「ただの馬鹿」――愚行とQOL(4)――

投稿日: Jan 23, 2018 1:18:35 PM

「豊間さん!豊間さん!!」

懸命に呼び止める石川を振りむこうともせず、社長は出て行ってしまいます。

肩を落とす石川に、上司が言います。

「石川君、行かせてやりましょう」。

「いいんですか!?」

「いいんじゃないの」。

他のスタッフが、思わずつぶやきます。

「多いのよ。昭和ヒトケタの経営者によくあるタイプ、ですよね」(ドラマ放映は1993年)。

上司もそれにつられてぼやきます。

「よく言えば頑固、悪く言えば、ただの馬鹿です」。

「ただの馬鹿」。どういう意味でしょうか。

みなさんは、社長は「ただの馬鹿」だと思いますか。

「いのちを大切にしてください」と、石川医師は言っていました。いのちを顧みない社長の選択は、みずから「死にたがっている」にようにしか見えないのですが、でも彼はけっして「死にたい」わけではありません。自分らしく(この場合は社長としての責任を全うするべく)「生きたい」、人生の筋を通したいだけなのです。まさしく、これこそ彼のQOL、本人の生きがいに直結した選択ですよね。

しかし、キュアの観点から見れば、豊間さんは、「ただの馬鹿」になってしまうのです。

社員を路頭に迷わせないためとは言え、自分の生命を顧みずに外出するという行為は、医学的にみれば「馬鹿」なこと、つまり「愚行」でしかないことになります。

石川の上司は、「行かせてやりましょう」と言いました。長年の経験から、「どうにもならない患者」がいることをよく知っているのです。そして、その場合には、もはや医師も匙を投げるしかないことも。

相手(患者)が嫌だと言う以上、それがどれほど医学的に見て「馬鹿」げている(無茶なこと)と思われても、医療を強要することはできません。たとえ「愚行」と思えても、相手の同意なしに処置をすることはできないからです。

現代の医療においては、「同意原則」が、法的にも倫理的にも重視されています。

「同意原則」、すなわち、医療者は、患者の「同意」なしには、医療(処置)を行なってはならないというインフォームドコンセントの考え方です。医療には、必ず患者の「同意」が必要であり、同意なしに相手の身体に勝手にメスを入れることは、傷害罪の適用を受けることもあります。

ほとんどの医療行為は、相手の身体への侵襲行為になりますから、本人の同意なしに、勝手にそれを行なえば、たとえ医学的に「よかれ」と思われる場合であっても、傷害と見なされてしまいます。

医療における同意は、現在では当然のことと思われていますが、以前は、必ずしもそうではありませんでした。

このインフォームドコンセントの考え方が浸透する前に、日本で起こった医療訴訟では、舌がんの手術を拒否していた患者に対して、医師たちが「検査するだけ」と偽って麻酔をかけ、舌の1/3を勝手に切除してしまったという事件が扱われたことがありました。

医師たちは患者を助けたいと思うあまり、本人の意思を無視して手術してしまったのです。あるいは、せっかくいのちが助かるのに、治療を拒否し続けている患者を「ワガママ」だと思ったのかもしれません。でも、その後、舌を切除された患者は、しゃべりにくい、ものを飲み込みにくいといった症状に苦しみ、QOLの低下を訴えました。

現代の日本で、このような事件が起こったら、大問題になることでしょう。同意なき医療行為は、医療者の動機がどうであれ、身体に対する暴行となります。

ですから、豊間社長本人が手術を拒んでいる以上、無理やり麻酔をかけて動脈りゅうの手術をすることは、人権の侵害になりますから、それはできないことになります。

「馬鹿だ」と言って、放っておくしかないのです。(つづく)