【言語・文化】ジャーゴンとその表現効果について:『仁義なき戦い』の台詞における意味と音など

日本語支援スタッフ 総合文化研究超域文化科学専攻博士課程所属

田口 仁(たぐち ひとし)2024331日) 

大学などで外国語を学習した人の多くが、論文や専門書は読めても同時代の小説には苦戦したり、映画で使われる台詞の意味が分からずに困惑した経験を持つのではないでしょうか。私自身も、辞書に載っていない言葉や、参考書では解釈できない言い回しがこれでもかと出てくるテクストに直面しては、自信を失いうなだれることを繰り返しています。時代に特有の口語表現や特定の業種のみで使われる言葉などはなかなか学ぶ機会がなく、また学ぼうとしても際限がありません。しかし、ついつい真似して言ってみたくなるのは、なぜかそんな言葉がほとんどだったりするのが不思議なものです。そうした言葉にはまるで歌のフレーズのように人の身体を動かす秘めた力があるような気がします。今回のコラムでは、そのような俗語や隠語とその表現的機能についてお話したいと思います。

 

先の2024年2月22日、小泉法務大臣が刑務所などで使われてきた俗語や隠語の使用をやめるよう通知したことを明らかにしました。これは、名古屋刑務所で起きた刑務官による受刑者への暴行事件を受けての再発防止策の一環であり、散髪を指す「ガリ」や、食べ終えた食器を下げる「空下げ(からさげ)」などを含む35の隠語を刑務官に対して禁止したといいます。

これらの言葉は所謂「ジャーゴン」の一種と言えるでしょう。ジャーゴンはしばしば「業界用語」などと言い換えられますが、これは刑務所のような特殊な「業界」だけに特有に流通するものではなく、広範な企業や職業、大学やその各分野、更にはスポーツやビデオゲームでのみ使用される種類のものさえあり、特殊な業界に属するというよりも、むしろ――意識的であれ無意識的であれ――その環境を業界として特殊化するために使われます。ヘレネスとバルバロイではありませんが、むしろ言葉を生み出すことによってコミュニティを排他的に特権化するわけです。つまり、こうした言葉は刑務官が受刑者を社会から疎外的に扱うために使用されるだけでなく、受刑者らもまたそうしたジャーゴンを使うことによって特有の「刑務所カルチャー」を創出し、受刑者間にある種の親密さを生み出すと共に、「娑婆(しゃば)(刑務所の外)」に出た後には自身の経験を証拠立てるための手段ともしうるのです。

 

 

ジャーゴンはまた、様々な芸術・文化表現においても世界観形成に大きな役割を果たしてきました。例えばヒップホップにおけるスラングの使用などは現在身近な事例のひとつでしょう。日本人による日本語ラップでさえも、しばしばそこには紋切型的な英語スラングの混入が見られます。これらの機能は――それが紋切型である以上――文脈的な参照と言うよりも、主としては漠然とした精神的な態度の共有や雰囲気の醸成にあると考えられます。アカデミックな参照の様式に慣れている方は軽薄な印象を受けるかもしれませんが、こうした借用も重層化されることで、複雑で独創的な効果を生みだすことができます。例えば、故TOKONA-Xの「知らざぁ言って聞かせやSHOW」では、ラップは愛知の方言の中でも三河弁であり、タイトルは歌舞伎における犯罪ものである白波物の演目から参照されるなど、アメリカ由来のスラングが日本の地域的、歴史的な荒々しさの文脈と接続されることで、同時代的に日本の不良文化を更新することに成功していると言えるでしょう。

無論ラップは音楽表現ですから、意味のレベルだけではなく、韻が生みだすリズムや語の音声的な響きなど、音楽的な効果としてもこうした言葉が機能しているわけですが、日本語の一般的な文章表現にも、やはり同様に音楽的なレベルが存在しています。韻のような技法として理解されるものに限らず、例えば一文の長さや改行のタイミング、同じ言葉を漢字で書くかひらがな、あるいはカタカナで書くかといった選択も、意味の観点からだけでなく、視覚的にリズムを生みだすという、音楽的効果を目的とする面があるでしょう。宮沢賢治の「永決の朝」で「おらおらでひとりでいぐも(私は私で一人で逝きます)」という言葉が「Ora Orade Shitoride egumo」とローマ字表記されることにも、意味的と音声的の両観点からの解釈がありますが、もっと控えめなレベルであっても、意味が喚起するものと音やリズムが喚起するものとの間の緊張関係の中で、理想の言語表現が選び出されているはずです(とは言え、実のところ、これはネイティヴであっても誰もが十分に理解し、使いこなせる類のものではないのですが…)。

 

 

 さて、話を再びジャーゴンに戻し、言葉における意味と音楽的要素の関係について、ひとつ筆者の専門領域である映画から事例を紹介したいと思います。取り上げたいのは、日本の伝統的な映画ジャンルの中で、特にジャーゴンを多用すると考えられる、任侠映画・ヤクザ映画です。ヤクザ社会は基本的に閉鎖的なコミュニティであり、ときに完全な裏社会ですらあるので、隠語での会話は当然盛んになります。また、そもそも「ヤクザ」の語源自体が893という花札のブタ(最悪の手)に由来するという説さえあります。「芋を引く(怖がって手を引く)」「チンコロする(警察に密告する)」「勤め(刑務所に行く)」「鉄火場(博打場)」などは映画でもよく耳にするのではないでしょうか。このジャンルは疑似的な血縁関係に基づく秩序、暴力、男性社会、紋切型の感傷と文系アカデミアで嫌われそうなものが勢揃いの、類型的な大衆向け娯楽映画と見なされがちですが、馬鹿にできない厚みと複雑さがあります。講談をルーツにその歴史は1910年代にまで遡ることができ、60年代の任侠映画ブームでは高倉健ら国民的なスターを生みだすと共に、三島由紀夫の絶賛もあって真剣な批評の対象とみなされるようになりました。日本映画界の数多くのトップランナーたちもこのジャンルのビデオ映画(Vシネマ)で実力を養ってきたし、存命の巨匠北野武がよく扱う主題でもあります。ニンジャやサムライとは異なり現代劇にも対応できるヤクザは、ゴジラと並ぶ日本映画の国際的なキャラクターと言っていいでしょう。

脚本家の笠原和夫は、こうしたヤクザ社会に特有なジャーゴンや仕草を綿密に取材し、リアリズムとして、また様式美としてそれらをシナリオに描き込み、このジャンルの第一人者となりました。この笠原の代表作のひとつに『仁義なき戦い』シリーズがあります。監督は深作欣二で、こちらもこのジャンルの代表的監督のひとりに数えられる名匠です。古典的な任侠映画を終わらせた、実録物の暴力アクションとして知られる本作ですが、これは戦後日本の国生みの物語でもあります。爆発音と原爆ドームの映像から映画は始まり、前近代的な仁義の世界が完全に崩壊し、子が親を引きずり下ろし、親が子を利用する、過酷な暴力と金によってのみ人々が結び付く反任侠的な物語が展開されますが、それは戦後広まった物質主義と自由主義経済下での競争のアレゴリーにもなっています。ここで笠原は原作のノンフィクションの台詞を生かしつつも、綿密な取材を行い、かなりの改変と独創を加えて、映画史に残るどぎつい名台詞を数多く書きました。

 

「なにが博奕打ちなら! 村岡が持っちょるホテルは何を売っちょるの、淫売じゃないの。いうなりゃ、あれらはおめこの汁で飯食うとるんで。のう、おやじさん、神農じゃろうと博奕打ちじゃろうとよ、わしらうまいもん喰ってよ、マブいスケ抱く為に生まれてきとるんじゃないの。それも銭がなけにゃア出来やせんので。ほうじゃけん、銭に体張ろう言うんが、どこが悪いの?!」

 

シリーズ第二作「広島死闘編」に現れる、この恐ろしく下品な台詞は、単に露悪的であることを狙ったわけではなく、その下品こそが表現上の鍵になっています。ここで言う「神農」とは的屋家業のことですが、この台詞は千葉真一演じる大友勝利が、その「神農」の伝統的な倫理を説いて村岡組との抗争をしないよう諫める親分に向かって言い放ったものです。方言と隠語を抜いて要約すると、村岡組も売春で儲けているのに、古臭いきれいごとを言って何になる、欲望を満たすために生きているんじゃないか、そのためには金が要る、という感じです。ここで売春業が問題になっているのは、任侠団体が売春業と関りを持つようになったのは戦後からと言われており、それが戦後における任侠団体の性質の変化を端的に表しているからです。こうしたことが彼らの伝統的なジャーゴンを用いて、子から親へと明け透けに突き付けられているからこそ、組織の変質が精神的な変質でもあることを示すと共に、それを戦後日本の精神性のありようとして突き付けるインパクトの強さを生むわけです。ここでジャーゴンが使われることの意味のひとつには、意味のネットワークを共有する共同体を参照することで、物語に歴史的次元を持ち込むことがあると言えるでしょう。笠原が描くドラマは派手なアクションに満ちつつも、こうした戦後日本の変化と大人たちが若者を犠牲にしてきた戦中に対する批判的批評性がその底流に重く横たわっているのです。

しかし一方で、数多くのチンピラたちがいいように利用されて命を落とすにもかかわらず、『仁義なき戦い』は不思議と明るく痛快な印象も与えます。だからこそ大ヒットもしたし、面白おかしく物真似もされるのでしょう。また、上のような名台詞は無論強い印象を残すのですが、それらはネイティヴであっても一聴で意味が分かるものではなく、むしろ第一に耳に残るのは音声の響きそのものです。先の台詞も内容自体は任侠団体の分類、歴史、倫理、現在と未来を含意したハイコンテクストなものですが、実際のところまず胸を打つのは、細かく踏まれた韻が織り成す急いたリズムと伝えらえれる感情の強度に他なりません。つまり、脚本の字面だけで見るのと映画の中の発話では与える印象が微妙に異なり、それが映画に矛盾を含んだ複雑な表現効果を与えているのです。

このような音声的な効果には監督たる深作欣二の演出が大きく関わっていると考えられます。深作はスターシステムが堅固な東映にあって、異例なことに大部屋俳優(位置づけの低い俳優)たちに直接意見を求め、彼らにも細かく演技を付けました。それに奮起した大部屋俳優たちは、正に死ぬ物狂いで映画の中で死んでいったのです。チンピラ役の彼らが虫けらのように殺される際にあげる悲鳴は、それ故に意味においては悲劇ですが、その表現においては自分の声が持てた喜びと、その自由に対する身を焦がさんばかりの歓喜の咆哮なのです。そうして発された台詞群が織り成す音響は、さながら「おどれら」「われぇ」「ガキが」といったクリシェのコーラスをライトモチーフとした、怒号と悲鳴のオペラのようであり、意味的には卑俗であっても、それらは音楽として神話的な崇高さの次元を獲得していると言っても過言ではないでしょう。ジャーゴンとは身体性を豊かに備えた言葉であり、そこに凝集された感情が俳優たちの激しい身振りと発声によって掻き立てられたのです。

 この書かれた台詞と読まれた台詞の間にあるギャップには、おそらく脚本家笠原と監督深作の戦後に対する態度の相違も反映されていると考えられます。18才の年に大竹海兵団で終戦を迎えた笠原にとって、出征は身近な問題であったに違いなく、戦後の焼け跡に対しては虚無を越えて漂白された「白」、あるいは脱色された「無色」とでも言うべき思いを抱いたと言います。18才であれば、国家権力や軍隊生活での理不尽に対しても、十分に思考が可能な成熟をえた年齢であったでしょう。一方、15才の年に終戦を迎えた深作にとって、焼跡とは解放の象徴であり、自由と青春の始まりに他なりませんでした。スティーヴン・スピルバーグの『太陽の帝国』で日本軍の捕虜になった少年のように、環境は厳しくとも、そこで生き抜くことでえられる自信と力の自覚が、彼の原体験のひとつになっています。わずかな年齢の違いが生んだ、二つの戦後と焼跡の相違が、脚本テクストの意味を映画において複層化させ、映画をより魅力的で偉大なものにしているのです。

 

 映画やドラマを見る際に、その台詞の意味が分からず困惑することもあるかもしれません。実はネイティヴでも極端なリアリズムによって聞き取りがたい台詞や、使われる用語が理解できない作品は多々あります。そうしたときはその台詞の音の側面に注意を傾け、その響きが伝える意味を受け取り楽しむように考えてみてもよいのではないでしょうか。そこにはきっと音声という言語の形式が伝える豊かな意味があるはずです。