【社会・文化】「焼肉が教えてくれること」
【社会・文化】「焼肉が教えてくれること」
日本語支援スタッフ 総合文化研究科地域文化研究専攻修士課程
太田 紗菜 (おおた さな)(2026年5月6日)
日本の代表的な食べ物といえば、寿司やラーメンが挙げられる。現代では「焼肉」もその一 つに数えられるだろう。決して安価ではないため日常的に味わえるものではないが、祝い事 や少し奮発したい日の「特別な食事」として、私たちの生活に深く定着している。全国どこ にでもあり、すっかり日本の食文化として親しまれている焼肉だが、いざ店に足を運んでみ ると、一般的な日本の家庭料理とは一線を画すメニューが数多く並んでいることに気づかさ れる。焼肉はどこからやってきたのだろうか。本稿の目的は普段何気なく目にする焼肉屋店 を解剖し、そこに刻み込まれた文化や歴史の一端を共有することである。そこで、まずはお 店を訪れた際の典型的なルーティーンをご紹介しよう。読者の皆さんもご自身の経験と照ら し合わせるか、あるいは想像を膨らませながら読み進めてみてほしい。
焼肉屋でのルーティーン ~到着から退店まで~
店の前に到着すると、入り口のすぐ横で人の形を模した「石の像」に出くわすことがある。 イースター島のモアイ像のようにも見えるが、どこか趣が違う。サイズもさまざまで、大人 の背丈より大きなものから、5歳児ほどのサイズのものまである。
店内に入り席についてメニューを開くと、そこには多種多様な肉の部位やホルモンの名前が びっしりと書かれている。今日は何を食べようか、どの順番で頼もうか。考えを巡らせてい ると、だんだんと空になった胃のあたりに意識が向き、口の中には唾液が滲みでてくるのを 感じる。早く注文しようと急ぐが、いや待て、肉だけではいけない。野菜も一緒に食べよう とメニューに目を走らせると、チョレギサラダやキムチ、ナムルの盛り合わせといった選択 肢が必ずといってよいほど用意されている。
注文を済ませてしばらくすると、一枚ずつ丁寧に切り揃9えられた肉が皿に乗って運ばれて くる。その肉を自分で網の上に乗せ、ひっくり返し、ちょうどいい焼き加減を見計らって網 から離し、タレを付けて口に運ぶ。しばらくして肉が足りなければ、追加注文を行う。運ば れ、焼いて、食べる。これを繰り返し、肉はもう十分堪能したから最後に〆(しめ)ようと 再びメニューを開くと、そこには冷麺やビビンバ、ワカメスープにユッケジャンスープ、ク ッパなどが並んでいる。
もう食べきれないとお腹をさすりながらお会計を済ませて店を出ると、美味しかったという 満足感と、食べ過ぎたという罪悪感が同時に押し寄せる。あまりにも満腹で苦しいので少し ばかり歩こうかと、そのまま夜風に吹かれて散歩を始める。
焼肉屋のナゾ
店による違いはあれど、少なくとも食事の体験としては概ねこのような流れになるだろう。 多くの人にとっては何の変哲もない光景である。だが、これを純粋な「日本の食文化」と捉 えた場合、腑に落ちない点がいくつもある。
例えば、サラダの名前についている「チョレギ」がどのような意味か知っている人はほとん どいないだろう。スーパーで専用のドレッシングが売られていることはあるが、一般的には 焼肉屋でしか目にすることがない。同様に「ユッケジャンスープ」や「クッパ」も、一般的 な日本の家庭の食卓に上ることはまずない。極めつけは「キムチ」や「ナムル」の存在である。どうして韓国・朝鮮料理として知られているものが、日本の焼肉屋には当然のように存在しているのだろうか。
焼肉の起源
英語圏で「焼肉」が “cooked meat” や “grilled meat” ではなく、“Korean Barbecue” と訳されることからもわかるように、そのルーツは朝鮮半島にある。現在、日本の食文化と して広く認知されている焼肉も例外ではない。日本の焼肉の歴史は、朝鮮半島にルーツを持 つ「在日コリアン」と呼ばれる人々によって切り拓かれたからである。ここでいう在日コリ アンとは、主に大日本帝国による植民地支配の時代に、様々な事情で朝鮮半島から日本へ渡 ってきた人々とその子孫を指す。
日本が敗戦し、朝鮮半島が解放を迎えて以降、当時日本で暮らしていた在日コリアンは、公 的な制度からも民間社会からも排除され、深刻な差別に直面した。戦時中から過酷な労働を 強いられてきた彼らは、戦後も日本社会の底辺での生活を余儀なくされたと言っても過言で はない。就労の機会を著しく制限された状況下で、自らの力で商売を始めなければ生計を立 てることすらできなかったのである。
当時の日本社会は深刻な食糧難に喘いでおり、一般の日本人も決して裕福な生活を送ってい たわけではない。食べるものがなく、国会議事堂の目の前の土地までもが畑として開墾され ていたほどである。そのような日本社会において、さらに厳しい周縁に置かれた在日コリアンたちの生活がいかに過酷であったかは想像に難くないだろう。
そんな当時、日本では牛や豚の正肉以外の内臓(ホルモン)は、捨てられることの多い部位 であった。しかし、故郷の食文化を通じて内臓の美味しい調理法を知っていた在日コリアン たちは、日本人からこれらをタダ同然で譲り受けた。つまり厳しい排斥と貧困の中で自営業 を迫られた在日コリアンが、内臓肉までも無駄なく食べる食の知恵を活かして立ち上げた商 売――それこそが、現在の焼肉店の始まりだったといえるだろう。
ごはんから知る歴史、文化
大変興味深いことに、私たちが焼肉屋で目にする風景やメニューは、在日コリアンたちのル ーツと密接に関わっている。冒頭に紹介したルーティーンを中心に見つめ直してみよう。
まず、焼肉屋の前に置かれる「石の像」は、済州(チェジュ/제주)島の守り神「トルハル バン(돌하르방)」である。在日コリアンの中には済州島にルーツを持つ人たちが非常に多 く、その望郷の念も相まってこの石像が置かれていると推察される。そして、出身者の多さ で済州島と肩を並べるのが慶尚道(キョンサンド/경상도)である(なぜこれらの地域出身 者が多いのかは割愛させていただくが、是非調べていただけたら幸いである)。その慶尚道 の色が色濃く反映されているのが「チョレギサラダ」だ。「チョレギ」とはもともと浅漬け キムチの一種を指す言葉だが、これは慶尚道の方言である「チェレギ(제레기)」が日本で さらに訛り、定着したものだと言われている。ちなみに、私たちが親しんでいる「チヂミ」 という呼称も慶尚道の方言「チヂミ(지짐이)」に由来していると考えられ、少なくとも韓国では一般的に「ヂョン(전)」と呼ばれることの方が多い。(ちなみに慶尚道からみては るか北に位置する朝鮮民主主義人民共和国でもチヂミやチヂム(찌짐)と呼ぶである)。
定番の〆である「ユッケジャン(육개장)」や「クッパ(국밥)」などもすべて韓国・朝鮮 語である。「クッパ」は直訳すると「汁飯」を意味する。日本の食習慣において、汁物にご 飯を入れる行為は「ねこまんま」と呼ばれ、行儀が悪いとされることが多いが、朝鮮半島の 食文化ではごく一般的な食べ方である。また「ワカメスープ」は韓国・朝鮮語で「ミヨック ッ(미역국)」と⾔い、朝鮮半島では非常に重要な一品で、誕生日には必ず食べる文化があ る。わざわざ水筒にワカメスープを入れて職場や学校へ持参し、誕生日の主役に飲ませて祝 う習慣があるほどだ。
【まとめ】食卓から社会を読み解く
私たちは普段、何気なく焼肉屋を訪れ、網の上で肉を焼き、満腹になって店を後にする。し かし、その見慣れたメニューや空間の裏側には、植民地支配から敗戦、そして戦後の過酷な 差別と貧困という、日本社会が歩んできた複雑な歴史が横たわっている。周縁に追いやられ た人々が、生き抜くための手段として故郷の食文化と日本の状況を掛け合わせ、逞しく生み 出した「知恵の結晶」。それこそが、今日私たちが享受している「焼肉」の正体である。次 に焼肉屋の暖簾をくぐるときは是非、メニューに並ぶ言葉や入り口の石像に目を向けてみて ほしい。網の上で焼かれる肉の香りの向こうに、これまで見えていなかった日本社会のもう 一つの歴史が立ち現れてくるはずである。