2005年6月のメッセージ

脱線事故で107人を殺した人たち

職業病かもしれません。私が思うことがいつも普通の人と違うのです。物事に対して普通の人と違う感じ方をするのが科学者(サイエンティスト)の本性であり、それが科学者であることの条件なのでしょう。科学者には芸術家みたいなところがあって、私はそのことをとても気に入っています。ただ、それが一般常識にまで及ぶと、人と摩擦が起きてしまいます。それでもまた、今月も言いたいのです。

尼崎の電車脱線事故の話です。

誰が、107人の命を奪ったのでしょうか?マスコミは最初、若い運転手を犯人に仕立て上げました。JRは、置き石を犯人にしようとしました。その後、マスコミは事故当日にボーリング大会をしたりゴルフコンペを続けたJRの人たちを、激しく責めました。次には、列車ダイヤを厳密に守らせようとするJRの姿勢、それから鉄道の過密ダイヤと高速運行、そしてATSという安全装置を付けていなかったJRの安全対策に対する姿勢を、責め始めました。このあたりから、いったい誰が真犯人か分かりにくくなくなってきました。

私が事故の画面をはじめてテレビで見た瞬間、犯人だと思ったのは、マスコミが探し出したこれらの容疑者の誰でもありませんでした。

まず、鉄道サービスの高速化と過密なダイヤは、顧客の要望に適っています。責任はありません。乗客は、乗り換えの待ち時間少なくて、ダイヤ通り正確に、そして速く走るJRだからこそ、JRに乗っていたのです。そうでありながら事故のない交通システムを提供するのが、現代文明です [1] 。

第2に、飲み会やボーリング大会をした人たちは極めて不謹慎ですが、彼らがボーリングに行かなくても、107人の命を救うことは出来なかったはずです。全く別次元の話だと思います。心がけの悪いJR職員を捜し出して来て、彼らを糾弾している新聞記者を見てると、この重大な事態に一体何とピントはずれな取材しているのだろう、と思ってしまいます。このような新聞記者達は、事故の原因を探るという本質的な取材業務を放棄して、ワイドショー的テーマに興じており、事故当時にボーリングをしていたJR職員と全く同じレベルの人種だと思います。

では、運転手が犯人でしょうか?もしかして、運転手には意識がなかったかもしれないし、気分が悪かったりかもしれません。人間ですから、一瞬の油断があったのかもしれません。原因は未だよく分かっていません。

置き石が犯人でしょうか?何らかの原因で線路の上に障害物が乗ることは常にあり得ます。どこかから飛んで来ることもしれないし、あるいは誰かがいたずらをして障害物を置くこともあるでしょう。これらを完全に防ぐことは難しいし、置き石があっても決して脱線しない電車を作ることもまた難しいと思います。

JRの安全対策軽視が犯人でしょうか?JRの安全対策は不十分であったと思いますが、世の中に完璧なる安全などあり得ないと思います。ここまでの容疑者は、私は主犯ではないと思います。これらの容疑者を逮捕しても、それでも107人が殺される事故は起き得ると思うのです。

もしテロリストが電車ジャックをして運転手を脅して電車を暴走させれば、電車は脱線します [2] 。テロリストは、線路に障害物を置くかもしれません。テロリストは、ATS装置を破壊するかもしれません。たとえもし、テロリストの工作を完璧に封じ込めることができたとしても、安全装置は完璧ではなく、何らかの原因で誤作動することがあり得るでしょう。

今回の被災の写真を見ると、阪神大震災を思い出します。地震があれば電車は脱線します。

結局、電車とは脱線することがあるものだと、覚悟するべきだと思います。ただ、電車が脱線しても、107人は殺されずにすむ方法があります。私がテレビ画面を見て、「酷い」と最初に思ったのは、線路のカーブの直線上にかぶりつくように建っているコンクリートの塊、すなわち電車が激突したあのマンションです。「何であんな所にマンションがあるんだ!」と思わず叫んでしまいました。電車がカーブについて行けずに脱線すれば必ず衝突するところに、コンクリートのマンションが建っていることに、恐ろしさを感じました。電車が地震やテロリストや運転手の不注意で脱線したとしても、マンションがカーブする線路にへばりついて建っていなければ、107人の人命は奪われることはありませんでした。

私にとって加害者と思うマンションの住民(全員ではないと思いますが)は、被害者の顔をしてJRにホテルや補償を要求したり買い取りを求めています。「何日もホテル暮らしは出来ない、もうこんなところに住めない、マンションを買い取れ、JRは誠意がない」とテレビ画面で叫んでいます。何故「自分たちは大丈夫だから、犠牲者やそのご遺族に対する対応に集中して下さい」と言えないのでしょう。事故の直後にマンションの上から事故現場を眺めている住民達が映るテレビ画面も、不思議な光景でした。「たくさんの人たちが亡くなったのは、自分達の建物がそこにあったからだ、申し訳ない」といった言葉は、全く聞かれませんでした。

マンションさえなければ、107人の人は死なずに済んだのです。マンションを鉄道にかぶりつくように建てた業者、それを購入した住民、建築を認めた自治体、彼らがこの殺人事件の真犯人だと思います。その人達から謝罪の声が聞かれないばかりか、被害者の顔をしてJRにゴネ得の要求をしているのを見ると、とてもやりきれない思いになります。もし彼らに賠償する金やその交渉の時間があるなら、JRは全く責任のない犠牲者の遺族や病院にいる負傷者に、捧げて欲しいと思います。

阪神大震災で6000人の犠牲者が出たことを、私たちは全く学んでいません。どんなに補強工事をしても、より大きな地震が起きれば高速道路や高層建物は倒れます。その時に、犠牲を最小にする町作りが必要なのです。震災を経験したはずの尼崎で、鉄道のしかもカーブするところにマンションを建てた人、それを認めた人、そこに住んだ人は、JRを責めるのではなく、亡くなられた人たちに対して自らが罪を背負うべきだろうと思います。

日本の国は、世界の中で極めて特異なる駐車違反大国です。駐車違反によって、歩く人も後続の自動車も、その車の向こうが見えず、事故が起こります。駐車違反によって、道が混雑して事故が増えます。駐車違反によって、自転車も人も歩きにくくなります。それでも、日本は世界的に例外的に迷惑駐車に寛大な国です。近くに駐車場があっても、面倒だからお店の前に車を止めます。事故が起きたら、車をぶつけた人に責任があり車を放置した人はほとんど罪に問われません。店の前に駐車した客の車が事故を引き起こしたら、そのお店が十分に駐車場を設けなかったために駐車違反が起こったのであって、お店に責任があります。ひどい例は、店の駐車場には入れずに溢れる車を、店のガードマンが誘導して駐車場に入るために道路に並べているケースがあります。アメリカでは駐車場が満車になると、その前に道路に並ぶことはもちろん許されず、諦めることになります。

痛ましい尼崎の事故を見て、私の発想とメディアのギャップに、悩んでしまいました。SK

[1] 2004年4月のメッセージスイスの回転扉」 でも、現代文明と事故のことを書きました。

[2] 映画では、犯罪者が電車を暴走させて、列車が壁などに激突する場面が良く出てきます。たとえば、スピードとかダイハード等、最近でもいくつもあります。

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