2008年4月のメッセージ

シンク

桜が満開です。私達の研究室は毎年4月の最初に新メンバー歓迎の春の学校「オサムナカムラ・カンファレンス」を開催します。今年は、大阪城の前のホテルで開催しました [1] 。会場の緞帳(というかカーテン)を開けると、目の前に大阪城公園が広がり、陽に映えて輝く天守閣を背に満開の桜が私達を迎えてくれました。毎年この時期になると、「桜前線」なる開花予想が新聞に出ます。開花日の予想はよく外れますが、桜が一斉に開花することは変わりはありません。お城の1200本の桜の木がどうして同じ日に一斉に咲き始めるのか、まだ科学的に分かっていないと思います。

日照時間とか温度を桜が感じて、一斉に開花するのだと言われる人がいますが、それは違うと思います。日向の桜も日陰の桜も、遅れなく一緒に開花します。日だまりで暖かくても吹きだまりで少し寒くても、一斉に開花します。

ただ、いつ一斉開花するかは分かりません。いつ散るかも分かりません。桜の木から何らかの物質、フェロモンが出ているという話もあります。分からないことを未知物質・フェロモンに任せてしまうというのは、ちょっとずるい。

私は、桜は互いに見つめ合って会話をしていると思っています。互いに意識しあっているというか、互いに感じ合ってるというのがより的確かもしれません。1本の桜が蕾を持てば、その近くの桜もそれを見て(感じて)自分も蕾を膨らませます。それをそのまた近くの桜が知って、開花の情報は桜木から桜木にどんどんと伝わっていきます。誰かが走り出すと、周りの皆が追いかけて走り出すかの如くです。これは、科学を超えた植物の心理学あるいは哲学的命題です。

数理学的には、このような現象をシンクロナイゼイーションと言います。『シンクロ』と言えば、普通の人は『シンクロナイズド・スイミング』を思い出されるでしょう。泳ぐだけでも大変なのに、水中から一緒に足をあげたり潜ったりするのは、すごく大変なことだと思います。一人でやるだけでもすごく大変なのに、皆でぴったり揃って演技をするのはさらにものすごく大変です。一人でも誰かが油断してミスをすると、動きはバラバラになってしまい、その後でもう一度揃えることはとても難しいでしょう。揃わないことはむしろ自然なことです。エントロピー増大の法則というのは、最初揃っていた動きがそのうちはバラバラになってしまうことを言います。シンクロナイズド・スイミングの面白さと難しさはそこにあります。

桜の開花も、まさに自然が生み出すシンクロナイゼーションです。山から山へ、街から街へ、南から北へと揃って蕾んで揃って咲いて揃って散る桜のシンクロナイゼーションは、人々の心を幸せにしてくれます。シンクロナイズド・スイミングと同じで、人々は統一の美しさに魅了されます。一斉に揃って花を咲かせることは、桜にとっても実はとても大変なことかもしれません。それでも、一緒に揃って開花し一緒に散るのです。人間に対して得はなく花の蜜に群がる虫たちに、自分達の開花の美しさを見せたいのかもしれません。一本の桜の木だけでなく、公園全部の桜が一斉に咲くことによって虫たちにアピールしているような気がします。シンクロして一斉に花を咲させる事は、桜にとっては種族を残すための最も重要な行事なのです。その開花のタイミングは、虫たちが桜から桜に伝えてシンクロさせているのかも知れません。

シンクロする桜に意志があるれば、エントロピーは増大するどころか減少します。意志を貫徹するためには、非常なる情熱と努力が必要です。一斉開花は、桜の木の人生を賭ける勝負なのです。

最近では見ることが少なくなりましたが夏になると、『蛍』の光が私達の心を清めてくれます。たまたま相次いで制作された日本映画の「オリヲン座からの招待状」と「Always続三丁目の夕陽」ではどちらも、ストーリーのモチーフに蛍を使っていました。どちらもCGを駆使して昭和の懐かしき時代を再現します。蛍は、互いに離れているときは別々に光っているのですが、互いの距離が近づくと一斉に同期して明滅します。3秒周期で6回点滅した後6秒休んで、また点滅を繰り返す、これを一斉に同期して行います。蛍の明滅ショーについては沢山の書き物や論文があるのでこれ以上深入りしません [2] 。指摘したいことは、無数の蛍の点滅ショーに指揮者はいないだろうと言うことです。桜の開花も同じです。指揮者がいないのに、皆が揃ってしまうのです。光る蛍は雄ですから、雌の蛍に自分達のいる場所と自分たちの思い(?)を知らせるために、一斉に揃って派手に明滅するのかもしれません。

私達の研究室では長く、複数の個別の心筋細胞が近づいたとたんにシンクロして互いの鼓動を同期する様子を観察してきました。心臓の筋肉から取り出した細胞を単離すると、それぞれは個別の生命体として拍動します。まるでそれぞれが一匹の動物のようです。それらが培養液の中で繋がると、一緒に拍動を始めます。百匹(?)の細胞が繋がると、それまで動いていた細胞の拍動が同期します。自然は不思議です。生命の個体とは、細胞なのか細胞の集団である人間なのか、どちらなのか分からなくなります。さらに言うと、人間の身体の中にいる様々な菌がなければ人は生きられません。人とこれらの小動物が一緒に作る生態系を、一つの個体と呼ぶべきなのでしょうか。

鳥は1羽ずつ生きているようでありながら、雁が群をなして空を飛ぶ姿は羽を広げた一つの生命体のようにも見えます。実際、この鳥の群がひとつの生命体として自分より大きな獲物を集団で襲います。 この群(集団)が生命個体(ユニット)なのかもしれません。 ジュラシックパークの作家、マイケルクライトンは「獲物(プレイ)」という小説を書きましたが、そこでは非常に簡単なナノロボットが集団で一つのロボット(目のロボット)として働く様子が描かれています。人間の細胞はどんどん死んでまた新しい細胞が生まれて、世代を超えて人間一生を支えます。自分の人生は有限なのに、子孫を残し世代を超えて人類という生命体として生きていると言えるかもしれません。こうなると、もうフラクタルの世界です [3] 。

生命体だけではなく、無機質な物質や粒子においても、シンクロナイゼーションはいくらでも見かけることができます。光は波動と粒子の二つの性質があることが知られていますが、これは互いに異なる性質ではありません。粒子の集団的なシンクロナイゼーションの結果が波であると言えます。エントロピー増大の法則を前にしながら、エントロピーを減少させるシンクロナイゼーションが自然界を支配しています。シンクロナイズドスイミングと同様に、物事を揃えて合わせて動かせることは、常にすごく大変なことです。なぜそんな大変な事を、エントロピーの法則に反して、生物も非生物もするのでしょうか。

私は、生物も非生物も、似たもの同士が一緒に同期して動くことは気持ちがいいのだろうと思います。似たもの同志は互いに好き同志です。類は類を呼びます。人はシンクロナイゼーションが好きなんだろうと思います。リズムに乗ると気分がいいんです。

いまアメリカでは大統領候補者の選挙が加熱しています。「オーバーマ、オーバーマ」というオバマコールの真ん中にいると、人は気分が高揚してきます。「ヒーラーリー」より「オーバーマー」の方が、リズムがちょっといいのです。アベさんが逃げ出した後の自民党総裁選ではフクダさんが勝ちましたが、麻生太郎さんの方が大衆には人気がありました。この時も、「タアロオ、タアロオ」がリズミックで、アキバの若者達は声を揃えてシンクしていました。こないだの大阪府知事選では、「ハアシモト、ハアシモト」でした。 ついでに古い話で恐縮ですが、「 アンポ反対、ゲンセン帰れ」というのも、リズム良く皆でシンクロしたものです。

自然界も生命も政治も経済も、エントロピーの法則に反してシンクロナイゼーションが世界を支配します。冒頭のウエルカムスクールでは後輩達に研究テーマを先輩の学生が説明してくれました。説明する人たちが自分の研究を楽しそうに話すと、聞いている新入生はその研究内容が難しくてよく分からなくても、シンクして楽しい気分になります。先輩が緊張して真面目に難しそうに話すと、聞いているみんなも緊張してしまい、研究とは楽しいものとは思わなくなります。人の気持ちも互いにシンクします。今回説明を楽しめなかった先輩達、次からはもっと楽しそうに話しましょう。

というわけで今年の私の研究主題は、シンクロナイゼーションです。研究室の皆さん、お分かり? SK

[1] 例年は、淡路島でウエルカムスクールを開きます。 泊まりがけの新歓コンパと研究室のオリエンテーションとセミナーの合宿です。 研究室の先輩やスタッフが、研究室の哲学、文化、科学、技術、運営方針などを新メンバーに紹介・説明をし、新メンバーは自己紹介をします。加えて研究のプログレス・レビューがあり、夜は飲んで騒ぎ、翌日もまた朝からセミナーです。東京と大阪の二つの研究室を主宰する私にとっては、新歓コンパと新メンバーへのオリエンテーションを一回でまとめて済ませることができ、他の人たちにとっては兄弟研究室の仲間と様々なディスカッションをするチャンスでもあります。スタッフ諸君、今年は君たちの貢献と工夫が足りなかったですよ。

[2] Steven H. Strogatz、「SYNC: the Emerging Science of Spontaneous Order 」、蔵本由紀・長尾力訳、早川書房、2005、に詳しい。親しい女性同士のバイオロジカルな周期が同期するという話も出てきます。昨年出版された「生物と無生物のあいだ」、福岡伸一、講談社現代新書、07年にも関連の話題が出てきます。ただし、この本は1956年の川喜田愛郎「生物と無生物の間」、岩波文庫のタイトルをパクっている点はいただけませんね。

[3] 河田聡編、「科学計測のためのデータ処理入門」CQ出版、2001年。

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