【社会・文化】二つの映画と二つの犯罪:
『略称・連続射殺魔』から『REVOLUTION+1』へ
日本語支援スタッフ 総合文化研究科博士課程 田口仁(2022年12月4日)
こんにちは、表象文化論博士課程の田口です。主に映画を研究しています。前回までは、日本語支援事業に直接かかわるコラムが続きましたが、今回は少し趣を変えて、日本の時事問題と私の研究に関わることを少しお話したいと思います。雑駁な内容ですがご笑覧ください。
去る2022年7月8日、奈良市駅前で応援演説中であった安倍晋三元首相が銃撃され殺害されるという衝撃的な事件が起こったことは、まだ記憶に新しいのではないかと思います。その後すぐさま国葬が閣議決定され、その是非をめぐる議論がメディアを賑わしました。この国葬の日にあわせて『REVOLUTION+1』という映画が上映されたことをご存知でしょうか? 銃撃犯の山上徹也容疑者をモデルとして、その銃撃事件までの過程を描く内容の作品で、製作開始からわずか二か月、未だ全ての素材を撮りきらぬままに、国葬前日の9月26日と当日27日にあわせて急遽「特別版」が編集され、全国のミニシアターで公開されて物議を醸しました(一部劇場では抗議を受けて上映中止)。この映画の監督は足立正生(1939- )、「元日本赤軍メンバーの映画」ということでも話題になりましたが、実際に、1974年にパレスチナへ出国して日本赤軍に合流すると、国際指名手配を受け、2000年に強制送還されるまで約四半世紀に渡って海外で活動を続けた経歴の持ち主です。
*
ところでこの足立監督、実は約半世紀前にも知られた射殺犯をモデルとした映画を撮り論争を呼んでいます。それは『略称・連続射殺魔』(1969年)という、当時「連続射殺魔」として世間を賑わし逮捕された19歳の少年永山則夫の足跡を追って、「永山の見たであろう風景だけを撮りまくった」異形のドキュメンタリー映画でした。劇中には簡潔なナレーションとテロップの他に言葉はなく、荒涼とした風景にあわせて時折鋭いフリージャズが間欠泉のように噴出する、何とも奇妙な、しかし映画自体の葛藤を見るような、非常にエモーショナルな作品です。
ところが、この『略称』は完成直後に制作者たちの意志によって「封印」されてしまい、その結果、映画そのもの以上に「風景論」として知られる、その制作の理論的背景が関心を集めることになりました。例えば、1970年出版の季刊『写真映像』誌6号では「風景」が特集され、鈴木志郎康による中平卓馬らの風景写真を扱った論考に加えて、「風景をめぐって」と題された討論会の記録が収録されています。司会は中原佑介、参加者には赤瀬川原平、足立正生、佐藤信、刀根康尚、中平卓馬と、美術、映画、演劇、音楽、写真とジャンルを超えた錚々たる面々が集っており、この「風景(論)」概念のインパクトとともに、政治的主題を媒介に諸芸術ジャンルが交差しえた時代の状況が偲ばれます。この「風景論」を簡単に要約するならば、1964年の東京オリンピックを起点として急進する国土開発とそれに伴う「風景の均質化」を、人々を無意識化に支配しようとする国家権力の表現としてとらえ、それに対して永山則夫の犯罪を権力への抵抗とみなす、一種の制度批判的革命論とでも言えるでしょうか。「風景だけを撮りまくる」手法の背景にはこのような政治と芸術を交錯させる議論があったのです。
二つのオリンピックと二人の射殺犯をめぐる二つの映画、なにやら因果めいたものを感じざるをえません。しかし、この二つの映画二つの犯罪に対する同時代の反応を比べれば、むしろ両者のおかれた社会の相違こそが露になります。永山則夫は貧しく悲惨な生い立ちと、集団就職という社会的背景、獄中での読書体験によって作家になりそれを語る言葉を持ったというエピソードによって、同時代に一種の文化的アイコンとなりました。例えば、永山は『略称』や『裸の十九才』(1970年)をはじめとした映像作品や演劇の主題とされ、時代を代表する美術作家赤瀬川原平が永山の著書『無知の涙』(1971年)の装丁を手掛け、高名な社会学者の見田宗介はこの事件から論文「まなざしの地獄」を著し、前述のように「風景論」では永山を革命家にさえ擬しています。しかし、偶然行き合った無辜の人々を殺害した永山のこの扱いに対して、相応の因縁のある山上容疑者を取りあげた『REVOLUTION+1』は激しい反発を受けており、続く作品が現れる予兆もなく、そこにはこの半世紀での暴力に対する日本社会の反応の大きな変化がうかがえます。左派が自決した三島由紀夫に嫉妬し、「あらゆる犯罪は革命的である」と嘯く煽情的な書物が書かれた決断主義と直接行動の時代はとうに終わり、70年代を通じて、モーレツからビューティフルへ、我々から私らしい私へ、荒々しさは鍛練と洗練へと道を譲り、冷戦の終わりは革命を改良へと書き換えました。テクノロジー環境の発展が内向を促した平成三十年間の歩みは言わずもがなでしょう。足立監督自身も決してその変化に無自覚だったわけではなく、山上はテロリストではない、もう暴力はおよびではないというコメントを同作に関連したインタビューの中で残しています。
*
私が以前に書いた論文は、この『略称・連続射殺魔』を「風景論」との関連から見るのではなく、足立監督の実験映画作家としての初期キャリアとの関係から考察することで、むしろ「封印」の行為を積極的な表現手法として主張するものでした。2020年コロナ禍の始まりからそう遠くない時期に、私は学友の紹介によって足立監督と直接お会いして、この自説を直接伝える機会をえています。私の主張は「風景論」の映画に対する有効性を度外視しており、ある程度の反発が予想されるもので、監督ご本人にお伝えする際にはやはり多少の緊張がありました。しかし、足立監督は自明とばかりに余裕綽々に同意されると(勿論宴席でのサービスかもしれませんし、同意の程度も曖昧ですが)、続けて、「しかし「風景論」は研究するものではなく、自ら論じるものだ、君の風景論はないのかい?」と逆に私に問いかけてこられました。それは以前の指導教授に言われたこととも通じており、そのとき私はただ鈍牛のごとく唸るばかりでした…。
その夜足立監督と話したことは、革命やパレスチナや60年代といった勇ましい話よりも、むしろ日本帰国後の映画学校での指導の話が多く、同席した若い映像作家たちに構想をたずねたり、励ますように声をかけたりしていたことも印象に残っています。久方ぶりの酒宴を楽しみ、会は和やかに終わり、高田馬場から電車で帰宅する道すがら、足立監督の問いかけを反芻して、酔った頭で風景、風景…とぶつぶつとつぶやいていると、コロナ禍で変貌した街の姿が目につきはじめました。閉店してのっぺらぼうになったテナントのファサード、広告募集の貼紙がついた無数の空白の看板広告、それらの思いがけない古さ、まるで表面がひっぺがされたかのような痛々しくあられもない都市の姿が眼前に広がっていました。まるで永山の時代に貼り付けられた「均質な風景」の壁紙がボロボロと剥がれ落ちたかのように。1964年の東京オリンピックの「集団の夢」から、東京は束の間だけ目を覚ましたのかもしれません。山上もきっとこのような風景を目にしてきたのでしょう。しかし、永山則夫の時代とは異なり、この風景を眼前に最早疎外されていない「本物」の風景の存在を信じることなどできないし、そうである以上、ユートピアに向かって革命を扇動するすることも不可能なように思われます(アンチユートピアへの革命はありそうですが…)。
思えば、『REVOLUTION+1』のタイトルは、ビートルズの1968年の楽曲「Revolution 1」に似ています。この曲は同タイトルの複数ヴァージョンがあり、ここで” But when you talk about destruction Don't you know that you can count me out, in でも、ぶち壊すっていうことなら 僕には期待しないでくれよな、いやしてくれ”となっている歌詞が、次のテイクとなる「Revolution」では、”Don't you know that you can count me out 僕には期待しないでくれ”とinが切られ、革命の破壊に対する否定的な調子が決定的になることが知られています。とすると『REVOLUTION+1』では、このinが回帰するのでしょうか。足立監督のコメントを読む限り、少なくとも私はそんな気はしません。ジョン・レノンは歌詞を以下の様に続けています。
You say you got a real solution
真の解決を見つけたって
Well, you know
そうかい
We'd all love to see the plan
是非聞かせて欲しいね
You ask me for a contribution
それで寄付しろっていうのかい
Well, you know
そうかい
We're all doing what we can
できることなら何でもするさ
But if you want money for people with minds that hate
でも、憎しみをもった人たちのための金ならば
All I can tell you is, brother, you have to wait
ちょっと待てとしか言えないね
Don't you know it's gonna be alright
上手くいくさ
Alright
それでいい
Alright
大丈夫だ
本稿執筆中、まだ映画は完全な形で公開されていないし、以上のことは根拠を欠いた想像的な解釈にすぎません。しかし、私はこの「+1」に、いささか保守的なこの歌詞の新しい続きを、『略称』への反復的回帰ではなく螺旋を描き進展する軌跡を期待し、夢想してしまうし、そう考えさせてくれたことが――この緊急上映までを含むプロジェクトとして――すでにこの映画が与えてくれたものではないかと思っています。