夫を最後まで在宅で見たいという妻の意思は違っていたのだろうか
1.職業
訪問看護師
2.業務分類
3.施設内看護の年数
4.訪問看護の年数
5.経験内容
Hさん、75歳男性。胃がんのためA病院での手術後、症状の落ち着いた時点で、妻の希望により在宅療養となつた。訪問看護の要請がA病院地域連携室を通じてあり、訪間を開始した。
しばらくは病状も安定していたが、その後、浮腫の増強など病状の悪化によるHさんの苦痛と、妻の介護疲れもピークと思われたので、訪問看護師は再入院を勧めた。
しかし妻は「夫はしんどいと言つていない。熱もない。入院されたら毎日病院に通うのは難しいし、反対に私が倒れてしまう」と強く再入院を拒否する発言をされたので、ケアマネジャーとも相談の上、訪問サービス量を増やす対応をとった。
Hさんは「妻がよいと思うのが一番」と気づかい、在宅療養を容認していたが、看護師はHさんの本心を引き出すのは難しいと感じていた。
しかし、たまたま帰省した息子が、父親の様子を見て即入院を勧めた。妻も息子から「お母さんよく看たよ」とねぎらいの言葉をかけられたこともあり、またあくまでも一時的な措置と捉えて、入院を承諾した。
しかし入院の翌朝Hさんが亡くなられたことでのショックは大きかつたと思われる。後日、妻から「あなた方は死期を知っていたのか、それならもっと早く入院させていたのに」と言われた。妻は最期まで在宅で看るつもりであると思つていた訪問看護師は、「果たして本心はどうであつたのか、実は満足していなかったのか」ととまどいを感じた。
訪問看護師は在宅療養について、療養者本人の本心を引き出すことは難しいと考え聴くことをしていない。
訪問看護師は本人の重篤な症状に伴う苦痛について妻の理解を得る努力をしていない。
退院時に主治医が今後の療養について本人、家族と話し合つた内容を訪問看護師が意識し行動していない。
6.出所
杉谷藤子、川合政恵監修、医療人権を考える会著『事例で考える 訪問看護の倫理』(日本看護協会出版会)、2015年、p.91.
7.キーワード
#家族 #看護疲れ #意思決定 #本人 #アドボカシー #自律尊重原則