【日本語学習】言語島への誘い
【日本語学習】言語島への誘い
日本語支援スタッフ 地域文化研究専攻 博士課程
若杉 美奈子(わかすぎ みなこ)(2023年3月)
秘境巡りを趣味とする筆者は、先日、青春18切符で日本一大きな村と言われる十津川村を訪れた。旅の楽しみの一つは、その地方の方言に触れることだろう。普段耳にする言葉とは異なるアクセントや言葉遣いを耳にすると、旅先にやってきたことを改めて実感できる。
言語島・十津川村
各駅停車を乗り継ぎ、東京から新宮まで向かう長旅の車中にて、筆者は十津川の方言について調べてみた。すると、驚くべき事実が判明したのだ。なんと十津川村では標準語が使われているという(もしかすると、言語学を専攻している人にとっては常識かもしれないが、筆者は方言学に関しては素人である)。これは一体、どういうことなのか。今回のコラムでは、言語島・十津川村の謎に迫る。
奈良県吉野郡の南端に位置する十津川村は、紀伊山脈の山々に囲まれた山間集落である。西は和歌山県、東は三重県に接しており、672.4km2の面積はで奈良県全体の5分の1にも及ぶ。現在の人口は2993人(2022年4月時点)で、過疎地帯であるが、日本一長い吊り橋や十津川温泉で知られる。
古事記や日本書紀などの神話の世界では、十津川村は八咫烏が舞い降りた地として叙述されている。歴史書に初めて登場したのは1142年の「高野山文書」で、津から遠い地として「遠津川」という名称で記されている。
険しい山々に囲まれた十津川へのアクセスの困難さは、陸の孤島と呼ばれる所以となってきた。十津川村は電車が通っていないため、唯一の公共交通手段はバスである。日本一長い路線バスとして知られる奈良県・大和八木から和歌山県〜新宮間(166.8km)を結ぶ奈良交通のバスは、1日3本出ており、大和八木から4時間、新宮から2時間かかる。さらに、十津川村の霊峰・玉置山(標高1077m)まで行くとなると、週2本の村営バスしか出ていない。ここは、奈良県民でも1日では辿り着かないという、秘境の中の秘境なのである。しかも、山岳地帯ゆえに天候が不安定であり、一定量以上の降水量になると山行きのバスは運休になる。
方言学の学説
十津川村は、こうした過酷な地理的条件により、独自的な言語体系が形成されたと言われる。では、近畿方言に囲まれた十津川村で標準語が話されているのは、なぜだろうか。
十津川村の方言の形成をリサーチするにあたり、その前提となる方言学の学説について簡単に紹介しておこう。
日本語のアクセントは東京式アクセントと京阪式アクセントに大別され、東京式アクセントはさらに「内輪式・中輪式・外輪式」に区分される。金田一春彦によると、東京式アクセントは京阪式アクセントから派生したと考えられている(学説上の対立もあるが概ね通説とされている)。
柳田國男の方言周圏論によると、方言は文化的中心地から円心円状に分布する。この考えによると、中心地に近い地域には新しい言い方が分布し、遠い地域には古い言い方が残る。
地理的条件により隔絶された地域には新しい言い方が伝わらず、独自的に派生した方言が形成される地域が島のように存在する。
続いて、奈良県の方言について整理すると、次のようになる。奈良県の方言は北部方言と奥吉野の南部方言に二分される。奥吉野方言はさらに、十津川方言、北山方言(上下北山方言・下北山方言)、大塔天川方言に分類される。北部方言は奈良弁と呼ばれるものであり、京浜式アクセントで話される近畿方言の特徴を有する。一方で、奥吉野方言のなかでも、京浜アクセントと接する地域(北山方言、大塔天川方言)は京阪式アクセントの影響を受けているが、地理的に孤立している十津川方言と洞川方言は、近畿一般のアクセントと異なり、東京式アクセントの特徴を有するという。
地理的条件
十津川方言が東京式アクセントの特徴を持つ理由について考える前に、まずは十津川村の地理的条件を整理する必要があるだろう。十津川村は、昭和34年に国道168号船が開通して住民が村の外に往来できるようになった。それまでは、輸送路として重要な役割を果たしたのは村を南北に流れる十津川であった。村の生産品である木材は船や筏で新宮へ搬出され、米や塩、衣服などの日用品は新宮や五条から搬入していた。周辺地域の経済圏の影響や生活必需品を売りに来る行商人の存在は、他方言が十津川方言に移入する要因となったという。
以上から、十津川村には次のような言語・地理的条件が存在していたことが分かる。
地理的条件:十津川方言には、長い間にわたり外部と隔絶されてきたため、独自的な言語文化が形成される条件が整っていた。
地域経済圏の影響:十津川村は近隣地域の経済圏に組み込まれており、行商や季節労働者を通じて他の方言が流入する条件が整っていた。
十津川方言に東京式アクセントが形成された過程を検討した研究によると、十津川弁の東京式アクセントは、東京方言の共通語アクセントとは異なるという。元々、田辺アクセントに類似したアクセントを有していた十津川方言は、地理的条件に阻まれ中央方言(京阪式アクセント)の影響力が弱まったことにより、アクセントが東京式アクセントに変化したと説明する。したがって、十津川方言のアクセントには、京浜アクセントの面影が残っているのだという。元禄時代の記録である「補忘記」をもとに検討を行った平山輝男(1979)は、このような変化が起こったのは室町期と推定している。
ここで、京阪式アクセントの影響が薄まると、なぜ東京式アクセントになるのかという疑問が生じる。これについて、金田一春彦は、①言葉の最初の音から高いアクセントで発音することは労力を伴い、低く始まったほうが楽である(語頭の低下)②前述の理由から、音調の山が後退する(アクセントが1音右にずれる)のが自然であることから、京阪アクセントが東京式アクセントに変化した理由を説明している。
旅先での観察
新宮でバスに乗り換えるために下車し、人々の会話に耳を傾けると、それが京浜アクセントであることはすぐに分かった。移動するなかで、本宮で聞いた言葉は十津川や東京のアクセントとそう変わりないように感じたが、十津川の人のアクセントは、確かに京浜アクセントとは一線を画していた。
「私が中学生の頃、(折立)中学校がレッドデータガールに出てくる中学校のモデルになったんですが、その中学校が大阪の万博に移転されるんですよ」。こう語るバスの運転手のアクセントは標準語そのものである。語彙のアクセントは確かに東京式アクセントに近いが、文全体のアクセントとなると、話者にもよるが、文末のアクセントが上昇する近畿方言の特徴が観察された。
このような、東京式アクセントを伴う方言は日本各地に点在する。明治22年の大水害で壊滅的な被害を受けた十津川村から2489人が集団移住した北海道の新十津川でも東京式アクセントが見られる。
このように、方言の形成には地理的要素だけでなく、経済さらには歴史や文化が影響している。それだけでなく、方言の変遷から過去の人々の生活や往来などに触れる時、時光を遡るかのようなロマンを感じる。今後、日本国内を旅するときには、地域の方言にも心を寄せてみてはいかがだろうか。
参考文献
金田一春彦(1975), 『日本の方言-アクセントの変遷とその実相』, 信光社, pp.49-81.
平山輝男(1979), 「言語島奈良県十津川方言の性格」, 『言語研究』, 76号, pp.29-73.
平子達也(2015), 『日本語アクセント史の再検討:文献資料と方言調査にもとづいて』, 京都大学博士論文, pp.26-31.