【調査記】南米アルゼンチンの北西部へ:渡航準備と旅を終えての感想
【調査記】南米アルゼンチンの北西部へ:渡航準備と旅を終えての感想
日本語支援スタッフ 地域文化研究専攻修士課程
田口智也(たぐちともや)(2024年3月31日)
はじめに
この文章を読んでいるみなさんにとって、南米はどのような場所だろうか。中には非常にアクティブな方がいて、既にアンデス高地を旅した経験があったり、あるいは家庭の事情等によりブラジル・サンパウロあたりで3年ほど生活していた方がいたりするかもしれない。ただおそらくは、日本を含め東アジアの国々で生まれ育った多くの人にとって、南米は地球の反対側に位置するあまり縁の無さそうな地域なのではないだろうか。かく言う私は、南米の存在を頭の片隅にすら置かずに人生の大半を過ごしてきた人間であり、一生のうちにまさかアルゼンチンの広大な土地に足を踏み入れようとする時が来るなどとは想像もしていなかった。
そんな私が、周囲の環境の妙と自身の気まぐれからなぜかアルゼンチン北西部の民衆文化を研究対象に選び、現在東京大学の地域文化研究専攻ラテンアメリカ小地域に在籍しているのだから、全くもって人生は何が起こるか分からない。しかしながら、成り行きとはいえ研究対象地域として選んでしまった以上、一度くらいは現地に赴いて南米の空気を肌で感じてみたいものである。そんなわけでこの調査記は、人生初の南米一人旅行を決心したは良いものの、ほとんど無知の状態であったために、手探りで色々と準備をしたりネットの情報の海に潜って調べたりすることになった私が、その学んだ成果を少しずつみなさんにご紹介していくものである。南米旅行をする際の非常に基礎的な手続きから記述していく予定であるため、もし、まだ南米諸国を訪れたことはないが行ってみたいと考えている方がいらっしゃれば、多少の参考になるのではないかと思う。また、今まで南米に関してコーヒー豆とサンバくらいしかイメージを持っていなかった、過去の私のような方がもしいらっしゃるのであれば、この文章を読んで少しでも南米に興味を持ってくださると、筆者としてはこれ以上ない喜びである。
旅の目的
南米旅行の諸手続きを紹介し始める前に、まず私の旅のゴールを簡単に説明させて頂きたい。今回の旅の目的は明確に決まっており、それはすなわちウマワカのカーニバル(El carnaval de Humahuaca)の様子を観察し、その雰囲気を体験してみることである。この祝祭は私の研究における主たる関心事の一つであり、アルゼンチンの最北端・フフイ(Jujuy)州に位置する、ウマワカ峡谷(Quebrada de Humahuaca)という地域で毎年2月に行われている。カーニバルというと、おそらく日本で最も有名なものはブラジルで行われる「リオのカーニバル」だと思われるが、同じカーニバルでもウマワカのそれはかなり様相が異なっていると言える。
祝祭の概要を軽く紹介しておこう。ウマワカ峡谷においては、スペインによって植民地化される以前から、土着の文化やアンデス由来の世界観を反映した儀礼が行われていたとされている。ウマワカのカーニバルは、こうした先スペイン期の民族的行事と、スペインによってもたらされたカトリック文化圏の行事であるカーニバルとが結びつき、独自の発展を遂げた祝祭である。カーニバル期間中には、代表的なアンデスの地母神であるパチャママ(pachamama)へ祈りを捧げるための儀礼(穴を掘ってそこに供物を捧げる)や、カラフルな衣装を身に纏い、甲高い声をあげて道を練り歩く「ディアブロ」に扮した人々、さらにはアンデス由来の民族楽器を片手に民衆音楽を披露する演奏者たちなど、非常に際立った特徴を持つ行事や人々が峡谷のあちこちで見られる。世界的にはあまり知名度が高くないと思われるものの、このウマワカのカーニバルはアルゼンチン国内ではそこそこ知られており、カーニバルが行われる2月中旬になると峡谷は観光客で溢れかえるほどである。この混沌の渦の中に身を投じ、そのエネルギーに圧倒されてみるというのが、今回の私の旅行のメインイベントなのである。
【写真1】ウマワカのカーニバルにおけるディアブロの仮装。見ているだけでワクワクしてくるのは私だけだろうか。*1
旅の準備その1−航空券の入手−
旅の目的を説明したところで、早速次は旅の準備について紹介しよう。アルゼンチンは兎にも角にも遠い。その一言に尽きる。渡航の準備をしていてまず抱くのはそんな印象である。これは実際に数字でも確認することができる。東京がおよそ北緯36度、東経140度の地点に位置しているのに対し、アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスはおよそ南緯34度、西経58度の地点に位置している。東京の対蹠地、すなわち地球の反対側の地点が南緯36度、西経40度の地点であることを踏まえると、東京―ブエノスアイレス間の物理的な移動距離は、二都市間の移動としてはほぼ最長に近いことが分かるだろう。その意味では全くもって行きづらい所だが、そこの文化に惹かれてしまったのだから仕方ない。
こうした地理的隔絶のためからか、残念ながら現在東京からの飛行機の直行便は出ておらず、アルゼンチンに辿り着くためには少なくとも一回、経路によっては二、三回の乗り継ぎを必要とする。こうなるとまず問題になるのが、どの経路を選ぶかということである。地球の反対側にあるということは西回りでも東回りでも良い訳で、なかなか多様な選択肢から一つのルートを選ばなければならない。色々迷った挙句、結局私はおそらく最も一般的で、ネットで調べても大抵最初に出てくる、アメリカ合衆国経由のルートを選択した。このルートの良い点は、まず何といっても所要時間が短く(とは言っても平均30時間ほどはかかるが)、また基本的には乗り継ぎも一回で済むところにある。アメリカまではJALやANAといった日本の大手航空会社の便も出ているため、乗り継ぎを行う海外旅行に慣れていない初心者の私にはちょうど良いと思ったことも決め手の一つであった。
注意点があるとするならば、アメリカに入国する際はたとえ乗り継ぎのための一時的な滞在に過ぎないとしても特別な手続き(ESTA)が必要であること、それから空港での愛想の良い対応はあまり期待できないことくらいだろう。昔グアムへ旅行に行った際、入国手続きをする空港職員が完璧な仏頂面で、うっすらとした緊張感が漂っていたことを思い出す。その後、空港からホテルへと向かうシャトルバスの運転手によって私のトランクの取手が壊されてしまったことも思い出す。どこへ行っても大量の日本人観光客が居る島だったが、あの島も確かアメリカだったはずである。今回はフレンドリーなスタッフに当たることを祈りながら、私は航空券の購入ボタンをクリックした。
さて、なんとかブエノスアイレスまでの航空券を確保したならば、次はアルゼンチン国内の移動を考えなければならない。先述の通り、旅の目的地であるフフイ州はアルゼンチンの北端に位置しているため、ブエノスアイレスからは飛行機で行っても2時間ほどかかる。バスや鉄道といった移動手段もあることにはあるが、今回はなるべく移動時間を短縮したかったため、飛行機を選択することにした。他の交通手段に比べて費用は嵩んでしまうが、背に腹は変えられない。
アルゼンチンのお金事情
ここで、アルゼンチンの経済史と、旅行者にとって重要な貨幣価値についても少し触れておく必要があるだろう。もしかすると、その関連でアルゼンチンのことを知っている方が多数いらっしゃるかもしれないが、この国は2023年12月時点で9度のデフォルトを経験している。つまり、国内および国外に対する借金を国が返済できなくなり、経済的な破綻を宣言したことが9回もあるのである。1816年に独立を宣言して以降、19世紀末ごろまでには食料品の輸出を軸として目覚ましい経済発展を遂げたアルゼンチンだったが、20世紀に入ってからはポピュリズム政権による工業化政策の失敗や、左翼ゲリラと軍の衝突による国内情勢の悪化、軍政における人権侵害などを経験する。その間、世界的な経済危機に煽られ続けたことなどから、この国は度々欧米からの財政支援や介入を受け入れたのであった。結果として民政移管を果たした1983年以降、積み重なった莫大な対外債務を履行することができず、アルゼンチンは現在においても極度のインフレと自国通貨ペソの大暴落に見舞われ、経済的な混乱に陥っている。
こうした状況下にあるアルゼンチンにおいては、同国を訪れる旅行者が知っておくべきお金の事情がある。それがドル−ペソ間の交換レートの話であり、アルゼンチンにおいては公式のレートの他にブルーダラーと呼ばれる、いわゆる非公式のレートが存在する。例えばこの文章を執筆している12月24日時点で、公式レートでは1USD=804ペソくらいであるのに対し、非公式レートでは1USD=995ペソと、200ペソ近く差が開いている。仮に1USD=142円で計算すると、100円=560ペソと100円=700ペソほどの違いが生まれることになるのである。これはかなりの差であり、特に宿代などの金額が大きい支払いの際にはその差は顕著になると言えるだろう。アルゼンチンにおいてはこの他にも複数の交換レートが存在しているが、基本的に外国の旅行者はクレジットカードを利用すると比較的良いレートで支払いを行うことができるとされている。また市内には多数の両替所(casa de cambio)があるため、交換レートの良い所を上手く活用すればよりお得な旅ができるだろう。
旅の準備その2−服装、持ち物−
最後に、南米の中でも特に山の方を訪れる場合に気をつけたい服装や荷物についての注意点をいくつか挙げておこう。まず服装に関して、南米は同じ国でも地域によって気候が異なるため、目的の場所に合わせて服装を調整する必要がある。アルゼンチンにおいてもブラジルやパラグアイに面している熱帯に近い地域から、風が強く比較的寒冷な南端の地域、また私が赴く予定の山間の地域など、多様な気候分布がある。加えて地域によっては昼夜の寒暖差が激しいところもあるため、可能であれば事前に現地の人にどのような服装で行くべきかを確認すると良いだろう。
幸運にも私はウマワカ峡谷に住む地元の方と旅行前に連絡を取ることができた。その際に言われたのは、スーツケースではなくバックパックで来た方が良い、とのことであった。言われるまで私は完全に、日本国内やヨーロッパの旅行と同様、スーツケースを持っていこうとしていたため、このアドバイスにハッとしたのであった。確かに山間部は舗装されていない道も多く、スーツケースを転がして歩くのが厳しい場所もあるだろう。今回私は峡谷内の複数の村を転々とする予定であったため、なおさらバックパックの方が適しているに違いない。皆さんもぜひ、南米を訪れる際には、目的の地域の気候や街の環境をあらかじめ調べて、より適した服装や荷物を選ぶと良いだろう。
旅を終えて
以上の諸々の準備を経て、私は2月の頭から約1ヶ月間、アルゼンチンを旅してきた。祭りでは想像以上に粉や泡をかけられてドロドロに汚れ、絶え間ない音楽隊の演奏と人々の歓声の中でもみくちゃにされながら、慣れない足取りで踊りを踊った。「全て忘れろ。考えるな、感じるんだ。ただ楽しめ。」地元の人にそう言われながら、私は本当に異世界に来た気分でいたのだった。
途中で一度体調を崩してしまったり、現地の人に騙されて300ドルほど取られてしまったりもしたが、そうした快くない思い出をかき消して有り余るほど、たくさんの素晴らしい景色や美味しい食べ物、そして楽しい行事に巡り合うことができた。初めての南米旅行だったが、ぜひまたアルゼンチンに、そして他のラテンアメリカ諸国にも行ってみたいと思える旅だった。これから南米諸国、ひいては世界各地へと調査に赴く予定のある方がもしいらっしゃるのであれば、ぜひこの調査記を参考にして準備をして頂けると幸いである。
【写真2】フフイ州とサルタ(Salta)州にまたがる巨大な塩湖。湖面を歩いて観光できる。(筆者撮影)
【写真3】ウマワカ峡谷の山の斜面で度々見られるジグザグ模様。写真はマイマラ(Maimará)という町のもの。(筆者撮影)
【写真4】アルゼンチンで盛んに食べられている、アサド(asado)と呼ばれるバーベキュー。ウマワカ峡谷では子羊(cordero)のアサドが多かった。(筆者撮影)
【写真5】デセンティエロ(desentierro:掘り起こしという意味)と呼ばれる祭りで、カーニバルの始まりを告げる行事。山の斜面をディアブロの仮装をした人々が駆け降りたり転げ落ちたりしてくる。写真はウキア(Uquía)という町で行われたデセンティエロで、ウマワカ峡谷の中では最も観光客が集まるお祭りの一つ。(筆者撮影)
【写真6】おそらくビクーニャだと思われる動物。標高4000m近くの山で見かけた。(筆者撮影)
【写真7】サルタ州の州都にある寿司バーで食べたお寿司。やはりメジャーなのはロールスタイルだった。ちなみに向かって左奥にある黄色いソースはパッションフルーツのソース(意外と合う)。(筆者撮影)
参照サイト
*1 Carnaval 2018 Jujuy: descubrí el significado oculto de sus rituales, Clarín, 2021/08/27 10:26, 最終閲覧日2023/12/06 (https://www.clarin.com/todoviajes/carnaval-2018-jujuy-descubri-significado-oculto-rituales_0_ryTAmhuLM.html)