【ライティング】書けないことの克服法
【ライティング】書けないことの克服法
日本語支援スタッフ 総合文化研究科 地域文化研究専攻アジア科 博士課程
若杉 美奈子(わかすぎ みなこ)(2024年3月31日)
1 筆が進まない書き手
書くことを苦手としたり、筆が進まなかったりする書き手がいかにして書くことに向かい合うかという問題は、筆者を含めて重要かつ深刻な問題である。本コラムでは、プロの作家から小学生まで、母語・非母語話者にかかわらず筆が進まない状態を克服する方法を考えてみたい。
最近「筆が進まない書き手」について学ぶ機会があった。プロの作家であろうと学習者であろうと、誰にでも書けない時がある。しかし、それは決して書き手が怠け者であったり、やる気がなかったりするわけではなく、様々な理由により起こる。ネタに尽きた時、長いこと否定的なフィードバックに悩まされ永遠に失敗すると思い込んでいる時、テーマに対するモチベーションが低くなった時などがそうである。では、これを克服するにはどうしたらいいか。そのための戦略を紹介しよう。
2 「書けないこと」の克服法
書けなくなる現象はライターズ・ブロックと呼ばれる。いわゆるスランプである。これは特別な人に起こる現象ではない。日常的に物を書く作家やライターだけではなく、ネイティブ・非ネイティブの区別なく、大人から子供までの全ての書き手が経験する現象であり、ライティング指導において一つのジャンルを成している。また、一言で「書けない」と片づけられるものでもなく、その要因を探ると心理的なもの、習熟度によるもの、それらを複合したものの3つのタイプが考えられる。以下に提示するのは、「書けないこと」を克服するための戦略である。
まずは、書き手をスランプ状態から救出するのに効果的な方法として、フリーライティングが挙げられる。この概念を最初に提唱したドロテア・ブランデは、著書『Becoming a Writer』(1934)でライティングの心理的な壁を取り除く方法として毎日15分書き続けることを推奨している。これをフリーライティングという概念を用いて発展させたピーター・エルボーは『Writing Without Teachers』(1973)で、フリーライティングの方法について、「少なくとも週に3回、10分でも15分でも書き続け、振り返ったり消したり、スペルを悩んだり、どんな言葉や考えを使おうか悩んで立ち止まらずに書くことであると述べている」。単語やスペルが思い浮かばず言語化できない場合には「何と書いたらいいか思いつかない」と書いてよい。とにかく止まらないのが重要であると述べている。
もう一つの方法として、ローリスク・ライティングと呼ばれるものがある。これは文字通り、文章を書く時のリスクを下げることである。その結果、書き手は正しい答えを出さなければならないと気にしたり、どんな答えが期待されているのか心配する必要がなくなり、書くプレッシャーから解放され、自分の考えを表現することができる。ローリスク・ライティングのポイントは、提出物の質や書き方を評価するのではなく、書くプロセスを重視するということである。重要なのは文字数ではなく5分、10分と時間を設定し、その時間書くことである。例えば、あるテーマについて100文字書くとなると、文字数を超えることが目的になるが、10分書くとなれば、その時間、書き続けることに専念することなる。
もう一つのポイントは、書き手が知っている分野について書くことである。書くことが苦手な書き手は得てして「何を書けばいいのか分からない」ものである。こうした問題に対処するために、教育者のナンシー・アトウェルは自分がよく知る領域であるライティング・テリトリーについて書くことを推奨している。例えば、自分しか知らないことについて書けば、それについて批判される心配はなく、書き手は安心して書くことができる。書き手は自分の考えが重要であることに気づき、自身の学習に一層打ち込むことができるのである。
以上のように、ローリスク・ライティングは、正しい答えを書くことではなく理解するために努力したことが評価される。こうして書き手である自分に自信を持つようになり、書き手は優れた作品を創作できるのである。
3 良い文章は最初の酷い努力から
フリーライティングもローリスク・ライティングも心の壁を取り除くことを重視している点では同じである。自信を取り戻した書き手は、次に自分の文章と向かい合うことになる。アメリカの小説家であるアン・ラモットは、著書『Bird by Bird』(1994)で次のような印象深い文章を残している。
優れた作家は皆、クソみたいな初稿を書く。そうすることで、良い第二稿、優れた第三稿が出来上がるのだ。
ほとんど全ての良い文章は、ひどい初稿から始まる。(中略)私の友人は、初稿は下書きだと言う。
筆者を含め、これを読んだ読者は、たとえ初稿を下書きだと酷評されても、落ち込む必要が全くないことを悟ることだろう。下書きと呼ばれた初稿はむしろ、優れた作品になる可能性を秘めているのである。
苦労しない書き手はいない。しかし、その葛藤を克服できるか否かは自分がなぜ苦労し、いかにして必要な助けを求めるのかを知っているかにかかっている。その点、勉強会などのコミュニティは有益であろう。書き手は安心してリスクを冒すことができ、互いに学び合えるからである。