2003年1月のメッセージ

無条件降伏

北朝鮮との交渉方法に議論が分かれます。今の北朝鮮の体制が、私にはどうしても昔の日本に重なってみえます。そのころの日本は国際連盟を脱退し、勝ち目のない戦争に入り、最後は原子爆弾が2つ落ちて無条件降伏に至りました。原爆が落ちる以外に、自ら戦争を終結させる方法がなかったのだろうかと、思います。北朝鮮への経済制裁は長く続き、北朝鮮の国民はあらゆる犠牲を強いられています。

歴史を顧みれば、太平洋戦争終結や国鉄解体など、完全なる破綻が来るまで物事を決断できない傾向が日本人にはあるようです。今の小泉改革への抵抗が強いのも、まだ日本社会が完全破綻していないからで、無条件降伏する覚悟に至っていないのかもしれません。条件付き撤退はできず、結末はいつも無条件降伏なのです。その結果、被害は甚大になります。

大学改革にも似た状況があります。現場の教官や事務官の方々の危機意識に、原爆が落ちるまで目を覚まさない国民性を感じます。少子化時代、国際間の大学競争時代、独立行政法人化時代、学問体系の再編化時代、日本国の財政破綻、こんなことがすべて同時に迫ってきているのに、今までの常識で会議や委員会を繰り返しています。先月述べたように、戦後高度成長時代に甘い汁を吸って来た世代の人たちは。「何とかなるさ」と問題の先送りをしています。

破綻を待って無条件降伏するのではなく、日本も戦術戦略と契約と交渉のある成熟した社会、機動性と流動性のある社会に移る必要があります。トム・クランシーの小説に「今ここにある危機」というベストセラーがありました。物事は、当事者が現場で解決を図るべきなのに、日本の行政は「いま」も「ここ」も否定しています。何十年も前に作られた法律(あるいは通達とか前例)が、現在生きる「人」や直面する「現実」、現実の人の「命」よりも、正義とされます。「今」「ここ」にある個人と「今」「ここ」にない組織との間には、交渉とか契約とか条件など存在せず、無条件降伏の世界を作っています。これを解決する手段として、政治家への陳情と政治家の官僚への圧力などの非合法的文化が、必要悪として存在しているのでしょう。

平成14年度より教授の兼業兼職の認可が大学にゆだねられるにようになったことを受けて、また大学発ベンチャーへの国や社会の期待を受けて、私は、昨年12月にナノフォトン株式会社を創立する予定で準備をしてきました。しかし、現実には自らの会社設立とその許可は、交渉ごとではありませんでした。大学は、誰が書いたかわからない(しかしおそらく現場・現実の大学発ベンチャーの現実を何も知らない役人が書いたと思われる)「..の留意点」(法律ではない)という冊子に書いてある規制項目に従わせようとします。この文面通りにしなければ、大学発ベンチャーは認められませんが、この留意点文書は大学発ベンチャーを原則否定しています。

結局、今回の私の場合、阪大の事務方や担当委員会の方々には、大変助けて頂き、お骨折りを頂きました。夜遅くまで私の書類のために働いてくださった人たちもおられます。そのことは大変感謝しています。しかし、文書や国家組織が現実や人間を無条件支配している、そんな思いを強くさせる2ヶ月でした。

大学入試も教授専攻人事も、常に大学の側が人を選んでいるという意識が、大学を支配しているような気がします。受験生や教授人事応募者が、その大学を選んでいるのだという意識がありません。欧米では入学許可も人事採用も「オファー」という形で与えられ、個人が優位にあります。選ばれるのは大学の側です。日本の大学には個人と大学との契約という概念がなく、一方的に大学(国)側のルールを個人に押しつけます。互いに条件を出し合って、合意が出来たときに契約するようにありたいものです。

国と国の交渉も同じで、自分の側の論理でしか動けないようです。だから終戦は、完全勝利か無条件降伏しか選べなかったのでしょう。契約と交渉、戦略のある社会を作ること、これからの日本が国際社会で生きる道だと思います。そのためには、組織より個人の主張を認める社会作りから始めるのが、いいかもしれません。

年末から風邪で寝込んでいたこともありますが、相手のない文書と役人との戦いに少し疲れて、1月のメッセージは、すっかり遅くなってしまいました。今年もよろしくお願いします。 SK

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