投稿日: Apr 03, 2019 11:40:46 AM
私は無意識に、いま目の前にある自然の美しさ、芳しい花や青葉の香り、桜の花が幹の内部から全力で発する生命の息吹は、私や家族や友人たちのためにあってくれていると思い込んでいました。ああ、私たちが美しい、素晴らしいと感じるこの自然は、私たち人類がいてもいなくても、変わらずそこにあるんだなぁ。勝手に親しみを感じていた自然世界は、私たち人間の営みや生き死になどとは無関係に、ただそこにあるんだなぁという、何とも形容しがたい「疎外感」が心の奥底から突き上げてきました。
太古の昔から、数万年前も、数億年前も、自然は、その名のとおり、おのずからあるだけなのだな。そう実感しながら、自然世界の泰然としたあり方と、私たち人間の存在や営みのはかなさとのコントラストに打ちのめされそうになってしまいました。それは、日常性を打ち破られた感覚でした。私にとって、それだけ、死は「非日常」だったということですね。
在宅での看取りの難しさは、そこにあるように思います。日常空間のなかで死を迎えるということは、まさに私たちの日常とは異質な次元にある「死」を、日常的な事柄として捉えようとする、きわめてチャレンジングな試みなのではないでしょうか。