【日本語学習】「やさしい日本語」とことばのユニバーサルデザイン
【日本語学習】「やさしい日本語」とことばのユニバーサルデザイン
日本語支援スタッフ 多文化共生・統合人間学プログラム 言語情報科学専攻博士課程
佐藤理恵子(さとうりえこ)(2024年3月31日)
はじめに
2024年1月1日には能登半島を大きな地震が襲いました。地震発生直後にテレビを付けると、「つなみ にげて!」のように、ひらがなあるいはルビ付きの簡潔な日本語によるテロップを目にします。このような表現は「やさしい日本語」と呼ばれ、外国人など日本語を母語としない人たちへの情報発信の必要性から考案されてきたものです。「やさしい」という名称には、簡単という意味の「易しい」と、心の「優しい」が込められています。
【写真1】東京大学本郷キャンパス正門付近の張り紙(筆者撮影)
「やさしい日本語」の成立
「やさしい日本語」が成立したきっかけは、1995年の阪神淡路大震災でした。この震災における100人あたりの死傷者の数を比較したところ、死者数においても負傷者数においても、外国人は日本人の約2倍となっていました。つまり、情報を受け取れるかどうかが、命が救われるかどうかの境目になりうるという状況が浮き彫りになったのです。
こうした状況を踏まえて、以下のような実験が行われました(※1)。次の文は、阪神淡路大震災で実際に用いられたニュース原稿です。
今朝5時46分ごろ、兵庫県の淡路島付近を震源とするマグニチュード7.2の直下型の大きな地震があり、神戸と洲本で震度6を記録するなど、近畿地方を中心に広い範囲で、強い揺れに見舞われました。
こちらを「やさしい日本語」に書き換えると以下のようになります。
今日、朝、5時46分ごろ、兵庫、大阪、などで、とても大きい、強い地震がありました。地震の中心は、兵庫県の淡路島の近くです。地震の強さは、神戸市、洲本市で、震度は6でした。
どんな点が書き換えられているでしょうか。例えば「今朝」は「今日、朝」、「震源」は「中心」など、聞いた時にわかりやすい表現になっています。「見舞われました」といった難解な受身表現は削除され、また、文の長さも長い一文から短い三つの文に区切られています。元のニュース原稿と「やさしい日本語」に書き換えた文章を音読して留学生の理解度を調査したところ、原文を聞いたグループは29.3%、「やさしい日本語」を聞いたグループは90.7%という差があったそうです。こうした「やさしい日本語」の工夫は、現在では生活の様々な場面で活用されています。
なぜ「やさしい日本語」が必要なのか
「やさしい日本語」というと、英語に翻訳すれば良いじゃないか、と言われることがあります。しかし、こんなデータがあります(※2)。日本に住んでいる外国人に対し、日常生活に困らない程度にできる言語は何かを調査したところ、最も多かったのが日本語(62.6%)、つづいて英語(44.0%)、中国語(38.3%)という結果が出ています。つまり、ある程度英語ができる外国人より、ある程度日本語ができる外国人のほうが多いと言えそうです。また、日本に住む外国人の出身国・地域や母語は多様化しており、多言語対応するなら少なくとも37言語が必要だと言われています(※3)。特に災害時などはそこまでの翻訳リソースがないことが想像され、「やさしい日本語」による情報発信の必要性が注目されています。
「やさしい日本語」が必要と言われるもう一つの理由として、機械翻訳との親和性が高いことも挙げられています。原文を「やさしい日本語」の原則に従って書き換えてから機械翻訳にかけると精度が上がると言われています。
こちらは、実際に水害における情報発信で起こった誤訳の例です(※4)。
① ○○川周辺に避難勧告が出ました。
② ○○川周辺への避難勧告が出ました。
①の文を機械翻訳にかけたところ、②の意味で翻訳されて伝わってしまった、という事例があるそうです。こうした誤訳は、「○○川の近くに住んでいる人は、××に避難してください」のように書き換えてから機械翻訳にかければ避けられるでしょう。
ことばのユニバーサルデザイン
ここまで「やさしい日本語」について、日本語非母語話者のためのものとして紹介してきましたが、近年はむしろ「誰にとってもわかりやすいことば」、「ことばのユニバーサルデザイン」としての役割が期待されています。「誰にとっても」というのは具体的に、子ども、ろう者(日本手話を第一言語とする人たち)、知的障害者、高齢者、そしてその他多くの日本語母語話者が含まれています。
ことばのユニバーサルデザインとはどういうことでしょうか。ここで、以下の公用文を読んでみてください(※5)。タイトルは「県営住宅入居者募集」です。
入居者が60歳以上の方又は昭和31年4月1日以前に生まれた方であり、かつ、同居しようとする親族のいずれもが60歳以上の方若しくは昭和31年4月1日以前に生まれた方又は18歳未満の方のある世帯。
さて、一度読んだだけで理解できたでしょうか。次は、同じ内容を「やさしい日本語」に書き換えたものです。
県営住宅に住むことができるのは、次の2つの条件に合う世帯だけです。
1.申し込む人(入居者)が53歳以上である
2.一緒に住む人の中に、18歳から52歳までの人が一人もいない
私は成人の日本語母語話者ですが、書き換えた文章のほうがぐっと理解しやすく、負担なく読めると感じます。「誰にとってもわかりやすい」ということが、少しイメージできましたでしょうか。
海外の取り組み
「やさしい○○語」のような取り組みは、海外にもあるのでしょうか。まずは英語圏の事例(※6)を見てみます。イギリスでは、1979年にサッチャー首相が効率化推進室を創設し、行政手続きの合理化を実施するうえで、プレイン・イングリッシュを推進しています。またアメリカでは、行政サービスの費用対効果改善と市民への分かりやすい説明による問い合わせの削減を目的に、1978年にカーター大統領が「文書業務削減法」を発令しました。さらに翌年には、公文書をプレイン・イングリッシュで記述せよという大統領令が発令されています。現在では、この他にカナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでプレイン・イングリッシュが普及し、公文書や企業のビジネス文書に用いられています。(Plain Englishの他、Basic English、Special Englishという考え方もあります。)
英語圏以外では、ドイツで2018年に「障害者平等法」の中に「わかりやすさと「やさしいことば」」という新条項が加わっています(※7)。この条項では、行政機関が知的障害や精神障害を持つ人に対してわかりやすいことば(Leichte Sprache)で説明する義務が示されています。
海外でも、効率化や合理化、あるいは言語保障の観点から、ことばをやさしくする取り組みが実施されていることを見てきました。海外の事例と比較すると、「やさしい日本語」の場合は災害時の情報発信という観点から成立してきたことや、心の「優しい」がネーミングに含まれていることなどが特徴と言えるかもしれません。
さて、ここで「やさしい英語」を体験してみましょう。皆さんご存知のWikipediaには、実はSimple版のページがあります。まずWikipediaで“”Universal design”を調べると、1行目の説明はこのようになっています。
Universal design is the design of buildings, products or environments to make them accessible to people, regardless of age, disability or other factors.(下線は筆者)
次に、Simple English Wikipediaでも同じ言葉を調べてみます。1行目の説明はこうです。
Universal design is a design of any products and informations that every person can use, of all ages, genders, disabilities. (下線は筆者)
英語非母語話者の私にとって、Simple版はずいぶんわかりやすくなったと感じられますが、いかがでしょうか。特に下線の部分は、原文では使役のmakeなどが用いられたやや複雑な文章ですが、Simple版では日本の中学1年生でも理解できる英語になっています。
「やさしい日本語」をめぐる議論
ここまで「やさしい日本語」の必要性を述べてきましたが、もちろん全ての文章をやさしくするべき、と主張するわけではありません。「やさしい日本語」はあくまで伝えたい内容を誤解なく明確に伝えるためのものです。文学作品など、多様な解釈ができることにこそ意義があるような文章にまで適用すべきとは思いません。また「やさしい日本語」に書き換えることによって、原文の持つ正確さ、厳密さ、あるいは品位、権威などが損なわれるという声もあります。
私はアカデミックサポーターとして、留学生の論文校正業務を担当しました。業務の中で長く難解な文章に出くわし、「一文を短くするとかして、もっと伝わりやすい文章に修正したい」と思うこともありました。しかし、それぞれの学問分野にふさわしい文体というものがあり、簡潔にすることで文章としての品位を落としてしまいかねない、という葛藤をいつも抱えていました。研究の目的とは知を社会に還元することであり、公共性の高いものであるという立場に立てば、その成果物である論文は誰にとってもアクセスしやすく、読みやすいものであることが望ましいでしょう。一方で筆者の中には、論文は心を尽くし、血肉を削って書いた「作品」だという思い入れを持つ人もいるかもしれません。多少難解であっても独自性のある文の形を保ちたい、という立場と分かりやすさの追求はどのようにして共存できるでしょうか。今後、アカデミックサポーターとして学習支援に関わる皆さんもぜひ一緒に考えて頂ければ幸いです。
※1 松田陽子・前田理佳子・佐藤和之(2000)「災害時の外国人に対する情報提供のための日本語表現とその有効性に関する試論」『日本語科学』7, 国書刊行会, pp145-159
※2 岩田一成(2010)「言語サービスにおける英語志向-「生活のための日本語:全国調査」結果と広島の事例から」『社会言語学』13(1), 社会言語科学会, pp.81-94
※3 庵功雄(2016)『やさしい日本語-多文化共生社会へ』岩波新書, p.33
※4 庵功雄(編著)(2020)『やさしい日本語表現事典』丸善出版, p.6
※5 同 p.12
※6 浅井満知子(2022)「海外の動向ープレイン・ランゲージをめぐって」庵功雄(編著)『「日本人の日本語」を考える プレイン・ランゲージをめぐって』丸善出版, pp.17-39
※7 オストハイダ・テーヤ(2019)「「やさしい日本語」から「わかりやすいことば」へ 共通語としての日本語のあり方を模索する」庵功雄ほか(編著)『〈やさしい日本語〉と多文化共生』, ココ出版pp.83-97