家族の崩壊

投稿日: Jan 05, 2016 3:23:4 PM

平成20年3月に実施された、「終末期医療に関する調査」結果によると、終末期における療養の場所について、自分に治癒の見込みがなく、死期が迫っている(六か月程度あるいはそれより短い期間)と告げられた場合、一般国民の60%以上が、「自宅で最期まで療養したい」と回答しており、前回、前々回の結果と比較すると、「最後まで自宅で」と回答した人の割合が増加している(終末期医療のあり方に関する懇談会、平成22年10月)。

たしかに「畳の上で死にたい」など、住み慣れた我が家で最期の時を迎えたり、療養生活を送ったりすることを望む人は多く、医療者の側も、在宅での療養が「本人にとっても幸せ」と考えやすい。もちろん、それは長期入院から在宅へという政策上の誘導もあり、必ずしも療養者本人のニーズのみによるというわけではない。

だが、在宅ケアのニーズに応えるためには、療養者の受け皿となる家庭やコミュニティ、とりわけ療養を支える家族の力が不可欠となる。たとえば、「社会的入院」を減らす目的でつくられた介護保険制度が、家族社会や地域コミュニティの崩壊によって、思うようには進んでいないことからも見て取れるように、医療や介護の直面している根本問題は、家族やコミュニティの崩壊である。

1972年に上梓されて大きな反響を呼んだ有吉佐和子の『恍惚の人』では、認知症の患者を介護する家族の状況が描かれており、在宅でのケアが家族だけでは立ち行かない状況が多くの人に知られるようになった。高度経済成長とともに核家族化が進んでいた当時の日本では、もはや家族の崩壊が始まっていたのである。

現場の訪問看護師もまた、このインフォーマルな受け皿機能の低下が、病院から在宅へという「上から降りてきた」方針との齟齬をきたしている現状を目の当たりにしている。病院の医療スタッフは「とにかく家に帰すこと。それが本人にとっても幸せである」という考えを刷り込まれている。けれども、介護力のない家族のもとに無理やり返され、生活が崩壊したのち、再び病院へ搬送され、また在宅へというサイクルが繰り返されるなか、その繰り返しによって、医療費が余計に跳ね上がっているという皮肉な現状も指摘されている。

2025年には高齢世帯が約1900万世帯、うち単独・夫婦のみ世帯が約7割となることが予想されており、この家族や地域コミュニティの崩壊が、在宅ケアを推し進めるうえでの大きな課題となっている(それを視野に入れて登場した概念が「地域包括ケア」である)。