【日本文化】漢字考古学への誘い
【日本文化】漢字考古学への誘い
日本語支援スタッフ 総合文化研究科 地域文化研究専攻アジア科 博士課程
若杉 美奈子(わかすぎ みなこ)(2024年3月31日)
1. コロナ禍を生き残った印鑑文化
日々の生活の中で最も面倒なことの一つとして書類の作成が挙げられる。それを一層複雑にしているのが押印であると言っても過言ではない。コロナ禍では押印を不要とする風潮もあったが、その試みは成功しなかったようで、印鑑を求める書類は依然として多い。
急ぎの書類に印鑑を押し忘れ、駅ビルの文房具店に駆け込み三文判を購入するという経験をしたことがある人は少なくないのではないだろうか。筆者もその一人であり、その度に、書類の片隅にある小さな「印」の字を疎ましく思ったものである。
そんな、書類作成を苦手とする筆者にとって、コロナ禍で書類文化のあり方が変わったことは、朗報であった。コロナ以前は郵便で処理していた書類も、電子メールで受け取ってもらえるようになり、何度も印刷したり郵便局に行ったりする手間が省けるようになった。
そして、時代の潮流に乗り、電子印鑑や電子サインが普及した結果、印鑑文化は淘汰されるどころか、むしろ発展した。筆者のように、印鑑をその都度購入するのは面倒だが電子印鑑は使ってみたいという消費者の心を捉えたのである。印鑑に無頓着な生き方をしてきた筆者にも、ついに印鑑文化に迎合する時がやってきた。
さて、いざ印鑑を作ろうとすると書体を選ばなければならない。印鑑に使用される書体には「篆書体(てんしょたい)」「古印体(こいんたい)」「隷書体(れいしょたい)」など様々な書体が存在する。どうせならインパクトのある書体がいいと思いながら書体を眺めていて一際目についたのがユニークな曲線で書かれる「篆書体」である。前置きが長くなったが、本コラムではこの篆書体の魅力について紹介したい。
2. 印章の歴史
印章の歴史は紀元前4000年前の古代メソポタミア文明に遡る。シュメール人が円筒印章を作ったのが始まりで、その後、西はエジプト、ギリシャ、ローマ、東は中国へと伝わった。中国では、文字を統一した秦の始皇帝(紀元前259年−紀元前210年)により、印章の公式書体として篆書体が定められた。篆書体は、線の太さが一定で、左右対称の縦長字形であり、丸みを帯びているのが特徴である。しかし、迅速な書類作成に適さず、文書を効率的に書くために篆書の筆画を簡略化し、曲線を直線に変えた隷書が誕生した。公式書体はやがて隷書体に取って代わることになるが、印章は公式証明の名残として篆書体が引き継がれた。
日本に現存する最古の篆書の資料としては、2000年前に漢の光武帝(紀元前55年〜57年)から贈られた「漢委奴国王印」がよく知られている。日本では大宝元年(701年)に印章制度が定められ、江戸時代に庶民に普及したが印鑑の所有は一家の当主に限られていた。印鑑の個人所有が普及したのは明治時代に庶民が苗字を使用し始めた後のことである。印章象廃止をめぐる論争は、明治時代にも起こったが、それ以前の時代に印章がある程度浸透しており、また明治6年(1873年)の「太政官布告」で自署より実印を使うことが定められたことから、印鑑文化は存続し続けた。
3. 篆書体の変遷
漢字は甲骨文字から金文(きんぶん)、篆文(てんぶん)へと発展した。一例として筆者の苗字の一字である「若」を取り上げてみよう。「若」という漢字の成り立ちは、巫女が両手を上げて、神託を受けようとして髪を振り乱す様子を現した文字であると言われる。巫女は若い女性の象徴であることから「若い」という意味になったと言われる。
甲骨文字、金文、篆文へと発展(Japan Knowledge HPより)
秦篆(しんてん)の成立により文字の書き方が定まったと言われる。そして、現代人から見て驚くべきことは、そのバリエーションの豊かさであろう。以下の写真は、『摭古遺文』(李登、1716年)に記録されている「若」の字である。原字は上段左から三番目の「叒」(ジャク)と言われる。叒は神木の名を指す。その下の「右」は、右の手「又」で祝詞「口」を持つ様子を表している。現在使用されている楷書とは相当異なる。昔の知識人は書物を読む時、どうやってこれを見分けたのか。個々の「若」の字のユニークな形から、昔の人々の柔軟な発想がうかがえる。
李登『摭古遺文』(1716年)。写真は人文学オープンデータ共同利用センターの篆書字体データセットから引用。
しかし、多様な表記とは裏腹に、その運用は極めて厳格であったといわれる。秦が短命に終わった後、秦の文字体系を継承した漢において、役人は誤字があれば刑罰に問われたというから、漢字の書き取りが嫌なものになったルーツはこの辺りにあるようだ。
印鑑に納めるために小篆の曲線を直線にしたのが印篆である。以下は、小山駿亭(1784年〜1835年)が編纂した『印篆貫珠』(出版年不明)に収録されている「若」の字である。上記の篆書体に比べると筆画がコンパクトになっている。
「若」の字の数々
摭古遺文と比べると、印篆は文字の形が定まっているが、それでもいくつかのバリエーションがありユニークである。型にはまった漢字教育を受けてきた身としては、「口」の位置が一箇所に定まっていないことや、現在の草冠を構成する「屮(てつ)」が三つあるなど、筆画の自由度に驚かされる。(「口」の位置が間違っているのではない)
4. 印鑑文化への誘い
篆書体の世界をひとたび覗くと、書体に凝縮された古代人の情報伝達のための技巧に驚かされる。形式張った書類を作成するとき、ささやかな自己表現として印鑑の書体に拘ってみるのも悪くないだろう。
それに、この印鑑文化は決して悪いことばかりではない。ブルガリア人の友人に篆書体の印鑑を作って贈ったら非常に喜ばれた。このように印鑑を介してささやかな文化交流をしてみてはいかがだろうか。
参考文献
劉濤(河内利治監訳、亀澤孝幸訳)『中国書法史入門』、2021年、科学出版社
阿辻哲次『漢字の文化史』、2007年、筑摩書房
中国出土資料学会編、『地下からの贈り物 ―新出土資料が語るいにしえの中国―』、2014年、東方書店