2009年2月のメッセージ

「待つ」ということ

座席に座って、さて飛行機が飛び立とうとする直前に、携帯電話(正確には携帯電話機能付のiPhone)のスイッチをOFF(正確には機内モードをON)にしてないことに気付きました。そこでiPhoneを取り出してスイッチをOFF(モードをON)にしようとしたとたんに、CA(スチュワーデス)が飛び出してきて叫ぶのです。「携帯電話の電源をオフにしてください!」いま、それをやろうとしてるんじゃない、電話をしようとしているのか電源を切ろうとしているのか、一瞬待って判断しませんか?

機内ではMacBookAirでひたすら仕事をします。でも着陸時にはパソコンはかばんにいれて座席上の荷物入れに片付けなければなりません。シートベルト着用のサインが出たのでかばんを片付けようと立ち上がると、いきなり「お客さま、座席に着席ください!」。じゃあ、かばんはどうするの?荷物入れに片付けるまで、ほんの一瞬待てませんか?

空港に到着すると、シートベルト着用のサインが消える前に乗客は一斉に立ち上がって荷物を取り出し、我先に通路を押し合いへし合い。そんなに急いでも、まだドアは開いてませんよ。サインが消えるまでほんのちょっとだけ待てませんか。なぜかこの時は、スチュワーデスは何も言いません。

鷲田清一さん(現在阪大総長)に『待つということ』という本があります。出はじめは、

『待たなくてよい社会になった。

待つことのができない社会になった。』

いま「阪大フォトニクスセンター」というプログラムのセンター長をしています。これは、総合科学技術会議が作った先端融合領域イノベーション創出拠点形成というプログラムで、文科省の振興調整費をJSTという組織がファンディングをします。各大学からの応募に対して十倍を超える高い倍率で採択するのですが、採択後わずか3年で再審査し、プロジェクトの数を1/3に減らします。3年といっても初年度は年度の後半からで、実質2年半です。最初の1年は、研究員を集めて場所を確保して設備を揃えます。装置を買うには国際入札で半年以上の月日がかかり、単年度会計ですので装置が入るのは2年目の最後です。再審査で延長が認められない場合(それが採択プログラムの2/3を占めます)、スタッフの次の就職先を探し、借りた部屋を返し、装置の引取先を探します。部屋を借りたり返したり、人を集めたり送り出したりして、実質的に研究できる時間はほとんどありません。

折角採択したのなら、 もう少し辛抱できないものでしょうか。科学や技術は、期限に追われて気ぜわしくやっていては、よい成果は生まれません。

鷲田さんが言います。

『ものを長い眼で見る余裕がなくなったと言ってもいい。仕事場では、短い期間に「成果」を出すことが要求される。どんな組織でも、中期計画、年度計画、そしてそれぞれに数理目標を掲げ、その達成度を測らないといけない。考古学や古代文献学をはじめ、人類文明数千年の歴史の研究だって、数年単位で目標を立て、自己点検をし、外部評価を受けなければならなくなった。』

最近、「科学を創るということ」というタイトルであちこちで講演をしています(松山西中等学校、六甲会議、阪大先端科学序論、テクノ未来塾など)。「科学を創る」ということは「待つ」ということだと、私は思います。種を蒔いたら、 その後はじっと待つのです。日照りには水をやり雨の日は排水をし雑草が生えてくればそれを取り除き、ひたすら待つのです。『私待ぁつぅわぁいつまでも待ぁつぅわぁ』。あみん、覚えてない、そうですか。

じっと待つ間に、いつの日か芽が出ているのを発見します。いや、出てこないかもしれません。それでも待つのです。苛々してはいけません。 『大五郎、3分待つのだぞ』。これも覚えてない、そうですか、仁鶴さんです。

科学を創るということは、待つということなんです。

大学院に入ったばかりのM1の学生の『人買い』に、企業は大学を駆け回ります。学生もまた、自分の『身売り』先を探して企業を駆け回ります。就職は1年以上先の話です。 もうちょっと待てませんか?折角の学生生活と卒業研究をゆっくり楽しみましょう。『狭い日本、そんなに急いでどこへ行く』、死に急ぐことはありません。 この標語は覚えてる、そうですか。

大騒ぎして会社に入ったのに、入社後にすぐに辞める学生が続出しています。新入社員に逃げられた企業は、就職担当の私に厭味を言います。あなた方があまりにも早く、学生に内定を出されるからでしょう。1年も前に内定を出すから、それからの1年の間に学生は色々と人生を考えるのでしょう。それを私に文句を言われても困りますね。もっとも、入社早々退社する学生も情けないですね。もっとゆっくりとサラリーマン生活を楽しんでみましょう。それから辞めても遅くはない。あるいはそんなに会社が嫌なら、入社前に内定辞退しなさいよ。

地球の温度がどんどん上がるといって、日本のメディアや政治家は大騒ぎをしています。環境破壊についても大騒ぎをし、石油がなくなるといってまた大騒ぎをする。石油がなくなればもう温度は上がらなくなり環境破壊も終わるんだから、それでいいんじゃないですか。でも、ちょっと待ってください。本当に石油がすぐになくなるのか、本当に温度が上がり続けるのか、落ち着いて考えてみましょう[2007年10月のメッセージ:ゴアさん昔の方が格好良かった]。

昨年末。不況だ不況だ、仕事がない、年が越せない、給付金が必要だ、とマスコミと政治家は大騒ぎしました。でも、給付金などなくても、年は越えました。明日にでも給付金を配らなくては派遣切りされた人たちが年を越せないと言っていたのに、いまでは日本の景気回復のために給付金で無駄遣いしてください(とまでは言わないけれど、そんな意味にしか聞こえません)と、総理大臣の説明はすっかり変わりました。ちょっと待って。よく考えてみましょう。仕事がないって?地方に行けば農家や漁師の後継者がいなくて困っています。足りないのは仕事なのか人なのか?発展途上国では、お医者さんや科学者が足りなくて困っています。それなのに、日本ではポスドクが多すぎるという。ポスドクよ世界に出よう!世に求められる仕事をしよう!というわけで、私達は理系博士に世界で活躍してもらいたくて「科学者維新塾」なる私塾を開塾しました。

東京には人が多すぎるので、東京には仕事が足りないかもしれません。しかし、都会人や高学歴者の助けを求めている地方や国は世界中にたくさんあります[学術月報2007年11月号、研究者人生を3倍楽しむ方法]。

私が研究室で、長年言い続けてきていることがあります。それは、「毎年毎年論文を書かなくてもいい」と「毎回毎回学会発表しなくていい」です。そういうと、論文を全く書かない人が出てきてしまいそれも困るのですが、科学者は論文を書くために研究をするのではありません。発表するために研究をするのでもありません[2006年6月Laser Focus World Japan、ヒトはなぜ論文を書くのか]。まだ芽が出ていないのに土を掘り起こしてはいけません。芽が出ることを信じて、辛抱して待ち続けましょう。『焦り』は禁物です。『焦り』は科学の最大の敵です。『小次郎、敗れたり!』

『科学を創る』ということは、『待つ』ということなんです。

だけど待つことは辛い。だから、その日が来るまで忘れていればいいのです。『科学を創る』ということは、『忘れる』ということでもあるのです。記憶は科学にとって邪魔です。「過去」の記憶は「いま」の判断を誤らせます。私は幸か不幸か記憶力が著しく乏しいので、毎度過去の勉強したことをすっかり忘れていて、いつもはじめから考え始めます。前に分かったはずのことが今度は分からなかったり、かつで当たり前だと信じていたことをおかしいといって悩みます。自分で書いた本の内容すらしばしば覚えておらず、その中の式をどうして導出したのか分かりません。 ゼミやミーティングでは「ちょっと待って」を連発して、周りの人に迷惑を掛けます。 『ちょっと待ってプレイバック、、プレイバック』。

忘れるということについては、『待つということ』の最終章にも出てきます。忘れることは、私がもっとも得意とすることです。この原稿はおとといの伊丹から羽田への始発の飛行機の中でMacBookAirに書き始めましたが、飛行機に乗る前にラウンジでその電源ケーブルをコンセントに挿したままにして忘れてきました。いま、羽田から伊丹の最終便で原稿の残りを書いています。電源ケーブルはラウンジにあったそうです。伊丹のカウンターで、私の帰りを待ってくれています。郵便屋さん(いや航空会社さん)ありがとう。『オーイエイ、ウェイラ、ミニミスターポースマン、、、、ソウオウオウペイシャンリーー、、、、ウエイラミニウエイラミニ、ミスタポストマン、ルックアンスィー』

でも、空港に着いたらまたきっと忘れてしまいそう。SK

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