【調査・研究】「帝国」の生んだ言語の多様性?
─「国際フランス語センター:ヴィレール゠コトレ城」訪問記-
【調査・研究】「帝国」の生んだ言語の多様性?
─「国際フランス語センター:ヴィレール゠コトレ城」訪問記-
日本語支援スタッフ 超域文化科学専攻 博士課程
谷口 奈々恵(たにぐち ななえ)(2025年3月)
初のフランス語の専門施設
「国際フランス語センター:ヴィレール゠コトレ城(Cité internationale de la langue française – Château de Villers-Cotterêts)」は、2023年にパリから北東60kmのエーヌ県に位置するヴィレール゠コトレという街に開館した、フランス語を専門とする初の文化施設です。
2025年1月に資料調査のためパリに滞在した折、オープン当初から気になっていたこのセンターに足を伸ばしてみることにしました。パリからは北西に電車で約1時間、下車して徒歩5分ほど。ちなみに、この街は『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』でおなじみのアレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas)の生まれた地でもあり、徒歩圏内にはデュマの文学館と、その生家があります。
【図1】駅からこのフランス語センターへの道中では、デュマの大きな銅像がお出迎えしてくれました。
(2025年1月 筆者撮影、以下同)
16世紀に国王フランソワ1世が狩猟のために建てさせた城を大改修して完成したこのセンターは、1600m2の常設展・企画展の展示スペースのほか、演劇や講演が行われるホール、カフェ、ブティック、アーティスト用のレジデンスなどが揃う総合文化施設です。わたしが訪れた日には日曜にもかかわらず人がまばらで、そのがらんとした様子に少々驚いたのですが、それはさておき、本コラムでは今回の目当てであった、フランス語についての常設展を紹介していきましょう。
【図2】建物に到着。1月頭のフランスでは、まだクリスマスツリーが残っています
世界におけるフランス語──「フランコフォニー」とはなにか
国際フランス語センターは、公式Webサイトにおいて「フランス語とフランコフォニーの文化の施設」と紹介されており、この「フランコフォニー(francophonie)」という概念が、施設の趣旨を理解するうえでの重要なキーワードになります。それはひとまず「フランス語圏」と言い換えてよく、すなわち日常的にフランス語を話している人たちや、第二言語としてフランス語を使用している人たちの集まりを指すものと捉えられます。
ここで確認しておきたいのは、フランス語という言語が話されているのは、ヨーロッパ大陸に位置する、あの丸っこい「フランス」(「六角形〔l’Hexagone〕」とフランス人たちは言いますが)だけではないのだということです。まず、国としてのフランスは、グアドループやマルティニーク、レユニオン、フランス領ポリネシアなどの海外県、海外領域圏などをその一部としています。また、フランス語が公用語であったり、多くの話者がいる国として、旧フランス植民地のコンゴ民主共和国やベナンなどのアフリカ諸国、ヨーロッパならばスイスやベルギー、北米ではカナダのケベック州などが挙げられます。
【図3】フランス語話者の分布図(Wikipediaより)
濃い青:フランス語が母語(クレオール語含む)
青:フランス語が公用語
縞模様:行政や教育、職場で利用されている
薄い青:社会・文化的にフランス語が重要な位置を占めている
数字で見るなら、フランス語の話者数は全世界で3億2100万人にのぼるそうです。フランスの人口が約6800万人であることをふまえれば、フランス語を話す人の数は、フランス国内よりも国外に住む人の方が圧倒的に多いということになります。事実、世界でフランス語を公用語としている国は29カ国あり、フランコフォニーの国際機関であるOIF(Organisation Internationale de la Francophonie)には93の国・政府が参加しているとのこと[1]。
このように、フランス語が話される地は広範に及び、したがって地域に応じてアクセントや言い回し、語彙などもさまざまです。現代においてフランス語という言語について考えるときに、この“多様性”という側面を無視することはできません。
言語は生きている
実際に、「フランス語の冒険(L’aventure du français)」と題された常設展では、この言語の複数性と多様性を考慮し、時間的・地理的に広い視野で、その複雑な側面を捉えようとする姿勢が伝わってきました。
特に強調されているのは、フランス語が時代に応じて、人々による使用や他の言語からの影響を受けながら、その文法や発音、構造、語彙を変化させていった「生きた言語」であるということ。たとえば、ある部屋では時代ごとのフランス語の文章と発話した音声が流れていましたが、15世紀のジャンヌ・ダルクの文章は、語彙も書き方も今のフランス語と大きく異なり、当時の発音では何を言っているのかまるでわかりませんでした(日本語の古文もそうですよね)。
そしてもちろん、現在進行形で、フランス語は変容・発展し続けています。語彙については、代表的な例として、若者を中心に定着している「スラング(argot)」や「逆さ言葉(verlan)[2]」のほか、英語やアラビア語由来の表現が紹介されています。最近の争点としては、言語におけるジェンダーの問題も取り上げられており、名詞の「女性化(féminisation)[3]」や中性主語「iel/iels[4]」についての言及も。
註
[1] OIFの公式Webサイトより。https://www.francophonie.org/[最終閲覧:2025年2月28日]
[2] たとえば、「une femme(女性)」が「une meuf」、また「C’est ouf !(すごい!)」が「C’est fou !」となるなど。Verlanにすると、かなりカジュアルでくだけた印象を与えるようになりますが、日常的にとてもよく聞く表現です。(日本語でいうとバブル期に使われていた「ザギンでシースー(銀座で寿司)」みたいなものですが、こちらはもうほとんど耳にしませんね)
[3] フランス語の名詞は、男性・女性いずれかの文法性(genre)を持ちますが、たとえば職業や役職を示す名詞のなかには、男性形しかないものもあります。一例を挙げるなら、「作家」という意味の「auteur」には、もともと女性形がありませんでしたが、近年では女性形をあらわす語尾の「auteure」や「autrice」という表現も広まっています。ほかには、「包括書法(écriture inclusive)」というものもありますが、マクロン大統領や、フランス語の権威であるアカデミー・フランセーズはこれに反対の姿勢を示しています。(長くなるので、詳しいことはネットで検索してみてください。)
[4] 三人称単数主格のうち、男性を表す「il」(英語でheに相当)と、女性を表す「elle」(英語のshe)」を組み合わせたノンバイナリーな代名詞「iel」は、2021年にフランス語辞書『ル・ロベール(Le Robert)』の電子版に掲載され、報道機関やSNS上で物議を醸しました。
【図4】フランス語におけるジェンダーの問題について学べるパネル
「言語についての展覧会」などと聞けば、いかにも教育的で退屈なのでは、と予想されるかもしれません。しかし、そんな心配はご無用で、広大な空間に点数も解説も盛りだくさん、フランス語学習者にとって非常に楽しく勉強になる展示でした。内容は、身近なテーマから歴史的事象まで幅広く、古典的な文学や演劇、映画などはもちろん、お笑いやヒップホップ、ラップなど最新のポップカルチャーも取り入れられ、ビデオや音声、デジタル技術を活用した参加型ゲームなどもあり、飽きさせない工夫もバッチリです。わたしが訪れたときには、他の来場者のほとんどがフランス語のネイティヴの方のように見えましたが、子どもからご高齢の方まで、クイズやゲームに熱心に挑戦していました。
【図5】正しいスペルはどっち?のクイズ。
ネイティヴにとってもなかなか難しいようです
ボリュームたっぷりの常設展を見終わるのに3時間近くかかってしまいましたが、せっかくここまで足を伸ばしたからには、企画展も見逃すわけにはいきません。このときには、“外国から見たフランス語の歌謡曲”というテーマの展覧会を開催中で、国歌「ラ・マルセイエーズ」から、2024年パリ五輪の開会式で大注目を集めたマリ出身のアヤ・ナカムラ(Aya Nakamura)まで、数多くのフランス語圏の有名な曲やアーティストが世界中でどのように受容されていたかが紹介されてました[5]。
日本人の立場から面白かったのは、1990年代~2000年代におけるクレモンティーヌ(Clémentine)という歌手の日本での流行が取り上げられていたこと。クレモンティーヌについて特集した日本の雑誌や書籍などがたくさん紹介されていましたが、これらは日本人のあいだに未だに根強く残る、「フランス」や「パリジェンヌ」のステレオタイプなイメージを作り上げるのに貢献したのです。
註
[5] « C’est une chanson qui nous ressemble. Succès mondiaux des musiques populaires francophones » Du 19 juin 2024 au 5 janvier 2025. https://www.cite-langue-francaise.fr/agenda/c-est-une-chanson-qui-nous-ressemble.-succes-mondiaux-des-musiques-populaires-francophones タイトルの「それは僕たちにそっくりの歌(C’est une chanson qui nous ressemble)」は、20世紀の詩人ジャク・プレヴェール(Jacques Prévert)が作詞した「枯葉(Les feuilles morts)」というシャンソンより。
図6
フランス語への揺るがぬプライド
無事にすべての展示をじっくり堪能し、話題の新スポット見学は大変実り多いものとなりました。おしまい。……と筆を置きたいところなのですが、実は、そう締め括るには難しい、鑑賞中から引っ掛かりを覚えて仕方のない側面があったことを、正直な感想としてここに書かないわけにはいきません。
やや大胆に言ってしまうなら、それはこの施設全体に見え隠れする、フランスという国の、フランス語という言語に対する揺るぎないプライド、とでもいえるでしょうか。
まず、それを感じたのは、最初の展示室にあった「言語-世界(Une Langue-monde)」という表現からでした。この概念は、調べたところ少々留保が必要なのですが[6]、あくまでこのパネルの説明においては、フランス語がヨーロッパから発して複数の大陸で話されている世界規模の言語であり、フランス語によってひとつの世界が作られている、というスケールの壮大さをアピールする言葉として使われているようです。
プライドという観点から特にわかりやすいのが、英語への対抗心です。フランス語は従来、多くの国際機関での公用語であり、外交における主要言語として通用していましたが、第二次世界大戦後にアメリカが覇権を握り、グローバル化が進行するなかで、英語が世界の共通語としての地位を占めてゆくようになります。フランスにも様々な場面で英語が流入してきますが、国内の抵抗は強く、たとえば「チャレンジ(challenge)」や「ビジネス(business)」など英語(anglais)からの借用語は「anglicisme」と呼ばれ、それが行き過ぎると、保守派を中心に「フランス語の危機だ」と叫ばれるのです(カタカナで外来語を使うことが日常化している日本語話者からすると、少々不思議な感覚かもしれません)。展示の端々に、フランスの自国の言語に対する強固な自信、「英語には負けない」というメラメラとした対抗意識が滲み出ている……と言ったら、ちょっと意地悪でしょうか?
もちろん、自国の文化や伝統に高い誇りを抱くのは大切なことで、それを隠さないところがフランスの大きな魅力のひとつであるとわたしは考えていますし、自分がフランスの文化や歴史について研究までしてしまう一因も、そんなところにあります。しかしながら、プライドも無自覚なまま度が過ぎてしまえば、とりわけそれが不均衡な権力構造における「他者」との関係に持ち込まれたなら、途端に負の相貌を表しかねません。実際、そうした一側面を垣間見て、ややグロテスクなものを感じてしまう瞬間がいくつかありました。
啓蒙の言語、言語の帝国
それを最も強く感じたのは、ある展示室に入ったときのこと。まず目の前にあらわれる、「啓蒙の言語──ヨーロッパがフランス語を話していた時(La langue des Lumières : quand l’Europe parlait français)」と黄金色で記されたパネルの空間には絢爛豪華な宮廷の様子が再現され、フランス語がヨーロッパの外交言語として君臨していた栄光の時代が演出されています。
ここまでは良いでしょう。しかし「ん?」と思ったのは、このすぐ隣に並んだ、「言語の帝国(L’Empire d’une langue)」と題されたパネルを読んだ時のことです。先に、「フランコフォニー」という用語を紹介し、フランス語が世界各地で話されていることを書きましたが、ここでは、フランス語がヨーロッパを越えて他の大陸や島々へと広がっていったことが記されています。
註
[6] たとえば、カメルーン出身の哲学者・歴史学者・政治学者アシル・ムベンベとコンゴ共和国出身の作家、大学教員アラン・マバンクによって2018年に発表された次の論考では、フランス本国中心主義的な政治的枠組みとしてのLa Francophonieの制度が批判され、その対抗的な概念としてLangue-mondeが用いられています。しかし、だとするならば国際フランス語センターの展示の解説におけるLangue-mondeは、旧植民地にルーツのあるムベンベとマバンクの意図に反するような仕方で使われてしまっているともいえるのではないでしょうか? Achille Mbembe et Alain Mabanckou. « Plaidoyer pour une langue-monde : abolir les frontières du français », Revue du Crieur, no10, 2018, p.60-67. 他に、次の論文も参照。Tiphaine Samoyault, « De la langue mondiale à la langue-monde », Critique, no827, 2016, p. 334-345. Giuseppe Sofo, « Pour une « langue-monde »: Évolution de la pensée sur les langues et les langages dans l’œuvre d’Édouard Glissant », Francosphères, vol.11, no1, 2022, p. 71-83.
【図7】フランス語が世界へ広がる歴史を辿るビデオ
そもそも、フランス語がこれほど世界に広まっているのは、一体なぜでしょうか? その答えのひとつは、フランスが過去に植民地政策を推し進めていったからにほかなりません。19世紀後半から本格化する植民地主義においては、統治する現地の人々を「野蛮」で「劣った」存在と見做し、その人々にフランスの偉大な「文明」を広めるという「文明化の使命(mission civilisatrice)」というイデオロギーが掲げられました。その際には、現地の人々は自分の言語や生活習慣を放棄させられ、フランスへの「同化」を強いられるという、「帝国」による暴力的な支配と統治の過程があったわけです。
【図8】第三共和政期に教育制度の整備・植民地政策を積極的に推進した首相ジュール・フェリーの銅像
しかしながら、この展示室では、植民地政策への批判的な戯画や現地学校の写真、統治の際に用いられた道具などがいくつか展示されてはいるものの、全体として、その負の側面を十分に伝えられているとは言い難いのではないか、と思わずにはいられませんでした。せっかくなので、「言語の帝国」のパネル説明をまるごと引用してみましょう。
フランソワ1世の治世から、フランス語はヨーロッパを越えて広がり始め、やがて世界各地に普及していきます。「言語は帝国の後に続く」という言葉のとおり、フランス語は植民地支配の拡大とともに広まりました。
北米では、フランス語の継承は主に聖職者と家族の伝統によって担われ、もう一つの帝国の言語である英語に対抗しました。少数派の状況に置かれたフランス語の使用は、アイデンティティを主張する手段と結びついています。
一方、アフリカやその他の植民地では、フランス語は支配の言語として定着しました。行政機関、特に学校を通じて広められたフランス語は、被支配者にとって隷属化の手段と受け止められました。同時に、宗主国フランスは普遍的な解放を掲げる言説を展開し、フランス語の使用を正当化するために啓蒙思想の理念を持ち出していました[7]。
上の引用部では、フランス語が「支配の言語」であり、植民地拡大にともなって広がったと示されたあと、すぐに「アイデンティティを主張する手段」になったというポジティヴな側面が記されます。また、植民地においてフランス語が「被支配者側から隷属化の手段と“受け止められた・感じられた”(il est ressenti comme un instrument d’aliénation)」という表現にも、やや疑念を禁じ得ませんでした。フランス語が抑圧的な側面を有していたということは、植民地の人々による主観的な受け止め方である、と述べているようにも取れるからです。
続く「学校のフランス語──強制から解放へ(Le français à l’école : de la contrainte à l’émancipation)」と題されたパネルでは、植民地におけるフランスの公立学校においてフランス語が「支配の言語」となっていたことが記されつつも、すぐに次のように綴られます──「しかし、フランス語が教えられているところでは、フランス語は教育の媒体として、植民地化された人々に解放の道具を提供することにもなる──学校が伝える知識と価値観は、彼らの解放に貢献する[8]」。……え、ちょっと待って。そもそもフランスによって植民地化されていなければ、「解放」される必要もなかったはずではないの?
そんなツッコミを入れさせる間も与えず、展示は「解放」以後の物語へと鑑賞者を導きます。「解放から言語の複数性へ(De l’Émancipation au pluriel des langues)」のパネルには、エメ・セゼール(Aimé Césaire)やフランツ・ファノン(Frantz Fanon)、アシア・ジェバール(Assia Djebar)といったフランス語話者であるカリブ海やアフリカ系知識人、文化人たちの引用が散りばめられ、そのインタビュー映像が流れています。いずれもとても力強く、エネルギーに満ちた言葉の数々です(特にアルジェリアの作家カテブ・ヤシン(Kateb Yacine)による次の言葉が明快で、印象に残りました──「わたしがフランス語で書くのは、フランス人たちに、わたしがフランス人ではないと伝えるためである[9]」)。
註
[7] 原文は次のとおり。« Dès le règne de François 1er, la langue française voyage hors d’Europe, avant de se répandre aux quatre coins du monde. « La langue suit l’empire»: elle accompagne les conquêtes coloniales.
En Amérique du Nord, la transmission du français est principalement assurée par le clergé et la tradition familiale, contre une autre langue d’empire, l’anglais.
En situation minoritaire, sa pratique se rattache à une revendication identitaire.
En Afrique et dans les autres colonies, le français s’impose au contraire comme une langue de domination. Transmis par l’administration, et surtout par l’école, il est ressenti comme un instrument d’aliénation. Au même moment, la métropole tient un discours d’émancipation universelle et cherche à légitimer l’usage du français en invoquant l’esprit des Lumières.»
[8] « Toutefois, là où il est enseigné, le français - vecteur d’éducation - fournit aussi aux peuples colonisés un instrument de libération : les savoirs et les valeurs véhiculés par l’école contribueront à leur émancipation. »
[9] « J’écris en français pour dire aux Français que je ne suis pas français »
図9
…… ところが、同じパネルの左上に位置するのは、フランスの地理学者オネジム・ルクリュ(Onésime Reclus)。実は、ルクリュは19世紀後半に「フランコフォニー」という語を最初に用いた人物として知られますが、この言葉の誕生には当時の帝国主義の状況が密接に関わっていました[10]。果たして、彼の写真と「言語が国民を作る(La langue fait le peuple)」という言葉が、旧植民地国出身の人たちとともに並べられているのは一体どういうことなのだろう、と引っかかりを覚えざるを得ません。
「フランコフォニー」の功罪
まとめるなら、啓蒙思想から植民地主義、さらに「解放」へと至るこの部屋は、すべての人間の自由と平等を謳うフランス啓蒙思想と、「文明化」を推進する植民地主義とが表裏一体であり、さらにそれがかつて支配下にあった人々に力強い解放と知的な豊かさをもたらしたのだ、というナラティヴで構成されているようです。
たしかに、アフリカの旧植民地諸国では、フランスによる統治が始まってから100年以上が経過し、フランス語が定着して人々のアイデンティティを構成する段階にまで至っています。各地の出身者がフランス語の文学や芸術を生み出していることも疑いのない事実であり、常設展においても小説や歌謡曲、演劇などをはじめとして、世界各地のフランス語の作品たちが多数紹介されていました。
註
[10] 西山教行「フランコフォニーの成立と展望」『フランス語教育』特別号、2003年、22-24頁。
【図10】世界各国の作家によってフランス語で書かれた本たち
また、フランコフォニー国際機関(OIF)の設立を推進したのは旧宗主国のフランスではなく、独立後のアフリカ諸国の親仏派の指導者たちであったといいます[11]。19世紀後半には植民地支配と分かち難く結びついていた「フランコフォニー」という概念が、その後、被支配者側によって用いられるようになり、フランス語を介した共同体を築き、政治・文化的紐帯を形成していこうとする試みは、とても貴重なものでしょう。
しかしながら、そうした豊かな文化が、統治によって失われた文化や言語の犠牲のうえに成り立っていることが忘却されて良いわけではありません。言ってみれば、この部屋の展示においては、「フランス語が解放と自由の実現を可能にした」という主張によって、植民地の人々の文化が抑圧され、言語を奪われたという支配と暴力の実態が覆い隠されてしまっているかのようなのです[12]。
ある言語が成立し、人々に定着し、広まってゆく歴史をいかにまとめるか──この広大な問題に着手する時点で、政治的な要素を排除することは不可能であり、何らかの立場をとる必要があるとしたら、一定の偏りは生じてしまうものかもしれません。限られた空間で、記述が駆け足になるのも致し方ないでしょう。しかし、一通り常設展を見終えたあと、植民地化や帝国主義の歴史は、フランス語が世界に広まり多様で豊かなものになるのに貢献したとして、ポジティヴな色で上塗りされてしまっているのではないか、という印象はどうしても拭えませんでした[13]。
言語と政治
この施設を後にしてパリへと戻る電車のなかであらためて抱いた感想は、言語とは政治的なもの以外ではあり得ないのだな、ということでした。あまりに当たり前のことなのですが、展示を通じて、ある言語の歴史を辿れば必ず支配や抑圧といった一面が見られること、また言語が使われる場ではどれほど小さくても何らかの権力関係がはたらいているのだということ、そして何より、普段の生活においてそれらがいかに意識されずにいるかを肌身に感じた、といえるでしょうか。
国際フランス語センターというこの施設自体も、まさにアクチュアルな政治的企図によって生まれました。2017年、エマニュエル・マクロンは大統領の大型文化プロジェクトとしてこの施設の設立計画を表明し[14]、火災を被ったノートルダム大聖堂の改修に次ぐ2億ユーロ以上を費やし、荒れ果て状態だったこの城を4年間かけて大改修したといいます。政府は展示内容の監修に一切関与していないということは明言されているようですが、国際フランス語センターがマクロン肝入りの施設であることは間違いありません。
選ばれたヴィレール゠コトレ城も、フランス語の歴史において極めて重要な政治上の意味を持ちます。フランソワ1世が建てさせたこの城は、1539年にフランス語を行政・司法文書に用いることを決めた「ヴィレール゠コトレ勅令」に署名された地でした。この勅令は、ラテン語に代わりフランス語を公用語とすることを決めたもので、「フランス語の“出生証明書”」などとも言われます[15]。つまり、この城はフランス語が時の権力と結びついたことを記録する象徴的な場なのです。
註
[11] 平野千果子「〈フランス語〉という空間形成──植民地帝国の変遷とフランコフォニーの創設」『武蔵大学人文学会雑誌』第44巻、第3号、2013年、532-533頁。
[12] アフリカの17カ国が独立した「アフリカの年」1960年からすでに60年以上が経過し、近年、特に西アフリカ諸国では、独立以後も続くフランスによる経済的搾取とロシアの進出もあり、フランスからの影響を排除する傾向があります。次の記事では、国際フランス語センターの開館式に、フランスとの関係の冷え込んでいる国からの出席が見られなかったことが指摘されています。Christian Rioux, « La Cité internationale de la langue française fait déjà polémique », Le Devoir, 30 octobre 2023, https://www.ledevoir.com/monde/europe/800965/france-peine-inauguree-cite-internationale-langue-francaise-fait-polemique Damien Glez, « À la Cité internationale de la langue française, l’Afrique oubliée ? », Jeune Afrique, 1 novembre 2023. https://www.jeuneafrique.com/1499560/politique/a-la-cite-internationale-de-la-langue-francaise-lafrique-oubliee/[最終閲覧:2025年2月28日]フランコフォニーの制度への懐疑と批判については、ムベンベとマバンクによる前述の論考でも述べられています。Mbembe et Mabanckou, op. cit. また、次の論文では「フランコフォニー」の理念をめぐるOIFとフランス政府の見解の相違が考察されています。長谷川秀樹「フランコフォニーとフランス文化外交──文化的多様性と矛盾するフランス共和主義」『中央大学人文研究所紀要』第68号、445-463頁。
[13] こうした印象を筆者が特に強く抱いたのは、フランスの政治の場では未だ、過去の植民地主義の歴史を扱うことが「タブー」だとされている、という言説を見聞きしていたからかもしれません。歴史家のニコラ・バンセルとパスカル・ブランシャールは、次の記事において、この国際フランス語センターの開館に言及しつつ、他の欧州諸国に対してフランスでは自国の植民地主義を振り返る議論が欠如していることを批判し、植民地主義の歴史についてのミュージアムを作るべきだと主張しています。Nicolas Bancel et Pascal Blanchard, « La question du passé colonial est le dernier “tabou” de l’histoire de France des XIXe et XXe siècles », Le Monde, 30 octobre 2023.
[14] フランスでは、歴代大統領が大規模な文化プロジェクトを行う伝統があります。たとえば、シャルル・ド・ゴールならシャルル・ド・ゴール・エトワール空港。ジョルジュ・ポンピドゥによるポンピドゥセンター、フランソワ・ミッテランはルーヴル美術館のガラスのピラミッドに国立図書館(別称:フランソワ・ミッテラン図書館)、ジャック・シラク大統領のケ・ブランリー美術館など。マクロンは2017年の選挙時の公約として、この国際フランス語センター設立を掲げていたのです。
[15] この地は歴史的に極右政党である国民連合(RN)の支持基盤が強い地域であり、失業率の高さなどの社会的課題も多いそうです。
【図11】ルネサンス期のチャペル
「フランス本国のフランス語」の中心地にある以上、常設展の内容が本国に軸を置いた構成になることは、やむを得ないかもしれません。しかし、そうした権威性を備えた城という空間だからこそ、せめて展示においてはその権威に対して反省的であることは必要でしょうし、不均衡な構造を引っ掻き回すくらいの何かがあってもよかったのではないか? さもなくば、フランス語の多様性や複数性とは、所詮はその「総本山」にとっての都合の良いお飾りにしかなり得ないのではないか? と思わずにはいられないのでした。
このセンターのエントランスホールに足を踏み入れた時、その内装に対して抱いた第一印象は、「白い!」というものでした。この白色は、おそらくルネサンス時代の城の壁の色に由来するかもしれませんが、この施設にスタイリッシュで洗練された雰囲気を与えている一方で、無個性や画一性、空虚さを想起させるものでもあり、本来、各地のフランス語が有しているはずのさまざまな個性、エネルギー、ダイナミズム、そして存在したはずの衝突や摩擦などが、すべて不可視化されてしまっているかのような印象も受けました。このエントランスの中を歩きながらどこか落ち着かなさを覚えたのは、抑圧されたものの存在がうっすらと感じられたため、だったりするのかもしれません。
図12
おわりに──「国際日本語センター」は可能か?
なんだかちょっと刺々しい物言いになってしまったでしょうか。少し調べてみたところ、国際フランス語センターの展示内容を紹介する日本語の記事はいくつか見つかったので、ここではあえて、見学しながら自分が抱いたモヤモヤに向き合ってみようと考えました。とはいえ、始めに述べた通り、展示全体がとても面白く勉強になるものであったことは確かであり、今後の国際フランス語センターの展開を楽しみにしてもいます。また、わたし自身はフランス語の歴史やフランコフォニーについては素人であり、今後、この記事を読んだ方からご教示いただけること、また実際に訪れた方々からの感想やご意見を目にできることを願っています。
ところで、こうして自分の学習する外国語についてこのコラムを書き進めながら、ふと頭に思い浮かびました。いま、わたしは母語である日本語でこの文章を綴っていますが、わたしは日本語のことを、ほとんど知らないのではないか。この半年間、駒場アカデミック・サポートセンターの日本語支援事業のスタッフとして、日本語学習者の方の日本語の文章の添削をさせていただいたり、コミュニケーションサポートで会話をするなかで、自分が母語の文法や歴史について、もっと学ばなければならないな、と痛感する瞬間がたびたびありました。
たとえば、この国際フランス語センターの、日本語版を作ることはできるでしょうか(そもそも「国際」と名乗れるでしょうか)? もし作るとしたら、どこに、どんな建物を作り、どのような内容で展示を構成するべきでしょうか[16]? これを考えるにあたっては、母語話者のみならず、日本語学習者の方たちからの視点とその協力は不可欠でしょう。これまで一緒にやりとりをしてきたみなさんと、日本語の歴史をひもといて、その豊かさも、負の側面も、一緒に考えてみたいと思ったのでした。
註
[16] フランス語と同様に、日本語が植民地政策における同化の手段とされていた側面は無視することができません。日本統治下の朝鮮や台湾、マレーシアなどの東南アジア諸国では、日本語が強制され、現地の言語が抑圧されてきました。しかし、現代の日本では、日本語の支配と暴力という側面をきちんと知り、学ぶ機会が十分とは言い難いように思います。このコラムにおいて、わたしがこの展示とフランスの状況に対して試みた批判は、そっくりそのまま今の自分、そして日本の状況へと跳ね返ってくるかもしれません。
〈公式Webサイト〉
国際フランス語センター https://www.cite-langue-francaise.fr/
フランコフォニー国際機関 https://www.francophonie.org/
〈参考文献〉
「【特集】新しい「国際フランス語センター」へ。」『OVNI』、2024年1月3日。https://ovninavi.com/cite-internationale-de-la-langue-francaise/
鳥羽美鈴『多様性のなかのフランス語』関西学院大学出版会、2012年。
──「フランコフォニーの政治性」『一橋論叢』第133巻、第3号、2005年、291‒312頁。
長沼圭一「フランコフォニーとは何か(1)──フランス語は何ヶ国で話されているか」『愛知県立大学外国語学部紀要 言語・文学編』第51号、2019年、171-182頁。
──「フランコフォニーとは何か(2)──フランコフォニー国際組織について」『愛知県立大学外国語学部紀要 言語・文学編』第52号、2020年、317-330頁。
──「フランコフォニーとは何か(3)──フランスの海外県・海外領土について」『愛知県立大学外国語学部紀要 言語・文学編』第53号、2021年、215-230頁。
西山教行「フランコフォニーの成立と展望」『フランス語教育』特別号、2003年、21‒31頁。
長谷川秀樹「フランコフォニーとフランス文化外交──文化的多様性と矛盾するフランス共和主義」『中央大学人文研究所紀要』第68号、445-463頁。
平野千果子「〈フランス語〉という空間形成──植民地帝国の変遷とフランコフォニーの創設」『武蔵大学人文学会雑誌』第44巻、第3号、2013年、531-575頁。
AZIMI, Roxana, « A Villers-Cotterêts, un parcours sur la langue française ludique et accessible », Le Monde, 31 octobre 2023. https://www.lemonde.fr/culture/article/2023/10/31/a-villers-cotterets-un-parcours-sur-la-langue-francaise-ludique-et-accessible_6197569_3246.html
──, « A Villers-Cotterêts, un château pour penser les mots de la France », Le Monde, 29 octobre 2023. https://www.lemonde.fr/culture/article/2023/10/29/a-villers-cotterets-un-chateau-pour-penser-les-mots-de-la-france_6197148_3246.html
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