【調査・研究】修正はアクセプトへの羅針盤:8度目の再投稿で論文がアクセプトされた話
【調査・研究】修正はアクセプトへの羅針盤:8度目の再投稿で論文がアクセプトされた話
日本語支援スタッフ 地域文化研究専攻アジア科所属 博士課程
若杉 美奈子(ワカスギ ミナコ)(2023年2月28日)
はじめに
論文の添削を受けた時、修正で真っ赤になった原稿を見る時ほど気分が落ち込むときはないだろう。かつての筆者がそうであった。
しかし、自分でも外国語で論文を書くようになり、その考えを捨てた。再投稿を繰り返し、自分の文章と何度も向き合いながら実感したことは「修正は上達への近道」ということである。
何を隠そう、筆者は、2021年度の英語校正支援を利用し国際ジャーナルに投稿した論文がアクセプトされた経験がある。恥ずかしながら、アクセプトされるまで8回再投稿した。
その内訳は、国内学術誌:リジェクト1回、査読不可判定1回、アジアの英文学術誌:査読不可判定1回、再投稿判定1回、米国学術誌:リジェクト1回、再投稿4回である。その間、4社の校正サービスを利用した。
あえて筆者のような道を選ぶ人は少ないだろうが、これから論文を投稿しようと考えている人にとって何らかの道標(反面教師?)になるかもしれない。そうなれば幸いである。
行き場を失った論文
その論文は、修士論文(日本語)の一部であり、博士課程進学後も調査を続けながら加筆・修正をしていた。最初から海外学術誌への投稿を目指したわけではなく、筆者の研究手法や論文を受け入れてくれる学術誌を求めて彷徨っているうちに、海外学術誌に辿り着いたのである。したがって、途中から日本語論文を英語に書き換える作業が必要になった。その時点で、国内学術誌でリジェクト1回、査読不可判定1回を経験していた。
それまで外国語で論文を書いたことがなかった筆者は、1日1段落ずつ、2ヶ月間英文にする作業をひたすら続けた。英語で論文を投稿することを知人に相談すると大抵笑われたが、その悔しさをバネに英文化作業に打ち込んだ。出来上がった論文は、今思えば酷いものであった。校正業者から戻ってきた論文は、うんざりするほど真っ赤に修正されていた。
当時、国際学会での報告を控えていた筆者は、ろくに見直しもせずに、焦って投稿してしまったのであるが、それが間違いの元であった。それから1ヶ月ほどして戻ってきた判定は「再投稿」判定。ネイティブが修正したはずの論文は「英文が酷い」と酷評された。
それもそのはず、校正のシステムがよく分かっていなかった筆者は校正者のコメントを残したまま投稿するという大失態を犯してしまったのである。それだけでなく、よくよく見直してみると、校正者の修正が筆者の意図する文とはかけ離れた文に修正されていることが判明した。その原因として考えられるのは次の二点である。
①筆者の英文が酷すぎて校正者が意図を汲み取れなかった。(書き手側の要因)
②校正者の知識がなく、思い込みで修正した。(読み手側の要因)
これらにいかほどに苦しめられたかは、次節で詳述するとしよう。いずれにせよ、その学術誌は筆者の研究手法に理解を示さなかったことから、筆者は投稿先を変えようと考えた。しかし、どこに出していいのか、海外学術誌の知識に乏しい筆者には分からなかった。
そんな矢先のことである。当時、海外調査のためにベトナムに滞在していた筆者は、調査先のベトナム国立公文書館で知り合ったコーネル大学のベトナム研究の第一人者であるKeith Weller Taylor氏とその奥さんで同じくベトナム研究者のOlga Dror氏に相談する機会があった。夫妻は快く論文を見てくれた(今考えると、あの酷い英文をどうやって読んだのか、不思議である)。これまでの経緯を話し、「アメリカの学術誌への投稿を考えているのだけれど、(これまでの査読者がそうであったように)私の論文は笑われるんじゃないか」という、率直な思いをぶつけた。すると、こう言われたのである。「アメリカ人は人の論文を笑ったりしない」。(それが大嘘だということが分かるのは、そのずっと後のことであるにしても、)当時の筆者はこの発言と、彼らの再投稿を促すメッセージの数々に、大いに勇気づけられ、修正へと取り掛かった。
「ノーベル賞受賞者の論文校正者」でもダメ出し
そんなこんなで再び原稿を見直してみた筆者だったが、修正は簡単なものではなかった。まず苦しめられたのは、校正によって論旨が大幅に変わってしまっていたことだった。最初の校正で筆者が意図していない趣旨の英文に替わっていた箇所が30箇所はあっただろう。元の文章が悪かったのかもしれない。その点については反省する。しかし、それにしても、校正と呼べるものではないと感じた。そのため、筆者は修正間違いを表にして校正業者に送り、再修正を依頼した。
そして、いよいよ米学術誌に投稿。しかし1週間もしないうちに、編集者から「論文は雑誌の趣旨と合っているが、英語に問題がある」との返事。さらに「英語が得意な人ではなく、ネイティブに校正を依頼するように」と念を押されてしまった。
ネイティブが修正したはずなのに…。そう思いながらも、これでは埒が明かないので校正会社を変えることにした。2社目の校正会社に事情を説明すると、経験20年のベテランを投入してくれた。真っ赤に修正された論文の修正箇所を今度は一つ一つ確認し、論文を再投稿した。
その2ヶ月後に戻ってきた論文は再投稿判定だった。英語の質も悪いとこき下ろされた。査読者のコメントに沿って修正しはじめると、校正間違いやタイプミスが残っていた。校正会社に事情を伝えると、今度は「ノーベル賞受賞者の論文校正を担当した経験のあるエース」を投入してくれた(新たに校正料金も発生した)。
さすが、エースだけある。原文で説明の足りない箇所は、穴埋めするように本文に括弧が加えられており、表現が曖昧な部分は、コメントに書かれた修正候補の選択肢から選べばいいようになっていた。校正された文章から、自分の文章に何が足りないのか、何が伝わっていないのか、文章構成の問題点もよく分かった。修正完了後、2度目の再投稿をした。
さて、ここまでこれば、読者も(また当時の筆者も)アクセプトへの期待を膨らませるわけだが、物事はそんなに順調には行かない。その頃になると、コロナ禍で世の中が回らなくなっていた。そのせいもあるのだろう、査読者の一人が音信不通(査読放棄)となり、半年経っても査読結果が戻ってこなかった。査読者と連絡が取れなくなったという理由で、編集者が査読することになったのだが、戻ってきたコメントを見て愕然とした。数十箇所にわたるコメントに加え、極め付けは「筆者の研究対象は嘘つきだから、研究じゃない」という驚くべきコメントだった。これが国際ジャーナルの編集者のコメントなのか、と半ば絶望しながらも、全てのコメントに真摯に答えた。「査読者のコメントへの回答」は論文の原稿のページ数をはるかに超える60ページにもなっていた。
そして、ここでも英語の問題が指摘されていた。筆者は再び校正会社を変えることにしたが、業者選びは難航した。ある欧米圏の業者からは「こんな間違いだらけの英文は校正できない」と校正拒否された。最終的に校正を引き受けてくれたのは、アジア圏の安価な校正サービス。費用面から致し方なかったが、校正を引き受けてくれた良心的な業者に感謝するしかなかった。修正が完成し、3度目の再投稿をした。
ところが、再び半年経っても返事がない。問い合わせてみると、なんと筆者のメールアドレスが「受信拒否リスト」に入っており、原稿が届いていないという。ここまでくると、さすがに嫌がらせのように思えたが、念入りに確認しなかった自分が悪いのだと自分に言い聞かせ、査読を待つことさらに1ヶ月。再び辛辣なコメントと共に「英語の質」を指摘された論文は、またしても「再投稿」判定を受けた。それが2022年の1月のことである。
2018年に日本の学術誌に日本語論文を投稿してから3年と4ヶ月が過ぎていた。米学術誌に投稿し始めててから2年が過ぎ、研究費も既に尽きていた。藁にもすがる思いで、英語校正支援に依頼したのは2022年3月のことだった。
校正を担当してくれたY氏は、根気強く校正に付き合ってくれた。「これでどうにか読めるようになりました」と苦笑いしながら原稿のコピーを渡された時のことを今でも覚えている。あれほどいろんな業者を転々とし、「ネイティブ」に修正してもらったはずなのに、今までの校正は一体何だったのか。こうして、私の「どうにか読めるようになった論文」は、再投稿することになった。米学術誌に4度目、通算8回目の投稿である。
アクセプトの知らせが飛び込んできたのはそれから約2ヶ月後のことである。査読者のコメントは辛辣ながらも評価してくれていた。査読者の一人は「こんな論文とても掲載に値しない」と述べながら、「理論と証拠は完璧だ。問題は英文法ではない。文の構成だ!」と半ばキレていた。最初から、そう言ってくれたらいいのに…と内心思ったが、数々の辛辣なコメントは筆者を成長させてくれたのだから、感謝するばかりである。
さて、ここまで来ると、もはや最初の文章など跡形も残っていない。最初の頃は修正される度に、あまりにも修正が多く落ち込んでいた。今思えば、修正自体が誤りでない限り、修正の度に、原文は確実に改善されていたはずである。校正者による修正や提案がなければ、文章の質が上がることはなかった。だから、修正を恐れないでほしい。
そして、8回の再投稿で4つの校正サービスを利用した不名誉な経験から、学術的なバックグラウンドのある校正者を探す難しさを身をもって知った。特に、マイナー分野の場合、校正者のバイアスが校正に与える影響は少なくない。その点、学内の英文校正サービスはアカデミックライティングの質が担保されている。この事業が、院生が最新の研究成果を世界に発信できる環境と機会を提供し、今後も続くことを願ってやまない。