宗教とQOL(1)

投稿日: Apr 04, 2018 12:48:57 PM

全四回にわたって、宗教とQOLについて、考えてみたいと思います。

医療ドラマ『ER』より。


15歳の少女、アマンダ・ラムジーは、腹痛を訴えてER(救急救命室)へ運ばれてきました。さまざまな検査の結果、彼女は医師から、思いもよらないことを聞かされます。

「妊娠しています」。

少女は大きなショックを受けますが、その顔には何か、恐れていたことを言い当てられたときのような、張りつめていたものが途切れたような、複雑な表情が浮かんでいました。

それを見た医師は言います。

「分かっていた?」

少女は無言のまま視線を泳がせていました。再び、医師が口を開きます。

「未成年クリニックを呼んで、話をする?」

「両親に知れるわ!」

「方法はあるけど」

医師の言葉にいささかの反応もせず、少女は機械的な口調で、二つの選択肢をあげます。

「自分で育てるか、養子に出すか」。

医師は付け加えます。「それとも、生まないか」。


「そんなこと、できないわ!」少女が叫びます。「神に背く行為よ!」

そう言った直後、超音波のモニターに映った胎児の心拍を見て、彼女は泣き出してしまいます。この少女は、厳格なカトリックの家庭に育てられました。カトリックでは、中絶は「神に背く行為」なのです。


日本にいる私たちの多くは、「自己決定」と聞いたとき、おそらく自然に「この私」の自己決定、つまり、単独の個人としての私が、自分の意思で決めるという意味で理解しようとします。これまで本ブログでも、そのようなニュアンスでQOLを扱ってきました。

一人ひとりが、それぞれ自分自身の価値観に基づいて、自分の人生の質(QOL)を見きわめる。それは普通のことだと思うかもしれません。

しかし、これが西欧のキリスト教圏などであれば、もっと違った捉え方になります。そこでは、自己決定するということは、イコール、自分の宗教に従うということです。

信仰者にとって、自分のQOLに大きく影響するのは、何よりも自分の選択が「神意(神の意志)に適っている」かどうかという問題でしょう。そして、QOLを高められると思うのは、自分の宗教的信念に従っていると実感できるときです。

さらに、彼らはときに、この少女のように、自分の宗教の教えと、自分自身の素直な心情(生みたくない)との葛藤に苛まれ、苦悩するのです。