19.仁賀保氏の居城
Ⅰ.山根館
仁賀保氏の居城は俗に山根館と言われる城です。山根館は非常に大きい城であり、現在の院内集落を城内に含むプチ総構の城でした。
元々は現在の主郭を中心とした城であったと考えられますが、仁賀保挙久が城域を拡大したようです。現在、城の西側を固める陽山寺は、元々は山根館主郭への道すがらにあったものです…「らんとう」という俗地名だったかな?。「卵塔」で坊主の墓の事を意味したものでしょう…。当時は円通山安楽寺といっていましたが、挙久が現在位置に移したと伝えられます。これは城域の拡大による寺院の異動であると考えられます。
山根館には「外廻輪」があり、その中に「實城」があるという城だったようです。更にその実城の中に「居館」があったようです。 「矢島十二頭記」を見ても「根城」と呼ばれる城でありまして、山根館と言われることはありません。
そもそも根城とは領主が居る城であり、根城の下に出城などがありました。即ち、現在慣用的に「山根館」と言われる遺跡は、「根城」と呼ばれるのが正しいと考えられます。
仁賀保氏の居城を守る為に、羽州海道沿には北から安倍館、鴻巣館、平沢館、芹田館、黒川館、赤石館、塩越館、一族の者がいたと考えられる待居館、その他多数の居館がありました。山根館自体は街道からは少々離れた場所にあり、これらの館を元に街道・港を支配していた様です。
由利郡内で根城の異名を持つ中世城館は、
1.矢島氏の当初の居城であると考えられる「根城(由利本荘市矢島町荒沢字根城館)」、
2.滝沢氏の居城であったと考えられる「根城(由利本荘市川西字根城1ほか)」、
3.石沢氏の居城でしょうか…の「根城(由利本荘市鳥田目字中ノ沢)」、
4.下村氏の居城の「根城(由利本荘市東由利蔵字館の内43ほか)」
5.そして仁賀保氏の居城の「根城」があります。
ま、このHPでは、それでも混乱を避けるために名称は山根館を使います。
山根館の場所は下記の地図の場所に主郭がありますが、城域は現在の小国集落、馬場集落まであったようです。