Ⅸ 総論
Ⅸ 総論
「矢島十二頭記」(いわゆる「由利十二頭記」)の成立は、想像でありますが、管見では元々は矢島氏の旧臣が、新領主(おそらく生駒氏)に自らの由来を説くために書いたものが大元ではないでしょうか。
矢島領は戦国末期には、
①矢島氏領(天正16年12月27日まで)
②仁賀保氏領 (慶長7年5月頃まで)
③最上氏領(元和8年8月21日まで)
④本多正純預かり領(元和9年11月まで)
⑤打越氏領(寛永11年8月7日まで)
⑥生駒氏領
と、江戸初期までの間、変遷しております。矢島氏時代は元より仁賀保・打越氏の時代にこの物語が必要とは思えません。また、最上氏時代に矢島を支配した楯岡長門守の嫁に矢島満安の娘が入ったことからしても最上氏時代にも矢島十二頭記が必要とされることは無かったでしょう。
まして本多正純は「由利はいらない」と秀忠とトラブルを起こした状態ですし、総論からすると生駒氏に披露したものと考えるのが最も合理的であると思われます。また、矢島「満安」でありますが、大井氏の通字が「光」であることから鑑みて本来は「光安」ないし「光康」であったろうと思います。「光」は徳川家光と名がかぶりますね。元々の作者は矢島氏の旧臣で、生駒氏への仕官の為のものではないでしょうか。
B本の意図は判りませんが、とにかく仁賀保方の資料を見ることのできる人物で、文禄2年の夏に矢島氏を滅ぼしたことにしないと都合の悪い人物の作でしょうなあ。…本荘藩に仕官した滝沢氏などの旧領主層の関係者がその候補最右翼でしょうか。