2013年3月のメッセージ

木に竹を接ぐ

新しい歌舞伎座オープンに水を差すようでとても申し訳ないですが、日本の再開発による超高層ビルはどれもこれも、昔の低層階を再現して上にモダンな高層階を載せたデザインばかりで、驚きもなくつまらない気がします。

失われていた建物を詳細に復活させた東京駅や三菱一号館美術館は、とてもいい感じです。大阪の松竹座も、いいと思います。しかし丸ビル、新丸ビルからはじまっての最近の東京中央郵便局、 大阪では新朝日ビル( 今の名前は中之島フェスティバルタワー)やダイビルは、素人目には何とも理解しがたい。有名な建築家がデザインしてるのでしょうが、外観保存の呪縛に捕らわれている気がします。

極めつきは、最近の梅田の阪急百貨店と銀座の歌舞伎座です。先代の阪急百貨店や歌舞伎座の外観を復活させるのはいいと思います。しかしその真ん中に巨大な杭が打ち込まれたみたいなこのデザインは、どうなんでしょうか。背景に見えるオフィスタワーとの整合はこれでいいのかしら。これって、専門家の世界ではどう評価されてるのかしら。素人の私には正直、理解ができません。

木に竹を接ぐとはまさにこのこと。由緒ある古いビルの屋上にヨドコウのプレハブ物置を載せたような気がして、一体感を感じません。伝統を守りつつも次の時代への象徴的モニュメントとして、超高層ビル全体を新しくデザインできないものなのでしょうか?

これは、おそらく変化を嫌い外観の保存を訴えられる保存派と、経済効果を期待して高層化を主張されるビジネス派との折衷案でしょう。いわば談合・妥協の産物です。歌舞伎座の21世紀を主張するデザインを考えることはできなかったのでしょうか?

日本中が文化保存という呪縛に捕らわれて、改革の精神を否定しているかのようです。最近はそれほどでもありませんが、以前の中国には中華風の屋根がある超高層ビルがたくさんありました。オリンピックスタジアムのそばのIBMなどは金斗雲(?)が乗っています。日本でもオーナーが変わって建て替えるときには,斬新なデザインは許されるようです。新宿の東京モード学園のコクーンタワーなどは、建築デザイン的にも構造学的にもおそらく素晴らしいのだろうと思います。ところが、伝統保存と経済効率の板挟みになると、とたんに安易な「つぎはぎ」デザインになってしまいます。

京都の街を見れば、納得します。伝統を守った建物と新しいビルが混然としていて、街の景観として美しくありません。一体20年後にどんな街にしたいのか。伝統を守りつつ未来を探る統一した街のアイデンティティーが確立できないのです。戦争で焦土化しながらも昔の街並みを復活させたドイツの多くの都市や、今も厳しい高さ規制を続けるパリの街並と比べて、古いビルデザインの上にモダンな高層階を載せるという日本の建築デザインに、正当なる思想は読めません。もしかしたら、この「つぎはぎ」が日本の個性なのかもしれません。

アベソーリがさまざまなディシジョンの場面において、日本の伝統を守ろうとする既得権益派と経済至上主義の改革派の間で妥協と談合を重ねて、木に竹を接ぐ折衷案による骨抜き案を作られるのか、それとも新しい日本の未来を担う政策を実現されるかは、古い建造物の建て直しにおける建築デザインと同質の話かもしれません。

折角の新ビルお祝いの完成に、嫌みを言ってしまいました。お正月のメッセージでも書きましたように、いまも歌舞伎役者は伝統を守りつつ、しかし未来への大胆な挑戦をされています。新しい歌舞伎座タワーの外観は、その心意気に相応しいものなのでしょうか。役所の様々な規制も。自由なデザインの提案に邪魔をしただろうと思います。

歌舞伎座、再開おめでとうございます。そして東京中央郵便局も、フェスティバルホールもダイビルも、再開おめでとうございます。

写真は、銀座にできた新しい歌舞伎座と歌舞伎座タワー、新しい梅田の阪急百貨店、新しい東京中央郵便局,丸ビル,北京のIBM金斗雲タワー、そして最近閉鎖された大阪・難波の新歌舞伎座と1931年に完成し,今もニューヨークの顔であるエンパイアステートビル。継ぎ接ぎはしていません。

追記。この記事をアップした翌日、日経新聞が朝刊の「春秋」の欄で,この新しい歌舞伎座タワーをベタ褒めしていました。「空に伸びる縦の直線と,亙屋根のなだらかな曲線が美しく溶けあっている。」のだそうです。まさか。コントラストをなしてはいても、溶けあってはいないでしょう。広辞苑から「溶けあう:2種類以上の物質がとけて入りまじり、一つになること」。

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