22.仁賀保家系図
22.仁賀保家系図
大井友挙以降の仁賀保氏の系図は下記の図のようになるか…と思います。
ローマ数字Ⅰ、Ⅱ…は次男誠政に始まる2000石家、丸数字①、②…は3男誠次に始まる1300石家、アラビア数字1、2…は200俵家になります。
大井友挙以降の仁賀保氏の系図は下記の図のようになるか…と思います。
ローマ数字Ⅰ、Ⅱ…は次男誠政に始まる2000石家、丸数字①、②…は3男誠次に始まる1300石家、アラビア数字1、2…は200俵家になります。
系図上に現れていますが、長谷川氏の中に仁賀保誠成という人物がいます。彼は徳川綱吉より「血筋が仁賀保であるので、仁賀保を名乗る様に」と言われて、仁賀保甲斐守を称します。仁賀保という性はちょっとした価値があったんでしょうかね。
なお、彼は7,000石を拝領しましたが、綱吉の勘気に触れ、あっという間に没落、川越に蟄居させられます。彼の墓は川越の広済寺にあるようです。