浮草のような私のQOL――愚行とQOL(7)――

投稿日: Feb 17, 2018 3:52:10 PM

このように、自己決定や医療の拒否には、深い宗教的バックグランドがあるにもかかわらず、それを抜き去った、ある意味、形式だけの自己決定が、日本にもたらされたといえます。「自己決定」は、自分の自由に決められるというのではなく、自分の宗教的信念に従うということであったのに、この「信念」のない状態で、「自分で決めてください」と言われてしまうのが、私たちの置かれた状況なのです。


どう生きればよいのか。どのように死を迎えればよいのか。それを、「神」や教会のような、いのちや生き方に関する他人と共通した土台なしに、自分個人で決めなければならない。私たちのQOLは、このようにきわめて不安定な状況のなかで問われているのです。


先ほど石川医師と衝突していた司馬医師は「オペしてほしくない患者だっているんだ!」と言っていました。この司馬医師、研修医時代に「ドクターシュテルベン」というあだ名で呼ばれていました。「シュテルベン」はドイツ語で「死」ですから、「死の医師」、「死神医師」といった意味でしょうか。彼の担当する患者は、よく亡くなるのです。「わざとやっているんじゃないか」と、周囲から囁かれていました。

実際、彼は「わざと」そうしていたのでした。患者本人の「尊厳死」の要請を、どうしても無視できなかったのです。

「生きていさえすればいいっていうのか!」それが、彼の口癖でした。「大切なのはただ生きることではなくて、よく生きることである」という、プラトンがソクラテスに語らせた言葉を連想させますね。彼は、医師が自分の理想(キュア)を貫くことによって、生かされているけれども生きられない、言葉を換えれば「死にきれない患者」を大勢見てきました。そのうちの一人が、彼自身の父親だったのです。

司馬は、実父をすい臓がんで亡くしていました。父親は最期の数週間、意識のないままベッドに寝たきりでした。以来、彼は、石川のような「いのちを救いたい」という理想的な医師を見ると、「何かって言うとクランケのいのちか」、「えせヒューマニストが」と、抑えようのない憤りを覚えてしまうのでした。


司馬が尊厳ある死の手助けをした(そしてQOLから死を選択した)患者の多くは、クリスチャンなどではなかったでしょう。彼が患者の「愚行」を聞き入れてきたのは、かつての父親の姿から、いのちの質に対して、鋭敏な感性を抱くようになっていたからでしょうか。

あるいは、それは、西欧のような自己決定を支える宗教的バックグランドが希薄な日本で、この単独の自分のQOLと向き合わなければならない、浮草のような私たちの懸命ないのちの決定に対する、彼なりの「敬意」だったのかもしれません。(了)