2004年4月のメッセージ
スイスの回転扉
日本でいま問題となっている大型の回転ドアは、アメリカにもヨーロッパでも至る所で見かけます。六本木ヒルズと全く同じタイプです。出る人と入る人が別の側から同時に同じドアを使うのですから、皆のペースが一致しなければ、誰かが挟まれることになり、確かに危ない代物です。このような大型の回転扉が日本に入ってきたのは、欧米より何年か遅れてでしょう。
新しい文明には、しばらくとまどいが続きます。動く歩道がはじめて日本に導入されたときも、お年寄り達がうまく飛び乗れないで、バランスを崩しておられたことを思い出します。とくに遊び盛りの子供達にとっては、現代文明はいつも命がけの危険なおもちゃです。大型回転扉のみならず、エスカレーターもエレベーターも、鉄道のプラットホームも交差点の横断歩道も、あるいは自宅の自動車ですら凶器になります。飛び出すな、車は急に止まれない。町中が戦場ですね。家の中で危険が一杯です。電子レンジや洗濯乾燥機、ガスコックなど、使い方を知らない子供にとってはすべて凶器です。子供の遊び場である公園すら戦場かもしれません。ブランコやシーソーはぶつかればとても危険だし、池や溝なども落ちれば大変です。誘拐魔や犯罪者も子供達をねらっているかもしれません。小さな子供を持つ親にとっては、毎日が緊張と心配の連続でしょう。
日本で採られている対策は、あらゆる事故の可能性を限りなく減らす工夫です。子供の頃遊んでいた川や池は、小さな溝に至るまで今やすべて鉄柵で囲まれています。歩道と車道の間にもガードレールができて車が歩道に乗り上げないように、歩行者が車道に出ることがないようになりつつあります。エスカレーターでは「お子様とは手を繋いで手すりをお持ちください」と案内放送されます。
でもいつも公園の池を囲む鉄柵を見るたびに、私はこれでいいのかなあ、と思ってしまいます。子供達は池で泳ぐことはもちろん、落ちたことすらないので、池の怖さも楽しさも知らないで育ちます。人は、痛い目や辛い目にあい失敗を繰り返し経験して、物事を学びます。滑って転んで、歩き方を覚えるのです。語学も同じで、相手に通じないと言う辛い悔しい思いを繰り返して身に付くのです。
安全対策や事故の補償はもちろん十分にされるべきですが、過剰で過保護な対策はむしろ人を駄目にすることがあることも併せて、理解してほしいと思います。
今、私はスイスのバーゼルという港町に来ています [1]。港町といってもヨーロッパでは多くは河に面した港町です。バーゼルはスイスの表玄関であり、ライン河に面した港町です。化学工業や製薬産業が多くありスイス第2の都市ですが、街中は14~15世紀の古い建物が密集し、坂道だらけの込み入った道路網を縦横にトラム(路面電車)が走る城郭の町です。
そこで気がついたのですが、欧米では歩道はもとより道路の真ん中にあるトラムの細い細い乗り場にすら、鉄柵がありません。水量が豊富で流れの速いライン川には、誰でもどこからでも近づくことができます。この町のショッピングセンターの大型の回転扉は何度も止まって人が閉じこめられていますが、皆さりげなく対応しています。この落ち着きぶりは、一体なんだろうと思ってしまいます。ドイツ、フランス、イタリア、オーストリアなど周囲のすべての国がEUとなり、すっかりEUに周りを囲まれてしまってたのに、スイスフランを守り独立を守るこの国の人たちの余裕とは一体どこから来ているのでしょう。スイスが国連に入ったのは、つい一昨年のことです。日本の危機への恐怖心と過剰な安全対策(北朝鮮での非常時に備えてイラク戦線に参加しアメリカとの良い関係を保つこと)と比べて、あまりの生き方の違いに驚きます。
第1次大戦、第2次大戦でスイスは永世中立国としての道を選びました。日本ではスイスの中立主義は平和主義として理解されていますが、ドイツから逃げて来るユダヤ人の入国を拒否したことで、国際的には大きな非難も浴びました。
多民族国家のこの国が、周囲のどの国からも独立して一つの国家を形成し、国連にも参加せずEUにも参加しないという判断・危機管理方法は、アメリカに頼らなければ生きていけないと判断する日本とはあまりに異なります。
このことをどう考えればいいのか。世界史を全く勉強したことのない私が語るのはあまりに無謀ですが、実はスイスにはこの方法でしか生きる道がなかったのではないだろうかと思うのです。異民族が国内で共に暮らすからこそ、その人たちの間で争いが起きないように、他国間の争いには決して参加しなかったのだろうと考えています。国際平和のためというきれい事よりも、多民族を含む国家として中立・孤立を保つことがスイスが国家として生き残れる道だったろうと思います。
紛争が続くユーゴスラビアやイラクにも、異なる考え方を持つ人たちが共に暮らします。このような国に一つの正義や一つのルールを持ち込むと、国中で争いが始まります。だから、アメリカやイギリスのやり方は、日本の占領・復興では成功したけれど、イラクでは成功しないのではないかと思うのです。敗戦後の占領時に全く反米運動の無かった日本は、歴史的に全く例外的な占領の成功例と言っていいでしょう。
今回の私の旅行は10日ほどですが、世界一周旅行です。バーゼルの前にはアメリカのアナハイムの会議に出席しました[2]。アメリカでも大型の回転扉は至る所に普及していますし、日本では大騒ぎの米国産牛は、普通にスーパーで売っています。レストランで皆がステーキを食べているのを見ていると、一体日本の米国産牛の騒ぎは何なんだろうと、考え込んでしまいます。安全には細心の注意を払うことが大切であることは言うまでもないことですが、アメリカで普通に皆が食べている牛を国あげて大騒ぎして食べさせないことの必然性がよく分からなくなってしまいました。牛丼屋さんが大赤字を出し、その店員が仕事を失うほどになるまでして、牛肉の輸入を規制するべきなのでしょうか? 米国産の肉が怖い人は食べなくて結構、決して強制などしません。でも、米国産の牛肉を食べたい人には、牛丼屋で食べられる自由を与えてくれませんか?
アメリカでは、ベンチャー・ビジネスは8割から9割は失敗し、その成功者は平均3回から4回、失敗を経験していると言います。安全が何より大切な日本人に、この危険を冒すことができるものなのか、この危険を冒す人を許すことができるものなのか、疑問です。文化が違います。
さて、アナハイムの会議場から15分ほどの距離のアパートとショッピングモールを久しぶりに、尋ねてみました。私たち家族はずーっと以前に、そのアパートに暮らしていて、そのショッピングモールによく通いました。ある日、いつものようにモールで買い物をしていたとき、当時3歳だった次女がいきなり走り出し、ステップに躓いて上段の角で頭を打ち血が噴き出して骨まで見える大きな傷ができたのです。緊急手術で一応事なきを得ましたが、いまでは家族の大きな思い出です。同じ頃、2歳の長男は車が曲がるときにドアのノブを掴み、ドアが開いて車から振り落とされました。息子は落ちてもすぐ立ち上がって泣きながら車を追いかけました。
危険はどこにでもあるものです。回転扉での事故も管理会社や製造会社を非難するばかりでは、本質は見えません。文明とは常に危険と一緒に生きていることも、知ってほしいと思います。SK
[1] バーゼル大学でのナノ光学の創立20周年記念シンポジウムに参加しています。アジア人は私が一人だけ。
[2] 米国化学会でのシンポジウムに招待されて参加しています。Optical Microscopy beyound the diffraction limit(回折限界を超えた光学顕微鏡)というセッションに招待されました。これもアジアからは私一人。
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