訪問看護における「自律」

投稿日: Dec 16, 2015 8:14:52 AM

「自律の尊重」は、これまで主に施設内看護の場面で論じられてきた医療倫理(看護倫理でも重視されている)の中核をなす概念である。訪問看護で提唱される「自律への寄与」、主体性の尊重は、この施設内看護を念頭においた「自律の尊重原則」とすっかり重なり合ってしまうものなのだろうか。

生命倫理学で問題とされる「自律」とは、何よりもまず「自己決定」ないし「自己支配」であり、「自分のことを自分で決める」ということである。たとえばJ.ファインバーグの「自律」の定義に示されるように「私が私自身を支配しており、他の誰も私を支配していないのなら、私は自律的である」と考えられる。このような定義は、自律的になされた決定の内容を規定することのない形式的な定義である。医療やケアのあり方についての選択肢が格段に増える在宅という場面に、この「自律」の形式的な定義を当てはめれば、「自律的な決定」の内容は多種多様となる。

医療機関という特定の状況の制約を受けない在宅での療養においては、療養者本人の状況やニーズに合わせた様々な選択肢が可能となり、「自己決定」(self-determination)としての「自律」が、多くの場面で在宅ケアのイニシャヴを取れるようになる。訪問看護では、求められる「自律」は、医療に関する事柄から、日常生活全般にまでわたる。すなわち、入浴の回数やごみ箱の定位置を決めることから、一人で暮らすか、誰かと一緒に暮らすか、呼吸が止まったらどうするか、救急車を呼ぶかどうかなどの死の迎え方に至るまで、幅広い事柄が意思決定の対象となるため、その都度、必要とされる「自律」のレベルも様々である。