。一般社団法人 炭素回収技術研究機構(CRRA)代表理事 (提供写真)
村木風海さん(21)は、東京大学工学部の3年生。高校時代、総務省の研究支援プログラム・異能vationの「破壊的な挑戦部門」に研究が採択され、空気から二酸化炭素を回収するマシン「ひやっしー」を発明した。さらに、集めた二酸化炭素を使って燃料をつくる、すなわち空気からエネルギーを生み出すことに成功。これを「そらりん」と名付け、「地球を守り、火星を拓く」ことを目標に研究を続けている。2019年には『Forbes JAPAN』の「世界を変える30歳未満の日本人30人」に選ばれた村木さんだが、ここまでに学校でさまざまな教師と出会い、中学時代には研究を否定されたこともあるという。当時15歳。自分の信じる道を進むことができたのはなぜなのか。
――村木さんが最初に科学に興味をもったのはいつですか?
2歳の時、両親が運転する車の中で「近くの景色は速く進むのに、遠くの景色はなんで遅いの?」と聞いたのが始まりだったようです。母が「この子は科学が好きなんじゃないか」と思ったそうで、それ以来科学に関するいろんな情報を与えてくれて、科学館に連れて行ってもらったりしました。
小学3年生からは、東京のサイエンススクールに月1回、地元の山梨から通い始めました。仮説を立て、実験して、結果を考察して、堂々と意見を発表するという、科学者の基本的な姿勢が学べる実験の教室でした。物理、化学、生物、地学、全部やるのですが、本当に楽しくて! このスクールで僕は科学が大好きになりました。印象に残っているのは豚の目の解剖です。目を切り裂いて、水晶体を取り出して、ゼリーみたいなものが出てきて……6年生になるまで通い、教科書じゃ学べないことがたくさん学べました。
■「それは中学校でやれ」勉強の楽しさが限界に
――小学校は途中で私立校に転校したそうですが、なぜですか?
もともと地元の公立小に通っていたのですが、小1の時に登校班でいじめを受けるなど、つらいことが沢山ありました。勉強は頑張っていたので学年でも1、2位の順位でしたが、先生に教科書の内容を質問しても「それは中学校でやれ」と言われたり、授業で「これ、わかる人」と発言を求められても「村木は手を挙げるな」と許されなかったりして、精神にも、勉強の楽しさにも限界が来ていました。
村木さんの著書『火星に住むつもりです』(光文社)は「ひやっしー」誕生の背景と、「そらりん計画」の展望までが書かれている
そんなときに山梨学院大学附属小学校(現・山梨学院小学校)の編入枠ができたことを母が見つけ、「ずっと私立に通わせるのは難しいけれど、小4から6年までの3年間なら」と提案してくれました。
山梨学院小の先生は本当に最高でした。僕は先生にわからないことを質問することが多いのですが、それがたまたま大学以上の授業で習う内容だったということもあるんですね。そんなとき、この学校の先生は知っているふりをしたり怒ってごまかしたりせず、「ごめん、それは先生もわからないんだ。でも今夜勉強してくるから、明日一緒に勉強しようね」と言うんです! 翌日の昼休みに大量の手書きの資料を持ってきて、何日も僕の質問に付き合ってくれて……小学生の僕でも、大学で学ぶようなことを理解できました。それで学びのリミッターが外れて、好奇心が一気に爆発しました。
■年配の教員に「絶対無理です」と否定され
――卒業後は公立の中高一貫校に進みましたが、そこで先生に実験を否定されたこともあったそうですね。
はい。ただ、予め断っておきたいのは、ほとんど全ての先生がすごく親身になって教えてくださったということです。僕は中学3年の卒業研究で、「ひやっしー」の原型になる二酸化炭素回収マシンの研究を始めました。火力発電所のように、空気中の20~30%も二酸化炭素が含まれる場所からそれを吸い取る研究は日本も得意なのですが、ふつうの空気中から直接二酸化炭素を吸い取る研究をしていたのは、当時、海外にわずか数チーム程度。なぜなら、空気中には二酸化炭素が0.04%しか含まれず、そんな薄いところから取り出そうとするのはばかげているというのが、アカデミック界隈の認識だったからです。
そして中学時代の僕の指導教員は60代の年配の方で、僕が「こうすればうまくいくと思います」と説明しても、「絶対無理です」とかぶせるように言うなど、他の先生とは違い僕の研究に否定的な先生でした。その先生は試薬庫の鍵を持っていたのですが、実験に必要な薬品の使用も禁じられました。その時の気持ちは、怯えと不安でした。威圧的で怖かったですし、まだ15歳だったので、経験のある先生に批判されたことで落ち込みました。実験さえすれば僕の仮説の正しさが証明されて先生の考えを変えられるかもと思っていたのですが、それすらできなかったのですごく苦しかったです。
でも僕は研究が大好きで楽しくてしょうがないんです。こんなくだらないことで実験をあきらめるのはもったいないし、先生が言ったからだめだと決めるのではなくて、実証する姿勢が科学者として何よりも大切だと思いました。科学に誰が正しいということはないのですが、うまくいくかどうかはわからなくても、自分のやりたい実験は自分で確かめなければだめだと思ったんです。
そこでほかの先生に頼んで鍵を開けてもらって、指導教員がいないときにこっそり実験したところ、「うまくいくわけない」と言われていた実験がことごとくうまくいったんです。その経験があってから僕は、「誰かが無理だと言った時こそうまくいくんだ」と思い込むようになりました。今はどんな批判にさらされても、「またうまくいかないって言われた、じゃあうまくいくぞ」と喜んじゃいますね(笑)。
■高1の時から自分でアポを取り、全国の大学へ
――高校2年生の時に総務省のプログラムに研究が採択され、ひやっしーを発明されました。その後も研究を続けて広島大の先生を訪ねたりされたそうですが、それは論文を読んだりして自分でアポを取ったんですか?
集めた二酸化炭素を何かに役立てられないかと思い、ある学会の講演資料を見て、二酸化炭素から燃料になる「メタン」を合成する研究室が広島大にあるということを知りました。「すごく興味があるので研究室を見学させてほしい」とメールを送ったらすぐにOKが来て、夜行バスに飛び乗りました。高校1年生のときから、面白そうな研究を見つけたらアポを取って全国の大学に行っていたんです。両親はそのための費用は惜しまず、後押ししてくれました。
最初は見学だけのつもりだったのですが、先生が「君、面白いねぇ。気に入った!」と言ってくださり、別の長期休みの時に1週間ぐらい、寮に泊まらせて頂きながら実験をしていました。その最終日、二酸化炭素とアルミ、そして水からメタンを作る化学反応を発見しました。今まで見つけられなかった、レアメタルなどを用いずにエネルギーを生み出す反応が見つかったんです。
とある4年生の先輩がとんかつをおごってくれたのですが、「ぼくらは1年以上実験を続けて失敗しているのに、君はたった数日でそんな反応を引き当ててずるいよ」と泣き始めちゃったことを覚えています。本当に運と縁のタイミングが重なった偶然の発見でした。高校生の未熟な僕に親切にして下さった広島大の先生方には本当に感謝しかありません。
――最終的には、空からエネルギーを生み出す「そらりん計画」でロケットをつくり、火星に住むおつもりだそうですね。火星にたどり着いたらまず何をしたいですか?
火星の重力は地球の3分の1ぐらいなので、かなり飛ぶはずなんですよ。宇宙船のハッチを開けて、びゅんっと飛んで空中で1回転して、背中から地面にどさっと落ちて、人類で初めて火星にたどり着いた喜びを、あおむけのままかみしめます。ふと上空を見ると、大気の関係で青く輝く夕日が。そのあとは雄たけびを上げながらその場を走り回って、足跡をつけまくります。それから電波のいいところを探して、YouTubeライブを始めて「地球の皆さんこんにちは、火星人です」と自己紹介します(笑)。将来的には火星にいろんな都市国家をつくりたいですね。資本主義が行き過ぎた国、みんながゆるゆると暮らしている国……様々な都市国家を作って社会実験してみて、良かった国の制度を地球に持っていきたいです。