2012年6月のメッセージ
秋入学?
「秋入学についてどう思われますか」とよく尋ねられます。申し訳ないのですが、私はどうでもいいです。秋入学にしようが春入学のままであろうが、国際化とは関係はないと思います。秋入学に一生懸命になって関わってこられた方々はおそらく、閉塞感漂う今の日本に対して、「日本も変わるのだ!」「日本人も変わることができるのだ!」という例を示されたいだけだろうと思います。
アメリカの大学が日本の制度に合わせて4月の春入学にした場合を考えてみましょう。そんなことをしたって、アメリカ人高校生が日本に押し寄せることはありません。日本の高校生がアメリカの大学に行く数も増えないでしょう。それと同じで日本を秋入学にしたって、国際化に関しては何も変わりません。入学時期と国際化とは関係はないのです。オーストラリアや南アフリカなどの南半球の国は日本やアメリカと春秋が逆ですから、彼らの入学時期は向こうの秋(すなわち日本の春)です。それでも何の問題もなく、オーストラリアの大学には北半球の高校生が殺到し、学生の過半数が外国人であるほど国際化されています。
私の娘が日本の高校を出てそのままイギリスの大学に入学したとき、半年のブランクがありましたが、そのことは何の障害にもなりませんでした。むしろ準備期間があって良かったように思います。私も日本の大学院を出てアメリカの大学でポスドクになるまで半年のブランクがありましたが、この間にいろんな準備ができて良かったように思い出します。
秋入学と春入学はどっちでもいいのです。入学時期を1年に2回あるいは4回にするのが,世界の常識に合わせた普通の国際化の発想です。そのためには入学式を年に複数回やるか、あるいは入学式を止めなければなりません。多くの国では卒業式はあっても入学式はありません。しかし、入学式のない大学の始まりは日本人にとってなかなか難しいと思います。日本は入学式、入社式、学期毎の始業式、毎朝の朝礼、夕食では乾杯などなど、「全員一斉」にことを起こすためのきっかけが必要です。そこではかならず年長者がご挨拶をします。きっかけなしにいきなり授業が始まるのは、なかなか受け入れられないように思います。全員一斉に入社して,全員で社長の訓示を受けなければならないのです。
桜が咲き暖かくなる春に新人が全員胸をふくらませて全員集まり、一斉にご挨拶を聞くのも悪くはないかもしれません。
私の研究室では、留学生やポスドクが来ると学生達はまず新歓コンパを開きます。留学生やポスドクは4月1日に来るとは限りません。今週もアメリカからひとりの学生が夏のプロジェクト研究のために研究室に滞在します。送別会だけで十分だと私は思うのですが、歓迎会はよそ者を受け入れるための儀式として日本という村社会に染みついた文化ですから、仕方がないと諦めています。
もし本当に国際化したいなら、秋入学よりも先にやるべき事はたくさんあります。大学の全ての案内看板,掲示板、通知書や成績表などをまず、英語化(もし英語を読めない学生がいれば日本語と英語の併記)をするのが、まずは有効だろうと思います。日本人以外の教員と事務職員を多く採用し、事務職員は英語(高校の英語レベルで十分)での会話や書類作りをし、入試はアメリカやイギリス式(互いに異なりますが)を導入するのがいいでしょう(これは先月のメッセージで述べました)。ウォシュレットは要らないけれど、せめて洋式トイレにしましょう。和式トイレ中心の大学キャンパスは、まだたくさんあります。外国人は和式トイレは使えません。「秋入学」より前にまず「洋式トイレ」から始めるできでしょう。なお余談ですが、関西空港のトイレの個室はほとんどが和式です。国際空港なのにまるで意味が分からないし、それが続いている理由も分かりません。伊丹空港廃止論者のオーサカ市長、洋式トイレの伊丹空港を廃止すれば和式トイレの関空に外国人がたくさん来るとでも思っているのでしょうか。
もし大勢の留学生が大学に来るのなら、寮の部屋はまったく足りません。民間アパートを借りることになりますが、英語が通じる不動産屋さんは多くはないし、契約や対応の至る所に外国人差別があります。学生街や近隣の町の国際化に対しても関わる覚悟が大学には必要です。
その意味から、「秋入学」は大学のみならず日本社会固有の文化の是非を議論するきっかけになります。奇襲作戦的な「戦術」に留まることなく,ぜひとも息の長い「戦略」へと転じて欲しいと願います。
日本人は概して「戦略」を練ることは苦手であり、「戦術」を練って一回だけびっくりする行動をとります。しかし戦略が無いのでその後が続かないのです。真珠湾攻撃がいい例です。世界を一回だけびっくりさせても、その後どうやって戦争を続けてどうやって終結させるのかの戦略がありませんでした。無条件降伏に至るほどにまで、まったく戦略がなかったのです。「郵政民営化」選挙もそうでした。自民党は大勝をしたもののその後の戦略が無く、郵政のみならず公務員改革も天下り改革もなにもかも骨抜きになりました。「コンクリートから人へ」の民主党マニフェストも奇襲作戦でした。オザワさん以外の民主党には戦略無く、役人の思うままに約束を反故にします。「秋入学」も同類にならないように、ぜひとも国際化戦略をしっかり立てて戴きたいと願います。
司馬遼太郎さんは「この国のかたち」で、終戦の放送を聞いた後『なんとおろかな国にうまれたことか』と思った、と書いておられます。自ら始めた戦争で何百万人もの自国民が殺されたことに納得がいかなかった司馬さんは、日本人とアジアの歴史を調べはじめました。そして「坂の上の雲」に代表される歴史小説を執筆しのです。戦術による日露戦争勝利という強運が、昭和の日本を『国家そのものを賭ものにして賭場にほうりこむような』国にしてしまったのだ、と語られています。7世紀の大和政権による統一ですら『あっというまに』でき、版籍奉還(大政奉還)による統一国家は『一夜にしてできてしまった』と司馬さんは言います。形は作っても魂を入れることができないのです。
真珠湾を攻撃などしなくてもいいのです。アジア太平洋への欧米特にアメリカの侵略を止めるための、戦略が本当は必要だったのです。春入学という百年続いた伝統(惰性)を終わらせようというその情熱には大いに共鳴しますが、入学時期だけが変わって国際化はされないということがないように祈るばかりです。
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