2011年8月のメッセージ

サバティカルで失ったもの

たっ た2ヶ月のサバティカルでしたが、その2ヶ月で失ってしまったものがありました。習慣です。私は毎朝とても早く起きます。そして猫を庭に放し、ネットを チェックします。新聞屋さんのバイク音が聞こえると、郵便受けから新聞を2紙取ります。シャワーを済ませて、新聞を隅から隅まで読みます。

ところがサバティカルの後、この日課に変化が起きました。朝食をはじめるまで、郵便受けから新聞を取ってきていないことに気づかないのです。新聞を取ってきても、読みたいと思わないのです。隅から隅まで新聞を読んでいたあの長年の習慣を失ってしまったようです。たった2か月離れていただけで、こんな気分になるとは想像できませんでした。新聞のどこを見ても、ちっとも面白くないのです。2ヶ月前と、新聞の中身が何も変わらないような気がします。原発事故を口実に居座りを図るソーリ大臣、震災を利用して焼け太りの予算編成をする各省庁の役人達、原 発トラブルを利用して新しいエネルギー商売を模索する経済人たち。相変わらずのニュースに加えて、被災者の苦労と原発事故災害をまるで期待するかのごとき 新聞コラムのはしゃぎように、朝から不愉快になってしまいます。そしてついに、30年以上読み続けた新聞の1紙の購読を止めました。経済新聞だけはまだかろうじて購読していますが、これも風前のともしびです。

「今月のメッセージ」を書く習慣も2ヶ月休んだだけで、途絶えてしまいました。どっかの雑誌にコラムを書いて原稿料を戴いているのではありません。自由に好き なときに書けるのがホームページでのコラムです。ブログというものが生まれるより前、10年近く前から書き始めた「今月のメッセージ」は、気まぐれに休んだり止めることができるはずです。それなのに、「いつも楽しみにしています」と声を掛けられ続けるうちに、いつのまにか習慣化していました。その習慣がすっかり無くなってしまいました。

サバティカル中の2ヶ月に、私はメールを平気で読み飛ばすようになってしまいました。もともと私へのメールは秘書が読んでくれていましたので、私の役割はバックアップ機能だったのですが、その秘書もこの夏から数ヶ月のお休みに入りました。

今、 メールを全て読んで全てに返事をしなければいけないという脅迫感から自由になっています。原稿の依頼、講演の依頼、委員就任の依頼などを断ることは、非常 に気を遣う面倒な作業です。以前にあるハンドブックへの執筆を自分なりに前向きに検討をして、それでも無理だったので丁寧にお断りしました。それでも、編 者の方からひどく攻撃を受け、彼の周囲の人からも非難をされました。それがトラウマになって、自分の時間の都合がつけば何とかして講演依頼を引き受けよう と努力をしてきました。しかしサバティカルは私を自由にしてしまいました。サバティカルを準備中から、物理的に依頼に応えられないためにお断りを繰り返す間に、断ることに慣れてしまったのです。

世の中には無くても誰も困らない出版物や研究集会や会議がたくさんあります。関係者だけでやって おられるならほほえましい限りですが、興味のない人を巻き込んではいけません。年次行事として習慣化されて、その歴史と伝統を維持するがために続けている 研究集会や出版物、会議が如何に多いことでしょ う。お金と人と時間の無駄は、事業仕分けをしましょう。失う時間を他の時間に使えば得るものは大きいはずです。

一度走り出すと止まることができず、沖縄地上戦を経て原爆2発を落とされるまで、自分で止めることができないのが日本人だと、以前にこの今月のメッセージで語りました(2003年1月)。 止めないことの方が、考えたり交渉したり決断をする必要が無くて、実は楽なんです。始まったことはなかなか止められないものです。特に自分が始めたのでな いことを止めるようとすると、かなりのフリクションがあります。それでも、どうでもいい書類提出や会議やパンフレット作成は止めましょう。無条件降伏まで に至る前に、惰性と習慣から脱しましょう。

ということで、7月末に帰国後、「今月のメッセージ」を更新しなくても気にならないという別の習慣ができてしまいました。

河 田はまだ帰国していないと勘違い される人が大勢出てこられましたので、取り急ぎ、8月のメッセージを9月に掲載します。長く留守をして(そう誤解させて)、ご迷惑をおかけしました。帰国後、北海道大学での集中講義、山形の応用物理学会、学習院大学の集中講義などで、ずっと留守にしていたことには違いないのですが、まずは「先月のメッセージ」から復帰します。

長年の習慣を辞めることは、言うほどに簡単なことではありません。人々は、禁煙や禁酒、生活習慣病からの克服に苦労をします。一番の方法は、環境を変えてみることです。習慣とはすなわち「惰性」、伝統とはすなわち「惰性」でもあります。日本人は伝統を重んじ、役人は前例主義を貫き、科学者は新しい分野とテーマへの挑戦を躊躇い、起業はなかなか起こらない。この悪習慣を断ち切るには、環境を変えることです。わたしにとっても、サバティカルはいくつかの過去の習慣からの決別を可能としました。2ヶ月のサバティカルを認めてくださった皆さんに感謝します。SK

追記:朝の1時間の新聞1紙を読む時間のかわりに得た自由時間、これを何に使おうかな。今月のメッセージ執筆には使わず、今はサバティカル中に溜まった雑誌をむさぼり読んでいます。「學士會会報」の5月号は法学系の方々からのメッセージはどれも辛辣でした。この号に限らず「學士會会報」は私の愛読誌の一つです。朝日の元論説の松山幸雄さんはその中で、1950年の東大法学部の入試問題(2時間程度)を紹介しておられます。これはすごい問題です。以下について述べよ。

1.近世哲学史における寛との地位

2.ユネスコ憲章善文についての論評

3.「歴史は繰り返す」という説について

4.国富論

5.江戸時代の洋楽

6.内包と外延

7.西域

これにくらべて、今のセンター入試問題の軽薄で無意味なこと。国家統制された日本の大学入試制度はひどくなる一方です。戦後の経済発展の陰で、私たちが失ったものは何だったのでしょうか。惰性に流されずに立ち止まって考え直すという決断を失ったのです。辞められないのは、センター入試だけではありませ ん、卒業の1年前からの大企業の学生の青田買い・就活、独立法人という天下り組織の温存、無責任な超巨額の赤字国家予算、総選挙で勝利したマニフェストを守らずに総選挙で約束した総理大臣の入れ替え、などなど、止めることも辞めることもできません。

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