【社会・文化】修道院で霊的修養Retraite spirituelleをしてみよう!
【社会・文化】修道院で霊的修養Retraite spirituelleをしてみよう!
日本語支援スタッフ 地域⽂化研究専攻フランス科 修⼠課程
桝⾕ 莉央(マスタニ リオ)(2026年5月6日)
修道院で暮らしてみよう
「修道院のなかではどんな⽣活が送られているのだろう?」と疑問に思ったことはないだろうか。私は、特にこれといった信仰は持っていないと⾃認している⽇本⼈だが、最低限の物資で⽂化的に暮らす修道⼠の⽣活スタイルに憧れており、いつか体験してみたいと思っていた。実はフランスには、そんな⼀般⼈が気軽に修道院の暮らしを体験できる仕組みがある。それがRetraite spirituelle である。
修道院周辺の景⾊。中央から少し右に⾒える尖った屋根が修道院の屋根。
Retraite spirituelle とは
フランス語でRetraiteは「引退、年⾦、隠居所、静修」、Spirituel[le]は「精神的な、霊的な」などの意味がある。ゆえに今回の場合、Retraite spirituelleは「霊的修養」とでも訳せ るかもしれない。霊的修養とは信者や⼀般⼈が⼀定期間、普段の⽣活や仕事から地理的に離 れた静かな場所で、祈りや瞑想、あるいは⾃分の⼈⽣について振り返る時間を持つことを意 味している。フランスでは多くの修道院がこのRetraite spirituelleのために来る⼈たちを受 け⼊れており、よく調べれば私のような⼀般⼈でも受け⼊れてくれる場所を⾒つけること ができる。例えばRitritというサイトを使うと、フランスで受け⼊れを⾏っている修道院の 検索、滞在条件や費⽤の確認、そして予約ができてしまうのだ。ちなみに費⽤の仕組みも⾯⽩く、完全に宿泊者側の任意だったり、⽬安があっても緩かったりする。私の滞在した修道院では、宿舎の壁に⼀応の⽬安が貼ってあり、3泊 4 ⽇の滞在(駅までの送り迎え+3⾷付)で150ユーロだった。2024年の当時、わたしは現⾦を140ユーロしか持ち合わせておらず、⾮常に焦りながらカードが使えるか聞いたのだが、現地の修道⼠いわく『これはあくまで⽬安だから各々が払える分で良いんだよ』とのことで、140ユーロだけ払って帰ってきた(140ユーロは当時のレートだと23000円くらい)。
Ritrit のサイト。フランスだけでなく、イタリアやポーランドの修道院でも霊的修養が可能 なことがわかる。
修道⼠の暮らし・⾷事
滞在の魅⼒は何と⾔っても修道⼠の⽣活が覗けることだ。私が⾏った修道院では、修道⼠ と修道⼥がそれぞれ別の建物で暮らしており、私のお世話を担当してくれたのは修道⼠の ⼈達だった。彼らの仕事内容は⽇によって異なるが、基本的に毎朝5時55分に起きて、聖 堂でお祈りをする、神学の授業を受ける、掃除をする、パンを焼く、庭の⼿⼊れをする、亡 くなる直前の⼈やその家族と話をして精神的ケアを施す……など様々で、結構忙しいようだ。お祈りは朝・昼・晩に⾏われている。昼のミサが最も盛⼤で、この時だけは修道⼥や近 所に住んでいる住⺠たちもメインの聖堂に集まる。ミサではまず讃美歌が歌われ、聖書の⼀ 節が読み上げられ、説教が⾏われたあと、皆で黙祷をする。修道⼠、修道⼥は当然のことな がら、住⺠の⼈達も跪いてとても熱⼼にお祈りしていた。その荘厳な雰囲気に、私は少し緊 張した。聖体拝領のときには洗礼を受けていない私が受け取って良いのか分からず、丁重に 断ったところ、後から修道⼠に対応を褒められたことが思い出深い。恐らく、どちらを選ん でも儀式へのリスペクトを⾒せれば⼤丈夫なのだと思われる。逆に、男性修道⼠しか⼊って はいけない庭のゾーンに気づかず⽴ち⼊ってしまい、注意されてしまった思い出もある。このように規則が多く難しい側⾯は確かにあるが、⼿探りで学んでいけば受け⼊れてもらえ る⼟壌があるように感じられた。また⼣⽅には、何もせずただ聖堂で⼀時間黙祷するという 時間がある。なるべく⼼を無にするよう努めるこの感覚は、座禅とも似ているかもしれない。
修道⼠の⼀週間のスケジュール。早寝早起きで健康的。
とはいえ、私の⾏った修道院では、滞在者は修道⼠と同じスケジュールをこなす必要はな かった。なので、個室で本を読んだり勉強をしたり、綺麗に整えられた庭の植物を眺めたり、 ⾃然豊かな修道院周辺を散歩したりしながら⾃由に過ごすことができた。この修道院はブ ルゴーニュ地⽅の奥まった場所にあるので、散歩の際は地平線の先まで、⾒渡す限り広がっ ているブドウ畑と⽜⽤の牧草地を⾒ることができ、パリなどの都会とはまた違った開放感 を味わった。
ブルゴーニュの絶景。散歩すると⾵も感じられて気持ちが良い。
滞在した部屋。シンプルな机の上には聖書。
また、気になるのは⾷事だろう。私の⾏った修道院では、豪華な⽇と質素な⽇に分かれて いたのが印象的である。朝はいつも同じで、修道⼠さん⾃家製の⿊パンに、バターやジャム を塗り、コーヒーまたは紅茶と合わせて⾷べる。ヨーグルトを追加する⼈もいる。⿊パンは 少し酸っぱくてもっちりしていて、美味しい。これは常にテーブルの上に置いてあり、いつ でも⾷べられる。昼は、豪華な⽇は、千切り⼈参とトマトにオリーブオイルとバルサミコ酢 をかけたサラダ、粒状のパスタであるクスクス(Couscous)に⽜⾁の⾚ワイン煮込みである ブフ・ブルギニョン(Bœuf bourguignon)をかけたもの、そして最後にバナナ、リンゴ、 キウイ、オレンジなどが⼊ったボウルが回ってくるので、デザートに⼀つ取って⾷べる。普 通の⽇は、千切り⼈参、⾓切りビーツ、輪切りキュウリ、トマトに、オリーブオイルとバル サミコ酢をかけたサラダ、ミートソースパスタ、最後にフルーツ。夜は、豪華な⽇はセロリ をミキサーにかけて⾁と⼈参を少し⼊れた感じのスープ(緑⾊でドロッとしていた。美味しい)、トマトの⾁詰め(ファルシFarce)、ポークステーキ、⿂、キッシュなどのなかから⼀ つ選んだメイン。これに温野菜と、主⾷としてパスタかマッシュドポテトをつける。ヨーグルトかすりおろしリンゴバナナを最後に選んで⾷べた。普通の⽇は、ミキサーにかけた⽟葱 にひよこ⾖をいれた感じのスープ(茶⾊い)、ミートソースとマッシュドポテトを重ねて焼いたグラタン(アッシ Hachis)を⾷べた。もっと質素だと、スープとバジルピザ⼀切れと いう⽇もある。どの料理も⽤意するのは若い⾒習い修道⼠の仕事で、それ以外の⼈は⽫洗いや⾷堂の準備・⽚づけを⾏うことになっていた。
修道⼠との交流
修道⼠の⼈達は意外とフレンドリーに話しかけてくれる。特に頻繁に話しかけてくれた 修道⼠の⽅は韓国と台湾の修道院に10年間務めた経験があり、英語が堪能で、アジア⼈ の私を⾒かけて嬉しかったから声をかけてくれたそうだ。他にオーストリアの修道院から 来たという修道⼠もおり、彼は神学だけでなく倫理学についても学んでいると話していた。このように世界中の修道院を転々と巡って仕事をする⼈がいる⼀⽅、ひとつの修道院 に⻑年勤めるという⼈もいる。例えば、元々この修道院の近所の農家出⾝で、⼀度パリに 上京して郵便配達員として働いていたが三⼗代の時に辞め、ふたたび故郷に戻ってきて以来、この修道院にずっと留まっているという⼈がいた。修道⼠やその⾒習いのなかにはア フリカ系の⼈達もおり、想像していたよりも⼈種や⽂化の多様性があるように思われた。 また滞在の最後には、⼀⼈の修道⼠が私を⼩さな部屋に案内してくれ、⼈⽣に関する悩みなど、何か話したいことがないか聞いてくれた。どの滞在者にもこの時間が設けられる ようで、おそらくRetraite spirituelle が、単純に⽂化体験を⽬的とした⼈だけでなく、何 か⼈⽣について⽴ち⽌まって考えたかったり、迷っていたりする⼈にも利⽤されていることの証左であろう。その後、各⾃室の近くに備え付けられている掃除機や洗剤を使って⾃ 分の使った個室を掃除し、修道院を出た。⾃ら積極的に準備や掃除に参加することが、修道院滞在とホテル滞在の⼤きな違いである。
散歩中に⾒た⽜。⽿をピコピコ動かしていた。
聖堂のステンドグラス。聖書の場⾯が描かれている。
おわりに
以上が、フランスの修道院での私の霊的修養である。修道⼠の⽣活は、「 神 が 私 た ち に 今 ⽇という⽇をくれたことに感謝しよう」、「⾷事や⾃然など⽇常の⼩さな出来事に感謝して 幸せを享受しよう」という姿勢を私たちに⽰してくれる。資本主義社会でせわしなく働く私 たちにとって、このような滞在は本当の幸せを考え直す良い機会になるのではないだろうか。ちなみに、⽇本でも同様の体験を提供する施設がないか調べたところ、お寺が希望者を泊める宿坊というサービスがあり、TERAHAKUというサイトで神社やお寺の検索・予約が できるそうだ。機会があれば、試してみても良いかもしれない。
地平線の先まで広がる牧草地とブドウ畑。天国の⾵景を想像させられた。