18.江戸時代の仁賀保氏

 江戸時代の仁賀保氏について問い合わせがありましたので、この項を作ってみました。

 江戸時代の仁賀保氏は3家に分かれ…一時4家になりますが…、明治まで存続いたしました。現在も子孫の方がいらっしゃいます。

 江戸時代の草創期に、仁賀保光誠と共に由利郡仁賀保に700石を賜った仁賀保主馬と言う人物がいます。この家は1代で跡継無く、寛永5年につぶれます。知行宛行状の感じからして、光誠より扶持を与えられてたみたいです。

 次いで仁賀保光誠の長男…良俊の系統は 7,000石家といわれますが、良俊も跡継無く寛永8年に没して改易となります。

 更に光誠の2男の誠政が2,000石家を3男の誠次が1,000石家(2000(後に加増されて1,200石)を興し、更に誠次の3男が200俵家を興します。また、誠次の孫は松平家に養子に行った後、血縁にて仁賀保を名乗る様に綱吉より下知され、仁賀保甲斐守を名乗りますが、直ぐに改易になりました。