2005年12月のメッセージ

困ったときは神頼み。

2週間ほど海外に出ていた間に、日本ではマンション・ホテルの耐震強度偽装の話題で新聞もテレビも大騒ぎになっていました。タイミング遅れでこの騒ぎを知ると、どうにも不思議に見えて仕方がありません。震度5の地震が来れば耐震偽装の建物は倒壊すると大騒ぎしていますが、いままでのところ一棟も倒壊していないようです。各地で地震が続発しましたが、今回の設計の建物は一棟も倒壊していないようです。被害は出ていないのです。「神戸のような地震があれば大変なことになる」と言って騒いでいますが、地震はどこに発生するかも分からないし、来る地震の震度は4か5か6か分かりません。今回の手抜きマンションだけが全部倒れて、他のマンションは無事なのかどうか分かりません。マンションの下敷きになって命を失う人が、今回のマンションの人たちだとは限りません。

今回の偽装は詐欺ですから、これは民事訴訟の対象であり、あるいは刑事事件でしょう。しかし、天災ではありません。私は、国が国民の血税を使って救済される災害とは、訴える先のない天災や国家犯罪(戦争被害や公害など)に限られるように思います。それ以外は、保険や民事訴訟によって解決するべきだと思います。詐欺にあった人に対して国が保証するというなら、連帯保証人になったが故に騙されて悲惨な目にあった人にすべてに対して、国が保証しなければならないことになります。国が監督責任を怠ったというなら、今回の事件以外のあらゆる人的被害においても、何らかの国の監督不行届・法整備の不備が指摘されることだろうと思います。詐欺にあった人には本当に気の毒な限りですが、今回の被害者だけが世の被害者ではありません。世の中には、交通事故にあって半身不随になってそれでもしっかり頑張っている人たちが大勢おられますし、悪徳業者に安普請のマンションや建て売り住宅を買わされた人も、数え切れないほどおられます。彼らに対して、国が責任を取って補助・支援をすることはこれまでなかったと思います。騙されたら民事訴訟するか、あるいは泣き寝入りです。

神戸の震災では、多くの建物が倒壊し焼失し半壊し、阪神間のおよそほとんどの建物が改修や立て直したりしましたが、日本という国は全くと言っていいほど被災者達に対して支援をしませんでした。地方自治体が仮設住宅を建てて様々な支援をし、たくさんボランティアが神戸に集まり、多くの義援金が集まったけれども、時の総理・村山さんは最後まで何もされませんでした(今なお神戸に出向いて謝罪することなく言い訳に終始されています)。倒壊した(するかもしれない、ではありません)マンションやホテルを国が買い取るなんてことは、ありませんでした。地震で家が倒壊し家族を失い怪我をし町中が破壊されて、明日の住処もなく苦しむマンションの住民に冷たい政治家やマスコミが、倒壊していないマンションの住民にこれほどまでに議論をするのはどういうことなんだろうと、タイミング遅れでこの騒ぎを見始めた私は、呆然としています。

尼崎のJRの脱線事故でも、死んでしまった人たちとその家族や半身不随に苦しむ被害者よりも、倒壊していないマンション(そのマンションがカーブにかぶりつくように建っていたから、電車はぶつかった)の住民が大声で補償を求めて叫んでいました。

マスコミや政治家は超法規的な議論をするのではなく、もう少し知性を持って冷静な議論ができないものでしょうか。建築会社は破産して弁償できないだろうからという理由で、被害者(本当はまだ倒壊の被害にあっていませんが)に税金を投入しようというなら、世の中すべての不法建築詐欺にあった人にも補償しなければなりません。その覚悟がないのにワイドショーに踊らされて(いや一緒に踊って)、一部の被害者にだけに補償しようという議論をするのは著しく不公正です。

耐震偽造設計のマンションを買わされた人には、はらわたの煮えくりかえる思いでしょうが、命を落としたわけでもないし、建物はまだ倒壊したわけでもないのです。まあ最悪、自己破産をしてローン返済をチャラにして、もう一度頑張ればいい。自己破産ができないと言う人は、実は失うべき資産を持っている人です。私も当事者なら散々文句を言うと思いますが、公共の公正を考えるべきマスコミや政治家は、もっと知性を持って冷静でいてほしいものです。

もっとも、今回の騒ぎの発想は、日本人が1000年にわたって持ってきた「甘え」の文化から生まれています。日本人は親鸞以降、仏教までをすら「ただただお経を唱えれば救われる」と神頼みの宗教にしてしまった人種です。現世利益の薬師如来を最も信仰する、大衆迎合主義的(大乗)仏教徒です。そして、今の国民にとっては、神様・仏様は国家なんでしょう。いざというときは国が助けてくれる、国が助けるべきだと考えます。クーデターが続き、内紛・政変がつづき、戦争が続き、あるいは民衆弾圧が続く国々の人たちにとっては、国を頼って国に文句を言うなんて、なんて平和で極楽な人たちに見えることでしょう。

でも、日本も今ようやく「官」から「民」へ変わりつつあります。国家が郵便事業をやらなくてもいいんだと言うことに、ようやく理解が進んでいます。国家存続に関わる問題以外は、マスコミも政治家も人々もそろそろ国への依頼心から脱却してほしいと思います。国は神様ではありません。私達の税金を集めて運営している共同体にすぎません。何かにお金を使えばその分だけ何かを諦めなければならない。国は打ち出の小槌ではないのです。日蓮宗をベースにする宗教団体の政党は、このような国に対する神頼みと現世利益が政策の原点にあるようです。現世御利益の地方振興券を実施させた宗教政党の方がいまの国土交通大臣であると、民事訴訟のケースに国家が乗り出すことになってしまいました。

耐震偽装のマンションに住む人達を救済したい人たちや政党を持つ宗教団体は、神様や国にねだるのではなくて、自分達が自ら私財を供して応援をされるのがいいと思います。そして多くの人の共感を持って義援金が集まるのがいいと思います。国によって納税した税金の使い道が勝手に変えられてしまうのではなくて、ひとりずつの国民が自らの意志で直接その人達の手にお金が届ける方が良いと思います。

先週、私はブエノスアイレス(アルジェンチン)での会議で講演し、ボストンの会議でチュートリアルコース(学会の前日に、参加者に有料でおこなう講義)の講師をしました。アルジェンチンでは、出発時刻になっても説明が全く無いまま飛行機が飛ばず5時間空港で待たされたり、予約していたホテルや飛行機がキャンセルされていたり、両替したお金が偽札だったり、挙げ句の果てはアルジェンチン航空が突然ストライキに入り、陸路ブラジルに渡って(そのために領事館に並んでビザを取ったり)ブラジルから飛行機に乗ったり、チェックインした鞄が飛行機を降りたら出てこなかったり、もう散々なる経験をしました。だけど、アルジェンチン政府や日本大使館に文句をっても、仕方がありません。ストになった瞬間からアルジェンチン航空の人は空港からいなくなり、文句を言っていても解決しない。英語の通じない国で自分でホテルや別のルートを探さざるをえません。日頃日本に住んで、自分が如何に過保護されて生きているか、改めて思い知らされた次第です。

世の中とは、予想外のことや納得のいかないことばかりです。でも、神頼みや国頼みはそろそろ止めましょう。自ら解決するしかないのです。被害者が可哀想だという人たちはぜひ、神戸で活躍したボランティアの人たちのように、自分の時間とお金を使って「被害者」を救済してあげて下さい。SK

Copyright © 2002-2009 河田 聡 All rights reserved.

<前月のメッセージ< >次月のメッセージ>