えせヒューマニスト――愚行とQOL(3)――

投稿日: Jan 12, 2018 4:27:11 PM

この場面では、「自律尊重原則」と「善行の原則」、「無危害原則」が対立していますね。

医療に従事する者は、患者の「最善の利益」に沿うように行為しなければならない。また、患者の身に起こり得る危害を避けなければならないというのが、「善行の原則」、「無危害原則」ですから、この立場からすると、外出させてしまえば、死という最悪の危害を招くことが予見できている以上、それを絶対にさせない、また、手術を受けてもらうのがベストだと思われるのであれば、そのために手を尽くすということが考えられます。

たとえば、家族の同意だけ取って、社長を無理やり手術してしまうとか(これは無謀ですが)、少なくとも病院の外へ出さないようにするなどの、多少、強引な措置をとるという選択も、これらの原則にあたるでしょう。

この考え方に「自律尊重原則」が対立しています。この原則についても、すでに見ましたが、医療者は、患者の自律、自己決定を尊重しなければならないという原則でしたね。なぜなら、その人のQOLは、本人にしか分からないからです。

たとえ自分のいのちを落とす結果となったとしても、社長としての責務を果たしたいという思いが豊間社長にはあるのですから、それによって死んでしまっても、本人は本望だろうという考えが、ここから出てきます。

同じ医師同士の間でも、どちらの原則(価値観)を優先するか、意見が分かれていました。

実は、石川は社長に会う直前に、豊間さんの外出をめぐって、同僚でライバルの司馬医師と、こんなやりとりを交わしていたのです。

「説得すべきです」と言う石川に対して、司馬は、「したんだよ。それでも出ていくって言うんだから、仕方がない」と諫めます。「クランケ(ドイツ語で「患者」)の意思を尊重するのも、医者の大事な役割だと、僕は思います」。

しかし、石川は、「納得できません。助かるクランケをみすみす死なせることになります」と食い下がります。

石川「破裂してからでは遅いんだ」。

司馬「五分五分だ」。

上司「いや、十中八九駄目でしょう」。

石川「今なら確実に助かるんだよ」。

司馬「向こうの都合だってあるんだ。オペしてほしくない患者だっているんだよ。世の中には」。

石川「違う!」

司馬「違わない!」

石川「僕らは第一にクランケのいのちを考えるべきだ」。

司馬「えせヒューマヒストが」。

石川「何だと」。

ここからさらに続く丁々発止の展開に、私たちは目を瞠ることになるのですが、それはさておき、みなさんは、石川と司馬、どちらの医師の意見に共感できますか。

「この人のいのちを助けたい」と、石川医師は熱心に説得を試みていました。理想的な医師ですよね。彼は自分の職務(救命義務)を果たそうと、躍起になっています。なのに、同じ医師から「えせヒューマニスト」と言われてしまうのです。なぜでしょうか。

さらに、この後、司馬は、石川にこうも言っています。

「何かって言うと、クランケのいのちか。生きてりゃいいのか。お前みたいな医者がいるから、死にきれない患者がどんどん増えているんだ」。

どのような意味だと思いますか。(つづく)