愚行の権利――愚行とQOL(5)――

投稿日: Jan 31, 2018 9:2:40 AM

言い方を変えれば、私たち一人ひとりには、このような「馬鹿」なこと、「愚行」を選択する権利があるということになります。この場合、「馬鹿」というのは、危険なこと、自分のいのちや健康をリスクに晒す行為、という意味です。別に、それが「くだらない」などという価値判断を下しているわけではありません。

さて、ここで問題になっているのは、医学上の「愚行」です。いのちや健康があってこそ、私たちのQOLが成り立つという見方もできるため、「本当にいいのですか?いのちが危うくなりますよ」と言われて、まったく動揺することのない人はいないでしょう。けれども、その上で医療を拒否する人がいるのです。

医療における最大の「愚行」は、「死」に直結する行為を選択することです。

身体にメスを入れられることを必要以上に恐れて手術を拒んだり、宗教上の理由から輸血などの医療を拒否したり、自分がどうしてもやりたい仕事を優先させて、治療を後回しにしたりするケースもあります。

こうした場合でも、患者には、その「愚行」を選択する権利があることになります。

病院には、「キュア」という確固とした理念がありますから(第二章)、それに反する治療拒否などの「愚行」は、個人のワガママでしかないように見えてしまいがちです。しかし、医療の拒否が、宗教上の理由からなされている場合はどうでしょうか。

この「愚行」を含めた個人の自由、自己決定という考え方は、海外から日本へ輸入されたものですが、その際、もともとそこに含まれていた宗教的な色合いが褪せてしまい、世俗的な意味でしか捉えられなくなってしまっているのです。(つづく)