【日本語学習】日本語学習者から見た日本語(後編)(北村)
【日本語学習】日本語学習者から見た日本語(後編)(北村)
日本語支援スタッフ 国際社会科学専攻修士課程
北村理沙 (2024年3月31日)
はじめまして、日本語支援スタッフの北村と申します。
今回のコラムでは、「日本語学習者から見た日本語」という関心から、駒場で学ばれる留学生の方へのインタビューを企画することにしました。インタビューにご協力くださったのは、
Lさん:中国出身。修士課程。来日半年(学習歴4年)
Yさん:韓国出身、博士課程修了。来日11年(学習歴15年)
のお二人です。前編ではLさんのインタビューを掲載しました。
今回の後編ではYさんのインタビューを掲載します。
——日本語学習のきっかけはどのようなものでしたか。
日本語というか、日本に興味を持ったきっかけは、私が子供の時、日本のブランド価値が非常に高かったことにあります。ソニーのウォークマンや日本の電気製品、特に『スラムダンク』という漫画が私にとって魅力的でした。また、私はパソコンゲームが好きで、『三国志』という日本の戦略ゲームにも関心が高かったです。日本語が読めなかったためプレイはできなかったものの、日本は素晴らしいものを作っているという印象を持ちました。これが私が個人的に日本に興味を持つきっかけとなりました。
本格的に日本語を学び始めたのは、留学を決めた時です。2008年頃、大学3年生か4年生の時に、将来のキャリアを真剣に考え始めました。その時、父も教員であったこともあって、私も教員を目指すことにしました。実際には、やりたいことを真剣に決めたというよりは、膠着状態から抜け出したいという気持ちが強かったと覚えています。したがって、教員になるための具体的なビジョンはなく、とりあえず大学院に進む必要があると考えました。大学院に進学するなら、外国での学びも視野に入れていましたが、家計の事情から奨学金が必須でした。さらに、私の親の世代では日本の存在感が非常に強かったため、両親からは日本で学ぶことを強く勧められました。その後、文部科学省の奨学金制度があることを知り、日本で多くのことを学べると考えて、2008年9月から留学の準備を始めました。
その時から本格的に日本語の勉強を開始し、韓国の日本語塾でひらがなから学び始めました。2012年10月に日本に来るまで、その日本語塾に通い続けました。最初は基礎コースから始まり、次に初級、中級、上級と進みました。各々2ヶ月コースでした。上級コースを修了すると、日本語能力試験3級を目指せるレベルになりますが、その後は日本語能力試験2級、そして1級の試験対策クラスに参加しました。また、会話授業も並行して受けていました。2009年頃から2012年までは、私の生活において日本語の勉強が非常に大きな比重を占めていたと言えます。
———来日後、大変だったことなどはありましたか。
日本に実際に来て、一番難しく感じたのはコミュニケーションそのものでした。まず、言語とコミュニケーションは完全に同じものではありませんね。コミュニケーションには、表情やさまざまなリアクションが含まれます。言葉が通じなくてもコミュニケーションは可能なはずです。しかし、初めの頃はそれに気づかず、日本語ができないのにそれを補うためのリアクションなどの努力を十分にしていませんでした。そのため、話が進むにつれて、雰囲気が気まずくなったり、あまり好意的ではないものになっていたりすることを度々感じました。今では相手に好意を示すために意識的に微笑んだりあいづちしたりするように努力していますが、当時は日本語で話す自信がなく、聞き取れなかったらどうしようという不安が強くて、固まっていたのですね。そのため、相手には会話の意思がないとか、態度が丁寧ではないとか誤解を与えてしまうことがあったのではないかと思います。
似たような話になりますが、日本語力の問題でコミュニケーションの過程で適切なリアクションをすることにも苦労しました。リアクションにはタイミングが重要ですね。例えば、相手の話に対して「なるほど、いえいえ、確かに」などのことを言うタイミングが大分遅れると、自然な反応とは言えず、さらに、相手の意見に同意しないという間違ったシグナルを送ってしまう恐れもあります。こういったことが度々起こりました。知り合いや先生と予期しなかったタイミングですれ違いざまに一言言われたり、関連する日本語を知らない分野の話をふっと振られたりすると、結局何も話せず反応できないことがあります。相手からすると、この話に興味がないのか、この質問がいやなのかと誤解されることもあったのではないかと思います。
さらに困るのは、日本語が不自由なためにコミュニケーションがうまくいかないだけでなく、考えが浅い人になってしまうこともあることです。例えば、ゼミのディスカッションを考えられます。ディスカッションペーパーに日本語で一段落か二段落ほどの文章が書かれていて、『これについて皆さんはどう思いますか?』と問われることがあります。日本語に問題がない人であれば、その二段落を読むのに数十秒かけて、その後はどう答えるかを考える時間に使えます。そして、考えが定まれば、そのまま日本語で答えを話し始めればよいのです。しかし、私の場合、まずその内容を理解するのに時間がかかります。そして、どういう内容で答えればよいかを母国語で考え、それを日本語でどう表現するかも考える必要があります。もし意味がわからない単語が出てくると、さらに時間がかかってしまいます。そのため、内容自体をじっくり考える余裕が相対的に少ないのですね。こうして、『この人は外国語ができないだけでなく、ちょっと能力にも問題があるのではないか』と思わせてしまうようなピント外れな発言も多々やったと思います。笑
しかし、この問題は日本語が全くできなかった時には問題になりません。なぜなら、私がどのような反応や発言をしても、日本語能力が十分ではないことを考慮して受け入れていただけるからです。この問題は、相手が認識している私の日本語能力と実際の私の日本語能力に差があるときに顕在化すると思います。
最後に、コミュニケーションがうまくいかなかった原因には、日本語以外の問題もありました。学校でのコミュニケーションに問題が生じた場合、それには言語の要素と専攻関連知識の要素が混ざっていますね。例えば、『Yさんの研究の問いは何ですか?』とか『Yさんの仮説は何ですか?』、あるいは『何が独立変数で、何が従属変数ですか?』と聞かれたときに、それを理解できないのは、日本語の問題というよりは、専門知識や自身の研究の進み具合の問題であると感じます。たとえ平易な日本語で話してもらっても、内容が難しい場合があります。例えば、統計手法の用語として『多重共線性(multicollinearity)』というものがありますが、『この理論仮説で多重共線性の問題は考慮されていますか?』という文章をいくらゆっくりと話してもらっても、その用語自体の勉強ができていなければ理解ができないですね。日本語の勉強だけでなく、専攻関連勉強も不十分だったことが、渡日後の生活を困難にさせた一因となりました。反省しています。笑
———特に研究における困難について、どのような経験をされましたか。
これまでを振り返ると、一番致命的だったと思うのは、コメントの意図を十分に理解できていなかったことです。論文を書く際には様々なコメントが寄せられます。中には、対応しないと問題になるもの、対応すればさらに良くなるができなければ仕方がないもの、また、論文の分析範囲を超える、あるいは、論文と直接には関係しないといった重要度の低いコメントもあります。このようなコメントのそれぞれについて、自分の研究デザインや研究の方向性がしっかりしていれば、混乱することも少ないのですが、日本語が不十分であったことも影響して、合理的に対応できなかったことがあったと思います。少し極端な例ですが、最初に励ましの言葉として「基本的に面白く読ませていただきました。いくつかコメントを付けさせていただきます。」と書かれていると、その次のコメントが重要なのに、私は「面白く読ませていただきました」とあるから、他のコメントは対応しなくても特に問題はないと、すさまじい勘違いをしてしまったこともあります。笑
あるいは、論文に関する指導教員のコメントをもらって、どのように修正すれば良いか散々悩み、非常に時間をかけて対応した後にコメントを読み直すと、すでにコメントの中にヒントが隠されていたことに気づくこともあります。もし指導教員のコメントを完璧に理解できていたならば、研究はさらに早く進んでいたことでしょう。笑
実際に博士論文を書く際には、様々な問題に直面し、それを今後の課題としたり、論文の限界として認めたりしながらも、現在の研究設計を諦めずに進める必要がある場合もありますね。しかし、周囲から「面白くない」とか「もっと斬新なテーマがありそう」といったコメントが寄せられることがあります。これらのコメントは確かに重要ではありますが、時には聞き流すべき場合もあると感じます。そういったコメントで博論の方向性が必要以上に揺れた時期もあったと思います。もちろん、この問題が日本語力による問題なのか、専攻関連の勉強不足による問題なのかははっきりしない部分があります。笑
——最後に、日本語を学ぶコツやアドバイスがあれば教えてください。
テクニカルな点として、まずは言いたい内容がきちんとまとまっていることが重要だと思います。結局、外国語はそれを伝える手段なので、自分が日本語でうまく答えられなかったと思う時も、じっくり考えてみればそもそも伝えようとしていた内容がまとまっていなかったかもしれません。ですから、自分が話す前に言いたいことの内容をきちんと整理しておくことが重要だと思います。例えば、病院に行く前や電話をかける前に、一度セリフを全部作って、特定の状況を想定してあらかじめいろいろと練習しておくとよいと思います。
より大事だと思うのは、才能やセンスがある人もいるかもしれませんが、地道に漢字や文法を覚えて、たくさん読んで聞いて話して書くことです。近道はないと思います。諦めずにやっていけば必ず伸びるのだということを意識しておくのは重要です。
最後に、これは日本語に限った話ではありませんが、学びというものは試行錯誤のプロセスであると思います。試行錯誤とは、言い換えれば恥をかくプロセスです。恥をかきたくないという気持ちにとらわれると、自分の行動範囲が劇的に狭まってしまいます。その呪縛から抜け出すには、謙虚さと前向きな姿勢が重要だと思います。笑 また、私たちは考える職業についているので、考える時間が増えると余計なことまで考えてしまうことがありますが、それは自然なことです。学ぶ過程はストレスを受ける過程でもありますので、ストレスを受けない状況を求めるのではなく、そのストレスをどのようにコントロールするかを考えることが重要だと思います。