2013年お正月のメッセージ

猿之助さん・猿翁さん

お正月に、松竹座に猿之助さんと中車さんの襲名披露を見に行きました。松竹座は道頓堀にある劇場のひとつで、私が学生の頃は主に洋画を上映していました。そのころ歌舞伎は道頓堀では中座で行われていました。ここは藤山寛美さんが座長の松竹新喜劇の本拠でもありました。難波に新歌舞伎座もあったのですが、歌舞伎ファンの客で埋めるには大きすぎて、むしろ歌舞伎以外の芝居や歌謡ショー(杉良太郎とか五木ひろしなど。行ったことありませんが。)で賑わっていました。ちなみに道頓堀では、落語は角座、文楽は朝日座(その後国立文楽劇場)でした。これらの芝居小屋は道頓堀からなくなってしまい、私の学生時代の趣はなくなりました。その中で、松竹座が昔の趣のままに建て直されて、歌舞伎といえば今ではここ松竹座です。広すぎず狭すぎず、いい劇場だと思います。昨年も3回、私はここで歌舞伎を見ました。

今回は、新橋演舞場で襲名披露をされて以来はじめての猿之助さんの四代目襲名披露です。昨年の7月にもこの劇場で、又五郎さんとご長男歌昇さんの襲名披露を見ました。襲名披露は華やかでいいですね。役者さんたちがそれぞれ、自分の言葉で訥々と(意外にも)そしてとてもうれしそうに、新しく襲名する役者さんに暖かい言葉を掛ける様子は、観客席まで幸せな気分にしてくれます。7月には仁左衛門さん、吉右衛門さんはじめ東西のそうそうたる役者が、今回は藤十郎さんはじめ上方の重鎮たちが澤瀉屋の祝事に口上を述べられました。

それにしても、新しい猿之助はカッコイイ。中車を襲名された香川照之さんの決断と努力ももちろんカッコイイんだけれど、亀ちゃんこと元亀治郎さんの四代目猿之助の迫力、演技力、運動能力、体力、そして技量には圧倒されました。歌舞伎役者の家に生まれて、幼い頃から舞台に出て舞踊を学びプレッシャーと責任を感じながらも未来に向かって生きる、世襲役者の思いを強く感じさせられました。

「義経千本桜」から昼には吉野山が、夜には川連法眼館の場が演じられました[1]。私は口上のある夜の部だけでしたが、通しでご覧になったお客さんも大勢おられたようでした。

歌舞伎のような古典芸能が現代にエンタテイメント・ビジネスとして生き残ることは、とてもとても難しいことだと思います。ビジネスとして成り立つためには、伝統を守るだけではなく大変な改革と挑戦が必要です。そして変革は伝統を破壊するのではなく、発展させることができるのだと言うことを猿之助さんたちは平成に生きる私達に教えてくれます。

この定番の古典歌舞伎を工夫を凝らして練り上げて、狐の忠信の情愛の表現と宙づり・早替わりなどの超エンタテイメント性を生み出したのが、二代目猿翁さんこと前の三代目猿之助さん。三代目段四郎の長男として生まれながら、若くして父三代目段四郎と祖父初代猿翁(二代目猿之助)を亡くし、されど他門の庇護の下に入ることなく、ひとりでスーパー歌舞伎を始めて、新作、新演出を開拓して歌舞伎を蘇らせたのです。彼がいなければ、いま歌舞伎はどうなっていたことでしょう[2]。

猿之助演出の宙づりの狐忠信(佐藤忠信と源九郎狐)はごく最近でも、勘三郎さん(先日急逝)や勘九郎さん、海老蔵さん、菊五郎さん、又五郎さんなど多くの役者さんが演じておられます[3]。孤高の人として苦労した猿翁さんは当日は体調不良のため休演されましたが、今回の新猿之助、中車、團子の襲名披露に感無量だったろうと思います。通し狂言も、猿翁さんのこだわりで復活したとのこと、一度通しで見たいものです。

歌舞伎のみならず、交響楽団、文楽、能・狂言、古典落語などの古典芸能や古典芸術が情熱だけで維持できるフェーズは終わっているような気がします[4]。新しいエンタメとファンの取り合いです。古典芸能・古典芸術がビジネスとして生き残るためには、大改革が必要です。しかもスピードある決断が不可欠です。改革と言っても、情熱・縮小・リストラだけでは生きていけません。新しいコンテンツが欲しい。新しい演題、新しい演出・趣向、そしてそれらを支える人たちです。猿翁さんがやられたことは、新しいコンテンツの創出と新しいファンの獲得だったと思います。歌舞伎には数百年の伝統と技術があります。正月にテレビのチャンネルを支配した素人芸人たちとはまるで比較にならない、高いレベルの努力と技術と才能の集積があります。そこに新しいコンテンツを加えたのです。

さて、ここからが本題。(イントロが長すぎる!?)

日本の戦後を支えてきた巨大産業は今、大衆と世界から見放されて、まるで時代遅れの古典芸能のようです。世界を席巻して日本に対する憧れと尊敬を世界から得ていた家電メーカーも、いまや韓国や中国・台湾に追い越されて巨額の赤字を出します。本格回復の兆しは全く見えません。今年1月に出版された井上久男さんの「メイドインジャパン:驕りの代償」に、TVメーカー3社と自動車会社2社の苦しみとその分析が詳しく書かれています[5]。このまま進むなら、「驕り」の代償はあまりにも大きなものになりそうです。

しかし、問題の本質は実はそれほど複雑ではないように思えます。問題は、これらの会社から他社にない革新的な新製品が出なくなったことにあります。アップルやグーグルのように矢継ぎ早に先陣を切って出てくる新製品がないのです。韓国や中国からも新製品は出てきません。だからアップルやグーグルとではなく、中国や韓国と競うのです。それでは勝ち目はないですよね。

日本の産業の復活には、猿翁さんの登場が必要です。新しいコンテンツを生み出す才能と努力と、そして中傷と妨害に負けない意地が必要です。いまの日本の産業には、コンテンツを創出する力も計画もありません。産業にも「スーパー歌舞伎」が欲しい。複数の新しいコンテンツを生み出す力とそれを育てる力、そして覚悟が欲しい。宙づりをサーカスと批判され続けても、猿翁さんは改革を続けました。スーパー歌舞伎の『ヤマトタケル』を脚本した梅原猛さんは、猿翁さんを「仮名手本忠臣蔵」の竹田出雲や「四谷怪談」の鶴屋南北に匹敵する創造者だと言います。シェイクスピアを歌舞伎にした蜷川幸雄さんは『俳優という病に冒されたこの人たちを心から尊敬する』と言っています[3]。今の日本の産業にもこのような支援者がいればいいのですが、、、。

井上さんの本に、輪島塗の塗師の赤木明登さんの言葉が出てきます[5]。『輪島塗が売れない理由は不景気のせいではなく、生活に必要でなくなったからです』。都会のマンションでの生活にあったお洒落で価格が手ごろな輪島塗を製作されているとか。有田焼でも電子レンジで短時間に酒の燗ができる徳利や泡持ちのよいビールグラスが開発されているそうです。有田焼や輪島塗も伝統に甘んじていては、いずれ廃れます。ましてやテレビやコンピュータや携帯電話には、伝統なんて言えるほどの歴史はありません。それなのに変革できず、過去の栄光に溺れ、失敗を恐れ、新しい製品を作らない。そして韓国や中国には勝てないと音を上げる。やることはリストラと合併と売却ばかり。猿翁さんに学びましょう。

日本のいまの産業には、かつての創業者たち、盛田昭夫や本田宗一郎のような新しいコンテンツを生み出す人たちが見当たりません。クリエーター(創造者)がいなければ日本の産業に未来はありません。流行を追わずに流行を生み出す創造者が必要です。市場調査という真似ごと捜しによって皆で同じ製品を作って、価格競争をしてあっという間に市場を飽和させてしまうのではなく、一人(あるいは一社)で新しいコンテンツを創り出す人を育て、支えることが今求められています。猿之助歌舞伎を見ていると、創造者たる破壊者が伝統を救うということを実感します。

学問の世界も同じです。流行の研究をしたい、流行りの中にいて注目されたいという研究者がいかに多く、創造者がいかに少ないことか[6]。

私は群れることが苦手、人と同じ事をするのが苦手です。他の人がやってくれるのなら私はやらなくてもいいと思ってしまいます。最近、遠赤外分光(長い波長の光。テラヘルツと呼ばれます)が流行しだしたので、深紫外分光(短い波長の光)の研究を始めました。かつて先端に小さな穴のあいた光ファイバーを使った顕微鏡が流行ったころは、その穴を塞いだ顕微鏡を発明しました。あまのじゃくですかと聞かれますが、人に逆らうのではありません。真似るのではなく創るのです。歌舞伎の復活は古典芸能のみならず、産業や科学などあらゆる分野におけるよいお手本だろうと思います。SK

[1]ほかに「操り三番叟」を翫雀さんが演じられました。ほかにも藤十郎さんや秀太郎さん、みんなみんな素晴らしかった。

[2]九代目松本幸四郎さん(先代の市川染五郎)さんも、東宝歌舞伎で創作歌舞伎を始めたり、ブロードウエイミュージカルを上演されたり、はやり批判の中で歌舞伎ファンを増やし、そして弟子を育てられました。日経新聞「私の履歴書」で大スターこその責任感と改革への苦しみと努力を知りました。

[3]松竹演劇部「新春大歌舞伎2013」解説書から。

[4]特に大阪では、タレント出身の市長が、古典芸能や芸術破壊に非常に熱心です。交響楽団を潰し、美術館博物館を壊し、文楽を潰します。市民から交響楽団を無くして欲しいとか文楽への補助を辞めてくれという声は一切出ていないのですが、目立つためなら何でもやる人です。一般市民から体育科を無くして欲しいとか伊丹空港を廃校して欲しいという声は一切出ていませんが、体育科を目の敵にし伊丹空港をぶっ潰すとも言われました。

[5]井上久男「メイドインジャパン:驕りの代償」NHK出版、2013年1月刊。 NHKで「メイドインジャパン」という連続ドラマも始まるそうです。

[6]先月のメッセージでPhysics Todayの記事を紹介しました。そのタイトルは「Too Many Authors, Too Few Creators」。

註:今回は[1]の他、松竹座や国立劇場で上演された歌舞伎のパンフレットや解説書、日本俳優協会・松竹・伝統歌舞伎保存会編「かぶき手帖2012」などを参考にしました。知識不足による勘違いや間違いがたくさんあると思います。ご指摘いただければ幸いです。

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