投稿日: Nov 25, 2020 9:55:45 AM
昨年(2019年)は、「人生会議」のポスターが炎上したり、スイスで介助自殺を選択した女性のドキュメンタリーが大きな反響を呼んだりするなど、いのちの「終わり」についての盛んな議論が交わされました。
つぎのケースを一緒に考えてみましょう。
進行性難病のため、あなた(看護師)の病院に通院しているHさんは、今は日常生活に支障はないが、いずれは自力呼吸ができなくなり、人工呼吸器を装着することになると、担当医から告げられた。同じ病気で人工呼吸器を装着している患者を知っている彼女は、「自分は呼吸器をつけて生きることを望まない」と、激しく動揺していた。
後日、落ち着いた様子を見せていた彼女に、あなたが少し安心して声をかけたところ、想定外の言葉が返ってきた。「スイスに渡って、「安楽死」を選ぶことにした」と。驚きを隠せないあなたに、彼女は、スイスでは介助自殺(自殺の手助け)が認められており、日本人を受け入れる施設もあると言い、致死薬の入った装置を準備してもらって自分でストッパーを抜くのだと説明した。「呼吸器を着けるかどうか」という選択が、「スイスで自ら死を選ぶ」という選択に飛躍してしまっていると、彼女を説得しようとしたが、「健康な看護師さんには、私の気持ちは分からない」と言われてしまった。
この事例のモデルとなっているのは、NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019.6.2放送)で紹介された、スイスで介助自殺を行なった進行性難病の女性です。彼女はまだ死の近い「終末期」でもなく、人工呼吸器をつけて生きるどうかという選択も差し迫ったものではありませんでした。同番組は、彼女の介助自殺(自分で致死薬のストッパーを抜いて命を絶つ)までの様子を負ったもので、「なぜ止めなかったのか」、「自殺に関する報道倫理に反する」という批判を呼び、さらに、彼女がおなじ病気の患者をみて口走った「あんな姿(人工呼吸器を装着)になってまで生きていたくない」という発言をそのまま報道し、JCIL(日本自立生活センター)などから抗議声明が出されました。