Ⅲ久徴館



 仁賀保両家では化政時代には既に藩内の教育について力を入れていた様です。領主より漢籍を読むように達せられ、仁賀保家の邸内…恐らく江戸屋敷と国元其々…に「久徴館」と呼ばれる学校を設立し、学士を招いて講義をしていました。

 天保以降は士卒の果てまで修学させ、慶応年間には武事も修練させていました。 知行地の仁賀保では陣屋の側に槍剣場を備えて相長館と呼びました。学事は小倉藩藩士中村啓蔵…恐らく漢学者か…と。知りませんでしたが、彼は結構有名どころの様です。続いて斎藤国之丞が講究係。彼は地元名門出身の人物です。続いて武事は堀川福太郎が師範となっていました。この堀川福太郎は…同姓同名の別人でなければですが…元姫路藩士で神道無念流の師匠だったようです。浪士組平山五郎の師匠でもあるようですね。秋田の戊辰戦争にも参加しました。

 この様久徴館の師範は有名どころを取りそろえ、わずか2000石の領主とは思えない力の入れ方であったようです。久徴館では成績優秀者は小者であっても士分に取り立てたり、賞金を出していたりしたそうです。